第42話 儀(ぎ)

 身動きが取れない。


 ホームにいるわたしは、からだに巻きついた大量の赤い蛇でぎっちりと固定されている。


 下の線路では、ハナちゃんとヒナちゃんが戦っていた。


 東と西に分かれ、線路のさきからくる付喪神つくもがみの行列と戦っている。


「ほう、見事見事」


 むかいのホームから聞こえた。


 男性が、ベンチに腰をかけている。


 鬼塚浩三だ。うぐいす色した着物のそでに両腕を入れてながめていた。


 ととのえた白髪。上品そうな初老の男性。


 けど上品そうなのは見た目だけ。むかしの同級生たちに呪いをかけ、貝殻をつかったわなで町の人々にも呪いをかけた。


 さらには明日、全国から人がくるのに、児島駅にも呪いをかけている。


「ふたりは子どもながら、じつによく戦う」


 ハナちゃんとヒナちゃんを助けにいきたかった。でもどれだけ力を入れても全身にまきついた赤い蛇たちがふりほどけない。


 わたしが力を入れているのがわかったのか、着物の男性はわたしに声をかけてきた。


「皮肉なものだね。古い道具というのは、ひとに愛された証拠。それなのに、その道具が人を襲う」


 男の言うとおりだった。ハナちゃんとヒナちゃんが戦っているのは付喪神つくもがみ箪笥たんすや、ふり子時計といった古い家財道具だ。それが手足をはやして人を襲っている。


 むかいのホームを見ると、イザナミさんも動けないままだ。おなじように足もとから手首まで赤い蛇たちにまきつかれている。


 残るもうひとり巫女、鈴子さんもまだ柱のかげで倒れていた。


「ふたりともよく戦っているが、計算外なのが二匹」


 そう、ハナちゃんとヒナちゃんには、それぞれ『おとも』がいた。柴犬のシバタと小猿のサルヒコだ。


 息のあった戦いを見せていた。ヒナちゃんがつかうのは足で、飛び跳ねるようにまわし蹴りをくりだす。その死角を守っているのが柴犬だった。ヒナちゃんのまわりを走りまわりながら付喪神を攻撃している。


 いっぽうで手をつかうハナちゃんは、どっしりと地に足がついた戦いかただった。


 穴あきグローブのついた拳をにぎり、せまる敵にむかって正拳突き。また足もとをはってきた敵には拳を打ちおろす。すると上から小さな付喪神が飛んでくる。それに飛びかかるのが小猿のサルヒコだ。ハナちゃんが下、サルヒコが上を守っている。


「付喪神のほうにも助っ人をだしてみるか」


 ベンチに座る鬼塚浩三が、着物のひざの上でなにか紙を折っていた。


 折っていたのは紙飛行機だ。それをひょいと飛ばした。


 紙飛行機は、しばらく飛んだあとホームへ落ちる。そこへ黒く小さな虫みたいなものが集まってきた。またあの雑物神ぞうもつしんたちだ。


 紙飛行機を作って投げ、また作っては投げる。それが地面へ落ちるたびに雑物神たちが集まり黒い人影が作られていく。


 紙飛行機は、こちらのホームにも飛んできた。


「シバタ、精螻蛄しょうけらをやって!」


 ヒナちゃんが柴犬をかついでホームへもどした。柴犬のシバタが、わたしの近くにせまる精螻蛄しょうけらたちへとかみついていく。


 見ればむこうでは、ハナちゃんも相棒の小猿をホームへもどしていた。


 ふたりと二匹はちりぢりになって戦うことになった。線路の東西に分かれて戦うのがハナちゃんとヒナちゃん。こっちのホームでシバタ、むこうのホームでサルヒコが戦っている。


シロガネ!」


 わたしの小刀を呼んでみる。シロガネがぼんやりと光った。けどそれに気づいたかのように赤蛇たちがしめつけを強くした。


「んっ!」


 しめつけられて息が苦しい。見ればシロガネの光も消えていく。


 どうにもできない。でもあきらめるのも絶対にいやだ。ハナちゃんとヒナちゃんのふたりを見た。ふたりの顔は、まったくあきらめたような顔ではない。

 

「ちょろいっての!」


 まわしげりで茶箪笥ちゃだんすを倒しながらヒナちゃんが言った。


「朝めしまえじゃ!」


 ハナちゃんも正拳突きでせまる三面鏡をたたき割った。


 けど、どちらもひとりだ。付喪神の行列に押され始めた。


 ふたりが戦ううちに後退していく。そしてついにふたりは背中あわせの距離になった。


「ハナちゃん、ヒナちゃん!」


 思わず声がでた。


 戦いながら、ふたりがわたしを見た。


「カヤノ、いま助けるから、ちょっと待ってて!」

左様さよう。しばしの辛抱しんぼうじゃ」


 ふたりの声を聞いて泣きそうになった。泣いてる場合じゃないのに!


「…………


 なにか聞こえた。耳をすましてみる。


「…………


 イザナミさんだ。からだは赤蛇にまきつかれて動けないはず。けど片手でなにか印をむすんでいた。


「…………


 あれはたしか、トンネルでイザナミさんがつかった手印と言葉。十種祓詞とくさのはらえことばと聞いた。


「……


 ななだ。イザナミさんは七まで数えている。


 あまり強い力は、自分自身を焼いてしまう。そうイザナミさんは言っていた。トンネルのときでさえ、となえた数は三つまで。


「イザナミさん!」


 大声で呼ぶと、わたしのほうをちらりと見た。


「娘たちを守る」


 イザナミさんはそれだけ言うと、全身にまきついた赤蛇に負けじと、ふるえる手で次の印をむすんだ。


「……


『や』と聞こえた『八』だ!


「イザナミさん、だめです!」


 わたしは止めようとしているのにイザナミさんが片手の手印を変えていく。


「……

「イザナミさん!」


 もういちど呼んだ。イザナミさんがわたしを見て、すこしほほえんだ。


「……


 最後の十を数え、イザナミさんは天へと手のひらをむけた。ホムラ、カギロイ、カマド、どの術をつかうのか。


まいられよ。伊弉冉尊イザナミノミコト


 口にしたのは自身につけられた神の名前。


 まばたきするほど一瞬だった。夜の闇。天から巨大な柱が落ちてきた。光の柱だ。柱は地上で跳ね返った。跳ね返ると同時に火柱が天にむかって噴きだした!


「イザナミさん!」


 さけんだ。むかいのホーム。火柱があがっているのはイザナミさんのいたところだ。


 火柱のなかからイザナミさんが動いた。腕や足からなにかが落ちている。それは火だった。ぼたぼたと溶岩ようがんのように火のかたまりが生まれては落ちていく。


 火を全身からしたたらせ、まるで火でられたそでを着ているかのように見えた。


 イザナミさんが手をかるくふると、からだから生まれる火のかたまりが飛んだ。それは茶箪笥ちゃだんす付喪神つくもがみを突きぬけて、次の洋服箪笥ようふくだんすへと当たった。突きぬけられたほうも当たったほうも二体ともが炎に包まれくずれ落ちる。


 また水のしずくを指ではじくかのように動けば、指のさきからも炎の玉がはきだされた。


 炎のしずくはいくつも飛び、それがまわりにいた黒い人影の精螻蛄しょうけらたちに当たると蒸発するように消えていく。


 ほのう化身けしんだった。イザナミさんは炎をしたたらせ炎を引きずりながら歩いていく。


 イザナミさんはどこにいくのか。むかうのはホームのはしだ。そこにはベンチに座った鬼塚浩三がいる。


「イザナミさん!」


 わたしを渋谷で助けてくれた刑事さん。児島ではわたしの師匠だ。


 イザナミさんがふり返った。でもその表情はイザナミさんではない。無表情ともちがう。なにか人間ばなれした顔つきだった。


 気づけば、わたしに巻きついていた赤蛇たちがいない。足もとにある小さな鳥居を見た。逃げ帰ったのか。


 わたしはむかいのホームへいくため線路へ飛びおりた。そのわたしの肩をだれかがつかんだ。


「カヤノ、いまは近づかないほうがいい!」

「ヒナちゃん、でも!」


 わたしの肩をつかんだのは水色の巫女ヒナちゃんだ。


 線路にいる付喪神たち、ホームにいる精螻蛄しょうけらたち、そしてわたしたち。すべてが炎の化身となったイザナミさんを見ていた。いやあれはイザナミさんなのか。伊弉冉尊イザナミノミコトなのか。


 着物のように炎を引きずり、イザナミさんはホームのはしにむかって歩いていく。


「待て、待ってくれ」


 ホームのはしにいるのは初老の男性、鬼塚浩三だ。ベンチから立ちあがり、白線の近くまででて両手をあげた。


「降参だ。もうなにもしない。力もつかわない」


 両手をあげていた鬼塚浩三は、なにかを思いだしたように手をさげた。うぐいす色した着物のそでに手を入れる。


「私の依代よりしろだ。これをわたす」


 鬼塚浩三がだしたのは白く短い棒だった。


 いや、白い棒じゃない。あれは人の骨だ。しかも骨のまわりはひどく空気がよどんでいる。


「なにか変です!」


 わたしは大声をあげた。けどイザナミさんの耳には届いてないようだった。


 うやうやしく鬼塚浩三がホームへひざをつき、両手で白い骨の左右をつまんで差しだした。


 炎をしたたらせ近づくイザナミさんが燃える右手でそれをつかんだ。


 その瞬間だった。黒い人影である精螻蛄しょうけらたちがくずれおちた。風が砂をまきちらすかのように黒い砂となって風に舞う。


 風に舞う黒い砂は空中でうずをまいた。


 そのまま消えるのかと思った次の瞬間、うずの流れが変わった。人骨を持つイザナミさんへと吹き付けた!


 炎をまとうイザナミさんの表面で黒い砂のような雑物神たちが焼かれていく。それでも雑物神たちはイザナミさんへと集まった。


 あちこちからも黒い虫のように雑物神たちがわきでてきた。イザナミさんの足もとへ集まっていく。すでにイザナミさんの腰から下は黒い虫の山でおおわれていた。


「イザナミさん!」


 駆けだそうとした。わたしの声にイザナミさんもふり返った。遠くにいるわたしへと手をのばすのが見えた。その手も下からはいあがる雑物神たちによって瞬時におおわれた。


「ずいぶんと待った」


 ホームにひざをついている男性が言った。


「たどりやすいように貝殻かいがらに呪いをつけた。そして駅を見にきたと売店の女に言った。この児島に駅はひとつしかないだろう」


 いや、旧下田井駅もある。そうか、この人はあそこを知らないんだ。あそこは鉄道マニアが知る観光地だ。


「まったく何日かかることか。夜ごと、この駅を見はるのは骨が折れる。刑事のくせに調査もできないのか、宮部みやべ伊邪那美いざなみ


 男性はイザナミさんの名字まで知っている。つまり、ねらいは最初からイザナミさん!


「われ、ことをなしたり」


 骨をさしだした鬼塚浩三が立ちあがった。ふところに手を入れると一枚の紙を取りだした。それを黒い人影となったイザナミさんの胸もとへはりつける。


「ここに『くにみの』をとりおこなう」


 胸もとの紙はすぐに見えなくなった。次から次へと黒く小さな雑物神たちが集まっていくからだ。


「これでこの国は、生まれ変わるぞ」


 紙をはりつけた鬼塚浩三がさがった。


 黒い人影となったイザナミさんは顔をかきむしるような動作をした。なんとか雑物神たちを引きはがそうとしている。


「国生みの儀……」


 声がしたほうを見た。つぶやいたのはハナちゃんだ。ピンクのはかまをはいたハナちゃんは、目を見ひらき立ちつくしている。


「ハナちゃん、国生みの儀ってなに!」


 大声で聞いたけど答えたのはわたしのうしろ。水色巫女、ヒナちゃんのほうだった。


「日本書紀の始まり。この国と、やおよろずの神々を生んだ儀式」

「儀式ってヒナちゃん、イザナミさんはだいじょうぶなの!」


 ヒナちゃんもぼうぜんと目を見ひらき、イザナミさんを見つめている。


「ヒナちゃん、イザナミさんを助けないと!」

「呪いじゃなかった」

「なに、ヒナちゃん!」

「イザナミにも見えない呪い。そう思ってた」


 気づけば駅じゅうの隙間すきまから黒い雑物神たちがはいでてきている。もう壁のあちこちに書かれた『神代文字かみよもじ』は見えなかった。壁も柱も、あらゆるところが雑物神たちで黒くおおわれている。


 壁や柱だけじゃなかった。ホームは黒い絨毯じゅうたんのように見えた。それがさらに黒い人影となったイザナミさんのもとへと集まっていく。


 全身をかきむしるイザナミさんはふらふらと歩き線路へ落ちた。黒い絨毯じゅうたんが動きその上へおおいかぶさっていく。


 気づけば空気がよどんでいた。あたりの空気がすべてよどんでいる。真夏のようにゆらいでいた。


「呪いじゃない。気配けはいだった」


 ヒナちゃんもよどむ空気が見えたのか、空中を見つめている。


「ヒナちゃん、気配ってなに。だれの気配!」

伊弉冉尊イザナミノミコトおっと


おっと』とヒナちゃんは言った。火の神さまである伊弉冉尊イザナミノミコトが女性なのは知っていた。その夫。


「だめだこれ。人が戦える相手じゃない」


 ヒナちゃんがなにかを見あげている。わたしもふり返った。


 わたしたちのまえにいるのは、古い家具たちがけた付喪神の行列。でもそのむこうだ。黒い山ができていた。


 山の左右が不自然にのびる。腕だ。黒い山から、まるまるとした腕がはえた。


 巨大な黒い腕は、左右のホームに手をついた。山の頂点がまるくなっていく。今度は頭だ。黒い頭ができていく。


 すんぐりむっくりで、まるまると太った人のかたちに見えた。


「赤ちゃん?」


 まるまるとした人のかたちは赤子のようだった。


 巨大な黒い赤子。目はただの空洞だった。ふたつの大きなくぼみの奥には暗闇があるだけだ。


 その赤子が笑った。赤ちゃんが笑っただけなのに、邪悪すぎる笑いだった。その笑いで周囲の空気がさらによどんでいく。


 わたしは気を失いそうになりふんばった。もする。


「ヒナちゃん、この神さまってなに!」


 ヒナちゃんに聞いたけど、ヒナちゃんは聞こえていないようだった。


「ハナちゃん!」


 ハナちゃんにむけて声をだした。


「イザナミの夫、イザナギじゃ……」

「イザナギ?」

「別の名前もある」

「別の名前?」

わざわいの神。禍津日神マガツヒ


 ハナちゃんはそれだけいうと、黒く巨大な赤子を見あげた。


「すべては呪いじゃなかった。わざわいいの神の気配だったんだ……」


 ヒナちゃんのつぶやきが聞こえた。


 わたしの大先輩である双子の巫女は、ただ立ちつくして巨大な黒い赤子を見あげていた。

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