29話 たくらみ

 目の前に現れたアナエルを見て、ローズマリーとディリウスは繋いでいた手を離した。

 アナエルは今、聖女として優遇されて王城に住んでいるため、通りかかっても不思議はない。

 しかし今まさに、アナエルへの不信感を抱いていたところだ。いきなりの聖女の登場に、ローズマリーは心臓はドクドクと不規則に揺れていた。


「今、聖女がどうとか聞こえたけれど?」

「それは……」

「アナエルのことじゃない。ローズのことだ。ローズも聖女だからな」

「……そう」


 アナエルはクスッと、わずかに声を上げて笑った。

 何もかも見透かされているような視線が、どうにも居心地悪い。

 金の瞳が、突き刺すようにディリウスへと移動していく。


「ところで私は、イシリオン様とディリウス様のどちらと結婚してもらえるの?」

「……さぁな。まだ何も決まってない」

「決まって、ない」


 平坦な声を出しながら、アナエルの右目がピクリと動いた。

 聖女として優遇されるだけで満足したのかと思いきや、まだ諦めてはいなかったようだ。

 ローズマリーはどうしても納得いかずに疑念の目を向ける。


「アナエルはどうしてそんなに王族入りしたいの?」

「もちろん、この国の繁栄のためだけれど。生涯アルカド王国に尽くすという、私の覚悟の現れよ」


 聞こえはいいが、人を小馬鹿にしたような半眼が、どうにも胸に引っかかる。


(本当にそう思ってる? 裏を返せば、王子と結婚できなきゃ、国のためには働かないっていう脅しじゃないの?)


 彼女の力は本物だ。難癖をつけては機嫌を損ないかねず、ローズマリーは口にするのをぐっとこらえた。

 本当に国のためを思っているのか、他にも何か思惑があるのか、今の段階では判別がつかない。

 しかし嘘をついているかもしれないという不信感が、警戒心を高まらせている。


「ディリウス様の英断を期待してるわ。では失礼」


 アナエルは相変わらず地味なグレーのワンピースをひらめかせ、ローズマリー達の前を去っていった。


「くそ……イザベラの次はアナエルかよ……っ」

「女難の相でも出てるんじゃない? もうさっさと好きな人と結婚してしまえばいいのに」


 自分で言ってしまってから、何故だか胸が詰まる。


「できるならとっくに結婚してる」


 大きな息を吐きながら答えたディリウスは、バツが悪かったのか、そっぽを向いてしまった。


(結婚できないって、もしかして人妻でも好きになってしまったのかしら……それはさすがに応援できないわね……)


 同情の目を向けると、ディリウスはテーブルの上で好き放題しているヴァンの首根っこを掴んだ。


「お前、全部食べたな!? そんなだから、神に強制労働させられるんだぞ!」

「みー! みー! みー!」

「まぁいいじゃない。千年ぶりの食事だったんだし」

「自由になったんだから、さっさと出て行け。絶対に人間は襲うなよ」

「み!? みみみーー!! みー! みー!!」


 泣きそうな顔で首を左右に振るヴァン。

 触れていないので何を言っているかはわからないが、嫌がっていることだけは確実に伝わってくる。


「かわいそうよ、ディル。あなたが飼ってあげたら? 昔から好きでしょう、犬」

「み! みーー!!」

「まぁ嫌いじゃないが……」

「力もないみたいだし、このまま放り出したら魔物の餌になっちゃうわよ」

「仕方ないな。今みたいに滅多やたらに食べ散らかさないって約束できるか?」

「みー! みみー!」


 ヴァンが右前足を挙げて返事するので、ローズマリーはディリウスと目を見合わせて、一緒に吹き出した。

 ディリウスはヴァンを抱っこし直すと、ヴァンの頭をもふもふと撫でて微かに笑っている。


(まったく、素直じゃないんだから)


 本当は最初から飼うつもりでいたのだろう。

 嬉しさを隠そうとしているディリウスの顔を見ていたら、勝手に笑みが漏れた。

 ローズマリーは紅茶を手に取ると、香りを楽しみながら喉の奥へと注ぐ。


 ──生涯アルカド王国に尽くすという、私の覚悟の現れよ。


 先ほどのアナエルの言葉を反芻して、ローズマリーはソーサーに戻したカップをじっと見つめた。


「どうした、ローズ」


 ローズマリーはディリウスに視線を移し、心に引っかかっていた疑問を投げかける。


「アナエルの言葉の意味を考えてたの。国のために王子と結婚って、本当だと思う?」

「結婚しなくたって、国のために力を使うことはできるんだ。何かメリットか思惑があることは確かだな」

「そりゃ、王族と結婚することはメリットだらけではあるけど……」


 世の中に、王子との結婚を夢見る少女はたくさんいる。

 アナエルもそうだったのだろうか。偶然聖女の力を持って生まれたため、無理やり結婚しようと思いついた、と思えなくもなかったが。


「聖女の力って……偶然手に入れられるものかしら……」

「どうしたんだ、突然」

「私は神に願うことで、前世を思い出したり魔法を使えるようになったわ。アナエルも同じなんじゃない?」


 ヴァンをもふもふしているディリウスを見上げた。するとディリウスは、その手を止めて眉根に力を入れて端正な顔を少し歪める。


「アナエルも過去生を覚えてるってことか?」

「あれだけ強大な力だもの。彼女は本当に、本物の聖女の生まれ変わりなのかもしれないわ!」

「いや、それはないな」


 割と自信があったというのに、ディリウスにあっさりと否定されて、ローズマリーは口を尖らせた。


「どうして?」

「考えてもみろ。聖女はエメラルド化して、女神になってる。聖女は時間を停止しただけで生きてるって巫女が書いてただろ。生きてる人間が、転生できると思うか?」

「じゃあ、アナエルのあの強大な力は……」


 アナエルが聖女の生まれ変わりでないとすれば、あの強大な魔法を使える理由はただひとつ。


「転生した、魔女……!?」


 ローズマリーの言葉にディリウスが頷く。

 二人には、もうそれ以外に考えられなかった。

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