11話 知られたくない

 ズキズキと痛む胸。

 家へと戻ってきたローズマリーは、自室でベッドに倒れ込んでいた。

 逃げるように下げられたディリウスの手を思い出すだけで、息ができなくなる。


(ディルの馬鹿……! あの時の言葉、嬉しかったのに……っ)


 〝ローズは興味本位で人の心を覗くなんてことしない〟と言ってくれたのは、嘘だったのだろうか。

 イザベラに乗せられたとしても、ローズマリーはディリウスの心を覗く気は一切なかった。信じてもらえていなかったことが、心臓を抉られたように苦しい。


(……別に、ディルなんて……ディルに信じてもらえなくたって……私には、レオ様がいるわ。レオ様なら、何があっても絶対に私を避けたりしないものっ)


 レオナードがいれば、ディリウスを叱ってくれただろうか。もっとローズを信じろと、しっかり守れと言ってくれただろうか。


(レオ様……会いたい……話がしたい……!)


 そう強く願った瞬間、また記憶が入り込んできた。目の前が真っ黒になり、一瞬で意識が遠ざかる。


 今度は三つ前の前世の記憶のようだ。ローズマリーは男として生を受けていて、順風満帆な生活をしていた。

 恋人の女性は社会活動家で、変革の推進者。社会が直面している問題を明確にし、根本原因を分析したり啓発活動を行っている。


『一人の声は小さくて届かない。その声を大きく、理解してもらえるようにするのが、私の仕事よ』


 それが彼女の口癖だった。実際に活動が実を結び、それまでの常識を覆したこともある。自慢の恋人だ。

 ローズマリーはその恋人のことが大好きで大好きで。当時、一般庶民が買える代物ではないというのに、彼女に喜んでほしくて、鏡を取り寄せてプレゼントした。


『まぁ、なんて綺麗に映る鏡なの! ありがとう!』


 化粧が楽しくなるわと笑っている。愛する人の喜んだ顔は、本当に嬉しくて。

 人前に出ることの多い彼女が、楽しく化粧できるのなら、買った甲斐があると満たされていた。


 それなのに。

 彼女の足元がピシリと音を立てて硬化していく。

 情けなくも狼狽えるローズマリーに、彼女は『大丈夫よ』と凜とした声を上げた。


『鏡を本当にありがとう。優しいあなたが、本当に大好きだった』


 そう言い残して。恋人は手鏡を胸に抱いたまま、笑顔で光輝の英雄となった。




 ローズマリーが覚醒して起き上がると、目から涙が溢れていた。

 部屋には、顔が映るくらいの楕円の装飾鏡が壁に掛けられてある。今は昔ほど高価ではないが、それでも一般庶民には各家庭に一つあるかないかの贅沢品だ。

 ローズマリーは先ほどの女性を思い浮かべながら、その鏡を覗いた。


「……え?」


 するとそこには、自分の顔ではない光輝の英雄が写っている。

 全身エメラルド色した女性。手には鏡を持っていて、かつての恋人だと気づく。


「どうして彼女が鏡に写って……あ!」


 新しい魔法だと気づくのに、それほど時間は掛からなかった。

 いつの間にか魔法を使ってしまっていたようだ。すぐに魔法を解くと、自分の顔が映し出される。

 大きく息を吐き出すと、ローズマリーはふと思い出した。


(そういえば、私もディルに手鏡をもらったことがあったっけ)


 十四歳の誕生日に、ディリウスからプレゼントされたのだ。綺麗な手鏡でもったいなくて、ずっと引き出しに仕舞っていた。

 使わない方がもったいないと思い直し、ローズマリーは手鏡を取り出す。


(ディル……)


 心でそう呼んだ瞬間、鏡にディリウスが映し出された。

 すぐに消そうとするも、イザベラが豊かな胸を強調する仕草で、ディリウスを蠱惑する姿が見えてしまう。

 ローズマリーは奥歯を食いしばるように二人を見た。


「どうして、こんな魔法ばかり……」


 心を覗く魔法の次は、本当の覗き魔法だ。聖女とはかけ離れた能力が身についたことに、苦しみが増す。

 嫌悪感を遠ざけるように鏡を裏返し、机の上に置いた。

 こんな魔法が開花したと知られたら、今まで以上に人々に敬遠されるに違いない。


(この魔法は誰にも知られたくない! 蔑まれちゃうだけだもの!!)


 鏡を覗いて、その人のことを考えるだけで今の状況が映し出される。

 逆の立場で利用されたらと思うとゾッとする魔法だ。ある意味、心を覗くよりもたちが悪い。


(言わなければ、誰にもバレない……けど、何かあればすぐに報告するって陛下と約束してしまっているし……)


 さすがに国王との約束を反故にはできない。

 しかし伝えれば、心を読む魔法の時と同じく、研究者たちがこぞって調べるだろう。

 人の口に戸を立てるのは難しく、聖女は覗きの魔法が使えると知られてしまう。そうなればまたイザベラの格好の餌食となり、ますます悪評が広がるだろう。


 どうしたらいいのかと頭を抱えていると、しばらくしてディリウスが来たとの知らせが入った。

 さっきまでイザベラとパーティを楽しんでいたはずだが、どうしたのだろうか。使用人に会うことを伝えると、慣れた様子でディリウスが部屋へと入ってきた。


「悪い、来るのが遅くなった」


 ディリウスが開口一番に言ったのはそんな言葉で、ローズマリーは眉を寄せる。


「ディル……主催者が抜けてきてどうするのよ。早く戻らないと!」

「大丈夫だ、兄上がいる。早く行ってやれと、全部引き受けてくれたからな」

「イシリオン様が……」


 きっと一人では大変に違いないのに、こんな時にまでイシリオンは気を使ってくれたのだ。その心に感謝したが、目の前のディリウスには幼馴染み特有の当たりの強さが出てしまう。


「けど、どうしてディルがここに来るのよ」

「そりゃ……謝りに来たんだよ」


 さっき拒まれたはずの手が、ローズマリーの手をふわりと包んだ。

 どうしてこんなことをしているのか。ディリウスが何を考えているのかわからない。

 けど知るならば、心は読まずに本人の口から聞きたい。

 ローズマリーは手の温かさを感じながら、ディリウスを見つめた。

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