15話 ディリウスの気持ち

 それから数日後。

 教会に向かおうとしたローズマリーが侯爵家の屋敷を出ると、いつものようにディリウスが立っていた。

 いや、厳密にはいつものようにではなかった。あまり表情の出ないディリウスだが、明らかに肩が落ちていて顔色も良くない。


「おはよう。どうしたの、ディル」


 開口一番に聞くと、ディリウスは教会へと向かいながら口を開く。


「イザベラとの結婚が決まるかもしれない」


 どうしてそれで項垂れているのかと、ローズマリーは首を捻った。

 ディリウスの好きな人はイザベラで、イザベラもディリウスと結婚したがっている。そこには何の障害もないはずだ。


「良かったじゃない。おめでとう」


 言葉には出したものの、やはり心からは祝福できない。いくら相思相愛でも、あのイザベラがディリウスと結婚するなど、許容しかねる。もちろん、ローズマリーがどうこう言える話ではないので、祝福するしかないのだが。


「俺は……結婚する気はない」

「ディル……もしかして、それって私のせい?」


 そう聞くと、一瞬だけ表情が固まった気がした。どうやら当たりのようで、ローズマリーは胸を痛める。


「……知ってたのか? 俺の気持ちを」

「当然よ。ずっと一緒にいるのよ。わからないはずないじゃないの」


 途端にディリウスの顔が赤くなった。恥じることなど、何もないというのに。


「そうか……じゃあこの際はっきり言うが、俺はローズを」

「守りたいと思ってくれているんでしょう? レオ様との約束を、一生守ろうとしてくれているのよね」


 たった今、目をしっかり合わせてくれていたディウリスは、照れ臭さからか視線をすっと前方に戻した。


「……ああ」


 本当に律儀な幼馴染みだ。己の結婚を諦めてまで、約束を果たそうとするなんて。


「ありがとう、ディル。でもその気持ちだけで十分よ。レオ様のエメラルド化が解ければ、約束を守る必要もなくなるわ。ディルは好きに生きていいのよ」

「……そう、か」


 これできっと、イザベラとの結婚を前向きに考えてくれるだろう。


(イザベラに対する個人的な感情は抑えて、ちゃんと祝福してあげなくちゃね……)


 しかしそう思えば思うほど、胸の中がもやもやして苦しくなる。

 幼馴染みが先に結婚するというのは、思った以上に悔しいものなのかもしれない。


(私も早くレオ様と結婚したい……エメラルド化を解除する魔法をどうにかして探さないと)


 そう思った瞬間、頭の中に記憶の断片が浮かび始めた。


「ディル……ッ」

「どうした、ローズ!」

「記憶が……また……っ」


 体の力が失われていく。ディリウスに支えられた瞬間、目の前が真っ暗になった。



 記憶はどんどん遡り、四つ前の前世に辿り着く。

 今度のローズマリーは女で、聖職者のようだ。師と仰ぐ女性がローズマリーを可愛がってくれている。

 彼女は祈りや儀式を通じて人々の精神的支柱となり、コミュニティを形成した。

 それにより社会の安定に寄与した彼女は、光輝の英雄たちに祈りを捧げている最中にエメラルド化が始まった。


『私が光輝の英雄に選ばれるとは、なんて名誉なことなのでしょう』


 周りにいた修道女や町の人たちが、さすがだと称賛している。ローズマリー以外。


『嫌ではないのですか……まだまだこれから、やりたいことがあるとおっしゃっていたではありませんか!』


 教会の修道女にあるまじき発言に、周りからは怒りの目を向けられた。しかし彼女だけは、穏やかに微笑んでいる。


『光輝の英雄となることで、私の行動は正しかったと証明されることになるもの。とても誇らしいわ』


 運命を受け入れ、心から満足そうに語る彼女の表情が印象的だった。

 しかしローズマリーは、こんなに社会に貢献した人がエメラルド化されるのは理不尽だと。どうしても他の者のように納得はできなかった。



 目が覚めると、消毒液の匂いがした。

 いつかお世話になった病院と同じところだろう。


「目が覚めたか、ローズ」

「うん……運んでくれてありがとう」

「新しい魔法も覚えたか?」

「ええ……」


 ローズマリーは頷くと、魔法を使ってみせた。

 すると目の前のディリウスは目を広げ、キョロキョロと周囲を確認している。


「おい、ローズ!? どこにいった!?」

「ここよ。ベッドの上に座ったまま動いてないわ」

「……消えているのかっ」


 ディリウスが手を出したので、ローズマリーはそっと握ってあげる。

 感触はわかるようで、ディリウスはこくんと頷いた。


「確かに、いるな」


 ローズマリーは手を離すと、魔法を解いた。

 ディリウスの視線がローズマリーと交差し、ほっと息を漏らしている。


「声は聞こえるが、姿だけじゃなく気配も消えていたな」

「本当?」

「ああ、焦った」

「けど、また変な魔法を手に入れちゃったわね……」


 治癒はいいとしても、それ以外は心を読む・覗きをする・姿を消すという、善良な市民には使えないものばかりである。


「誰にも言いたくないなら言わなくていい。一つ隠すのも二つ隠すのも同じだ」

「ふふっ、ありがと」


 笑って見せたが、やはり隠し事が増えると思うと気が重い。つい大きな息を吐いてしまうと、ディリウスはほんの少し口元を上げた。


「俺は、ローズが消える魔法を手に入れて良かったと思ってる」

「……どうして?」

「危険な目に遭いそうな時は、消えて逃げられるだろ。ローズはフットワークが軽すぎて、いつも一人であっちこっち行くから気が気じゃない」

「だって、お付きがいると鬱陶しいんだもの」

「令嬢の台詞じゃないな」


 くくっと笑ったディリウスは、次の瞬間には真面目な顔になっていて。


「じゃあ、俺は鬱陶しいか?」


 空色の綺麗な瞳が、ローズマリーを見つめてくる。


「ディルは違うわよ。幼馴染みだもの」

「なら良かった」


 目を細めて笑うディリウスは、珍しくて。

 ローズマリーの胸は、知らぬ間にドキンと音を立てているのだった。

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