第16話 禊(みそぎ)

 修行。


 この『修行』という文字は仏教からきた言葉らしい。


 そのため神社によっては『修行』とは言わず『みそぎ』と呼ぶこともあるらしい。


 イザナミさんは、そこまでこだわりはないらしく、ふつうに修行と言っていた。


 巫女としての修行が始まる。


 午前中の修行は予想どおりというか、神社の掃除そうじだった。


 掃除の場所は『拝殿はいでん』と呼ばれる神社でいちばん大きな建物のまわり。ほうきで土の地面をはく。小さなゴミひとつないように、ていねいにはく。


 今日のわたしは、巫女さんのかっこう。わたしあてに神社本庁(裏)から巫女衣装が届いたからだ。


 上は白い胴着。下は明るい赤色のはかま


 巫女さんのイメージとしてあるはかまの『明るい赤』は『緋色ひいろ』というらしい。


 巫女さんのかっこうをして境内けいだいを掃除するという作業は、なんだかほんとの巫女さんみたいで楽しかった。


 それとは逆に、つらかったのが午後の修行。なぜか石の階段を走って往復するという修行だ。


 一時間もすると、スポーツをしてこなかったわたしの足腰は悲鳴をあげ、縁台えんだいの上に寝ころんだ。


 たたみ一枚分はありそうな、大きな木製の縁台だった。寝ころぶのにちょうどいい。


 もちろん寝ころぶための縁台ではなく、石の階段を上がってきた参拝客がひと休みするために置かれたものらしい。


「だらしないな、カヤノ」


 わたしを上からのぞきこむのは、あきれ顔のイザナミさんだ。


「あの、イザナミさん」


 息を切らしながら聞いてみる。


「これなんだか部活みたいですけど、意味あるんですか?」

「どうだろうな」

「ええっ?」


 おどろいて首を持ちあげてみる。全身が筋肉痛で、からだを起こすのは無理だった。


 わたしが寝ころぶ縁台の足もと。座ったイザナミさんは、遠くの海へ目をやった。


「じつは、こういうことをすれば神々の力がつかえるようになる。という決め手はない」

「ないんですか!」

「やおよろず。八〇〇万もいる神々だ。その特性はすべてちがう。そしてそれに同調する人間の感性も、人それぞれだ。法則みたいなものはない」


 じゃあ階段を走る意味がない。そう言おうとしたら、さきにイザナミさんが口をひらいた。


「なんにせよ、体力はあったほうがいい。精霊だろうか暴行犯だろうが、有効なことのひとつは『走って逃げる』だろ」


 それは反論の余地がない。渋谷でもわたしは走って逃げた。


「ハナヒナのふたりは、最初から力をつかえた。ところが、ある巫女は座禅中にコツをつかんだり、寝ているあいだに夢のなかでつかえるようになった者もいる。交通事故の瞬間につかえるようになったヤツもいたかな」


 ほんとうに人それぞれだ。


「イザナミさんのきっかけは?」

「喫茶ニルヴァーナだ」

「ええっ!」

「高校生になってバイトをした。初めての給料をにぎりしめて『黒い悪魔』を食べにいった。そしたら町内会の貸し切りとかで満員でな。怒りに打ちふるえていたら手から炎がでた」


 それは、まったく参考にならない。


「だけどな……」


 海を見つめていたイザナミさんが神社の庭をふり返った。


「ここにいるのは意味があるぞ。神社は神々のあつまるところだからな」


 それはすごくわかる。やっぱり神社の敷地に入ると、なにか空気感がちがった。


 痛いからだを起こして、わたしは庭を見まわした。六月なのに季節はずれの梅がさいている。


 白い梅の花がさきほこった神社の庭は、梅キャンディーのような香りが充満していた。


「あっ、ウグイス!」


 白い小さな梅の花を、緑の小さな鳥がつついている。


「あれはメジロだ。目のまわりが白いだろ」


 言われてみれば。緑色の小鳥にある小さな目。その目のまわりには白い毛がはえていた。


 多くの梅の木がある庭をながめていたら、犬が通った。おそらく小型の柴犬しばけん。目をうたがったのは、その柴犬の背に小猿こざるが乗っている。


「イ、イザナミさん、あれ……」

「ハナとヒナの依代よりしろだ」


 依代。ハンバーガー屋で、ヒナちゃんにも教わったっけ。精霊を引きよせる助け。


今朝けさに神社本庁の護送便ごそうびんで届いた。もともとはふたりと二匹を同時に車でつれてくる計画だったんだがな」


 それはきっと鉄道マニアのヒナちゃんが『新幹線でいく!』とごねたにちがいない。


 わたしはハナちゃんとヒナちゃん、ふたりの姿を探した。わたしが周囲を見まわしたのがわかったのか、イザナミさんが説明を口にした。


「あのふたりに依代よりしろはさほど必要ないんだ。ただ家族みたいなものでもあるので、ここにつれてきている」


 お猿さんを乗せた柴犬がまたもどってきた。わがもの顔で神社を散策しているようだ。


「あの二匹、名前とかあります?」

「柴犬のほうがシバタ。日本猿のほうがサルヒコだ」


 えっ。サルヒコはわかるけど、柴犬がシバタって。あの双子の感性って独特だ。ご両親が変わっているのかな。


「アタシの依代よりしろ弥七やしちという」


 休日なのでジャージを着ていたイザナミさんが、ポケットから白いヤモリをだして肩の上に乗せた。


 ヤモリのヤシチ。そうか、ハナヒナちゃんの感性が、だれの影響を受けたものなのかわかった。この人にちがいない。


「イザナミさんは、そのヤシチさんといつもいっしょですね」


 あの渋谷でも、ポケットからだした。ヤモリと仲がいいのかと思えば、イザナミさんが口にした理由は別だった。


「アタシが同調できる火の精霊は、精霊のなかでも力が強い。気をぬけば、わたし自身が燃えてしまう」


 それは怖い!


「ヤシチは、わたしの守り神だな」


 そう言って立ちあがったイザナミさんだったが、肩に乗るヤモリも背筋をのばしたかのように見えた。小さな白いヤモリが、なんだかたのもしい。


 わたしの依代はなんだろう。ハンバーガー屋でためしたけど、木のえだはちがった。


 縁台からおりて、梅の木に近づいてみる。わたしが近づいていったことで、花の蜜をつついていたメジロは飛び立っていった。

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