30話 希望

 アナエルは聖女ではなく、魔女の方だ……という結論に達したものの、その証拠となるものはどこにもなかった。

 直接聞いてもシラを切られてはどうしようもない上に、逆に口封じされてしまう可能性があり、安易に行動はできない。

 しかし本当にアナエルが魔女の生まれ変わりだとすれば、放っておけない事態である。

 彼女は神の使命のために人々に嫌われ、魔女狩りで命を落とした際、


 〝必ず復活して貴様らに報いを受けさせてやる〟


 と言っているのだから。



「アナエルが魔女だとしたら、復讐のために王家を利用するつもりなのかしら」

「復讐ったって、もう魔女狩りをした奴らは生きてないんだ。どうしようもないだろ」

「だけどそんな最期を遂げたなら、人を恨むと思うわ。復讐の対象は生きている人間そのものなのかもしれない」

「……そうじゃないことを祈るけどな」


 面倒なことはごめんだとばかりにディリウスは息を吐いている。


「アナエルがどういうつもりでいるのかわからなければ、どうしようもないわ。それより今は、エメラルド解除の方法を探しましょ」

「相変わらず、レオ第一主義者だな」

「当然よ」


 アナエルの問題は一旦横に置き、二人は幾日もかけて、封印された書物からエメラルド化を解除できる魔法を探した。

 地下で二人、封印されていた全ての本をようやく読み終えたが、解除の魔法はどこにも記されていなかった。


「エメラルド化って、特殊な魔法なのかしら……」

「だろうな。天候の魔法だって書かれてなかった。応用の魔法なんだろ。だから解除の方法も載ってない。けど──」


 ディリウスはそう言いながら一冊の本を取り出して、開き始めた。


「見てみろ」


 本を渡されたローズマリーは、そのページを声に出して読む。


「液体を固形化する魔法? これなら私が読んだ本にも書いてたわ。飲み物を簡単に持ち運んだり、川の水を固形化して橋を作ったりするのに便利な魔法よね」

「人間も六割ほどが水分と言われてるんだ。エメラルド化は、これを応用したものじゃないか?」


 一瞬きょとんとしたローズマリーだが、もう一度本を見るとそんな気がしてきた。


「そっか……ディル、さすがよ! これだわ! じゃあ、固形化解除の魔法を覚えれば、エメラルド化も解除できるかもしれない!」

「もしかしたら、だけどな」


 二人は開かずの扉を出てディリウスの私室にやってきた。みーみー言いながら、ヴァンが迎えてくれる。すっかりディリウスの飼い犬だ。犬ではなく、フェンリルではあるのだが。

 足元で飛び回るヴァンに気をつけながら、ローズマリーはピッチャーの水をコップに入れた。そして本を見ながら固形化する魔法を使ってみる。

 ディリウスが見つめる中、コップの水はまるで氷になるように、ピシピシと音を立てながら固まっていった。


「できたわ!」

「氷のようだが、冷たくはないな。じゃあ次は、解除の方だ」

「ええ」


 ローズマリーが魔法力を込めると、解除も難なく成功してただの水に戻る。

 試しにディリウスもやってみると、固形化はできなかったが、ローズマリーが固形化したものを解除することはできた。

 やはり、戻す方が簡単なようだ。


「これでやっと……やっとレオ様が元に戻るのね!」


 レオナードが光輝の英雄となって十年。

 ほぼ毎日教会へと通い、一日たりとも彼を忘れることはなかった。

 大好きなレオナードを、やっとこの手で救ってあげられるのだと思うと、万感の思いが溢れ、頬が濡れる。


「……ローズ」

「あ、ごめんなさい……嬉しくて……」

「ずっと頑張ってたもんな。まさか本当にエメラルド化を解除させられる日がくるとは思ってなかった。すごいよ、ローズは」


 褒めてくれたディリウスの空色の瞳は、何故か少し悲しげで。

 けれどそんなこと気にならないくらい、ローズマリーは胸がいっぱいになる。


「レオ様が戻ったら、私のことを真剣に考えてくれるわよね! 年齢もずいぶん追いついたもの!」

「……そうだな」


 十歳と二十八歳だった昔と違い、今はたったの八歳差にまで縮まっている。

 成長した姿を見せれば、レオナードはローズマリーを一人の女性として扱ってくれるに違いない。

 湧き上がる喜び。早く元に戻ったレオナードの姿が見たい。自分の姿を見せたい。身体中がそう訴えている。


「早くいきましょ、レオ様のとこ、ろ、へ──」

「ローズ!!?」

「みーーーーっ!!」


 急に視界が暗転した。ディリウスとヴァンの声は、空気に溶けるように遠くなった。


(ここは……どこ)


 ローズは過去生を歩き、道を戻っていた。


 農夫の父親を通り過ぎ。

 騎士の弟を通り過ぎ。

 社会活動家の恋人を通り過ぎ。

 聖職者の師を通り過ぎ。

 商人の伯父を通り過ぎた。


 その先にいた者は──


「……私?」


 色素の薄い金髪に、燃えるような赤目をした女性。

 自分に似ている気がしたのは一瞬で、よく見ると顔つきが全然違う。


「誰……」


 声をかけると、彼女はローズマリーに近づいてすり抜けた。

 振り返ると、女性は空色の瞳をした男性に笑顔を見せている。


(私が見えていない? ……違う、過去の私を見ているんだわ)


「今までありがとう、リウ。最後にあなたと出会えて、幸せだった」

「マリア……生きる方法はないのか」

「神の存在が消えた今、巫女である私の寿命は尽きる運命にあるの」


 過去の自分の言葉は、今のローズマリーの体に衝撃を走らせた。


(私が……神の巫女だったの!?)


 リウは巫女を抱きしめて、空色の瞳から雫を落としている。

 マリアは彼の灰色の髪を撫で、その頬にキスをした。

 体が透け始め、存在がどんどん薄くなっていく。


「いつかの世で、またリウと巡り逢えますように……」

「その時には、必ず──」


 男が全てを言い終える前に、巫女は光に溶けて消えた。

 赤目から溢れ出た涙だけが、リウの顔に雨のように落ちる。


「──マリア……君の願いを、俺が全て叶えてあげるから……っ」


 亡き巫女へのリウの言葉が。

 何百年もかけて、今、ローズマリーの心に届いた。

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