36話 神の存在

 足がパキパキと翠色に硬化していく。

 ローズマリーは歯を食いしばりながら、大切な二人に視線を向けた。


(レオ様とディルをこのままにして、光輝の英雄になんてなってられない!!)


 アナエルに目を向けると、ローズマリーは力の限り叫んだ。


「アナエル! あなたは私なんかにはわからないくらい、つらかったと思うわ。でも今を生きる人を巻き込まないで!」

「命乞い? 私もしたけど、無視されたわ。悪魔と罵られながら殺された。痛みを感じさせないだけ、私は優しいでしょう?」


 その言葉に胸が詰まる。彼女はどれだけ苦しい思いをさせられながら殺されたのだろうかと。

 あまりにアナエルが憐れで、心が潰れそうな痛みが涙となって溢れ出す。


「今度は泣き落とし? くだらない」

「違うわ……あなたの運命が、あまりに不憫で……」

「同情などいらないわ」

「一生、そうやって生きていくつもりなの?」


 パキパキという音が腰にまで上がっている。もう時間がない。


「人に恐れられ、恨まれ! いくら寿命を奪っても、殺されては同じよ!」

「うるさい、今度はうまくやる!」

「魔法なんて捨ててしまえばいい! それだけであなたは、大事な妹と幸せに暮らせる未来が開ける!」

「私は魔女だ! 魔女には魔女の仕事がある!! パラドナはみんなに崇められて、幸せに暮らせばいい!!」


 アナエルの言葉が、風を帯びてローズマリーの心を通過していく。


(今の言葉は……!)


 ハッと気づいた瞬間、パラドナの手がローズマリーとアナエルに向けられた。


「パラドナ様!」


 ローズマリーが叫ぶと、パラドナは両手に魔法力を貯め。


「姉様の力を継承させますの!」

「パラドナ、やめ……っ!!」


 アナエルの力がパラドナへと吸い取られていくのが、見た目にもわかった。

 その間にも、一度かけられたエメラルド化の魔法は進み、ローズマリーの首にまで侵食している。


「姉様の魔法の全てを、ローズマリーへ!」


 パキン、と顔までも硬化し始めた瞬間、膨大な魔法の知識が一気に頭の中へと入り込んできた。

 ちょっとでも気を緩めると意識を持っていかれそうになりながら、ローズマリーはエメラルド化解除の魔法を探り当てる。


「解……除……っ!!」


 その瞬間、硬化していた部分がパァンと弾けるように消し飛んだ。

 ヴァンが「みー!!」と喜びの声をあげている。


「やったわ……」


 ゼェゼェと肩を揺らしながらアナエルを見ると、彼女は膝から崩れ落ちて愕然としていた。


「私の魔法が……!! パラドナ、なんてことをしてくれた!」

「これで、いいんですの。姉様」


 泣きながら微笑んでいるパラドナ。

 ローズマリーはディリウスとレオナードに手をかざすと、素早くエメラルド化解除の魔法を使った。

 固形化解除とは違い、パァンと音を立てて硬化が消し飛んでいく。

 キラキラと消えていく翠色の破片が綺麗だ。


「……ローズ!?」

「やったんだな、ローズ!」

「ディル……レオ様……っ」


 誰よりも大好きで大切な二人が、目の前で動いている。

 それだけでもう胸がいっぱいになり、二人の腕に飛び込んだ。


「良かった……! 二人とも、戻って……!!」


 ふぇええ、と情けない声と涙が溢れ出す。

 本当に怖かったのだ。二人があのまま砕け散る運命だったことが。


「ローズ……」


 ディリウスの、自分の名を呼ぶ声。

 それは何よりも安心できて、勇気が湧いてくる、優しい響き。


「ディル、ありがとう……」

「いや、俺の方がありがとうだが……どういう状況だ?」


 改めてディリウス達が辺りを見回すと、アナエルがぎりっとこちらを睨みながら立ち上がった。


「ローズマリー。私の力を返せ」

「いやよ。返さない」

「それは私の力だ」

「大切な力を奪ってしまって、申し訳ないと思っているわ。けど、アナエルはこの力を持つべきじゃないのよ」

「お前は何もわかっていない」


 突き刺さるような金の瞳が、燃えるような力を放っている。

 アナエルはローズマリーを指差し、悪魔が乗り移ったかのような表情で、赤い唇を開いた。


「これからお前は、人口を調整し、繁栄を阻止し、人々に恐れられ嫌われる責務につかなければならない」


 それは、神から与えられた使命。

 強大な力を持つ、魔女の役割。


「いつかお前も人々に殺される運命だ!」


 アナエルの呪いの言葉に、二人の騎士が前に出た。


「そんなことはさせない」

「ローズは必ず守る!」

「レオ様、ディル……!」


 いつでも剣を抜ける体勢で、ローズマリーを守ってくれている。

 その気持ちに感謝しつつ、二人の間に入ると腕にそっと手を置いた。


「ありがとう、大丈夫よ。私はこの力を使うつもりはないもの」


 そう告げると、アナエルの顔付きがさらに恐ろしいものへと変わっていく。


「そんなことは許されない。世界はこの千年で、驚くほど発展して人口も増加した。森林は切り開かれ、水は汚れ、兵器が開発され、このままでは破滅の一途を辿る。それを元に戻すのが、魔女の役目なのだから」


(やっぱり、アナエルは──)


 彼女の心に、胸が震える。

 だからこそ、伝えなくてはならないと。


「許されないって、誰が許さないの? あなたのいた時代の神はもういないというのに」

「どうしてそんなことが言える。信仰心が薄れたとはいえ、神はまだ──」

「わかるの」


 ローズマリーは自身の胸に手を置いた。

 かつて、そうして神と対話してきた巫女は、どれだけ意識を集中しても、神の影を欠片も感じることができない。

 確かに消滅してはいない。けれど、いない・・・のだ。


「私のずっと前の前世は、神の……巫女だったから。もう神の声は聞こえてこない。だって──」


 ローズマリーは、アナエルの隣で立ち尽くしているパラドナへと視線を向けた。


「アナエル……あなたの妹が、私たちの女神様だったんだもの」


 女神歴が始まって、一〇二〇年。

 ずっと崇められ続けてきた、人々に愛されし女神。

 パラドナの神々しい姿が、そこにはあった。

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