第27話 海(うみ)

 みんなで防波堤の上に座った。


 いなかの海岸ぞいなので、車もまったく通らない。のんびりとした空気が流れている。


いくさのあとじゃ。こばらがすいたの」


 海を見つめてつぶやいたのはハナちゃんだ。それで思いだした!


「アップルパイ、あります!」


 そばに置いていたハンバーガー屋の紙袋を持ちあげた。


「あきれた」


 シルクのパジャマであぐらをかくイザナミさんが口をひらいた。潮風になびく茶色い髪をうざったそうに耳にかけながら、わたしが持ちあげた紙袋に目をやった。


「みんなの分も買ったのか」

「はい」

「いらないって言われたらどうする?」

「わたしが食べます」

いつつもか」

「はい、大好物なので」

「じゃあ食べるのも悪いな」

「そんな、寝ているおふたりを元気づけようと」


 風邪かぜがなおったあと、わたしはアップルパイとバニラシェイクが食べたくなる。今日は飲みもの買ってないけど。


「ほうじ茶を買ってきたぞよ」


 見ればハナちゃんが、ペットボトルのお茶を五本もかかえている。そこの自販機だ。ハナちゃんすばやい! 


「そこはストレートティーだろ。アップルパイだぞ」


 イザナミさんに文句を言われて目をひんむいたハナちゃんだったけど、鈴子さんが立ちあがり防波堤をおりてハナちゃんに近づく。


「ワタクシ、ほうじ茶、好きですわよ」


 鈴子さんはそう言って、やさしくその腕にあるペットボトルを一本取った。


 わたしもハナちゃんからペットボトルをもらい、かわりに紙袋からアップルパイをわたす。


 それぞれ、ほうじ茶とアップルパイを手に持って、石の防波堤へ腰をおろした。


 わたしはアップルパイの封をすぐにはあけず、みんなが食べたり飲んだりするのを、しばらくじっと見ていた。


「どうかされました?」


 わたしのすぐうしろ。ゴスロリパジャマの鈴子さんに声をかけられた。


「いえその、大好物のアップルパイですけど、だれかと食べるのは初めてだなって」


 安いしおいしいアップルパイ。でも東京でハンバーガー屋にいくときは、ちょっとひと休みしたいときが多い。だからだいたいひとりだ。看護師でいそがしいお母さんといくこともないし。


「カヤノは、神さまは自分しか見えないと思っていたクチだ。友達いないタイプだよな」


 いちばん遠くに座るイザナミさんが笑って言った。


「あのさ」

「なんだ、ヒナ」

「児島のペティナイフ。そう呼ばれてたイザナミが言えたことじゃないと思うけど」

「ヒ、ヒナ、なんでわたしの学生時代を知ってる!」

「三千子おばちゃんから聞いたから」

「おまえだって、にた感じだろ!」

「あっ、だからか。イザナミの妹さんかって先生に聞かれた」

「ほら、にてるから、アタシの若いころに!」

「児島に住むのも考えもんだわ」

「ちょ!」


 イザナミさんは、となりに座るヒナちゃんとやりあっている。たしかに、にているふたりだ。


「イザナミさま」


 ふいに鈴子さんが、まじめな口調を発した。


時空回廊じくうかいろう弁償代べんしょうだい、ワタクシが払うと申しあげましたのに、まだ金額を聞かされておりませんが」


 そうだった。お店をめちゃくちゃにしたんだった!


「ああ、あれか」


 イザナミさんはもうアップルパイを食べ終えたのか、入っていた箱をひねってつぶした。


「本庁のほうに請求をまわしておいたから、ほっといていいぞ」


 その『本庁』とはきっと警察のほうではない。『裏神社本庁』だ。


「だいじょうぶですの? あまり勝手をしますとイザナミさまのお立場が」

「どうせ、きらわれてるさ。本荘院ほんそういんのやつらに現場がわかってたまるか」


 なんだか警察のことみたいにイザナミさんは言うけど、ハナちゃんとヒナちゃんも顔をしかめて聞いている。鈴子さんの口調からも、あまり本庁というのは好かれてないみたいだ。


「鈴子さん、本庁とはどこにあるんですか。やっぱり伊勢神宮?」

「カヤノ」


 イザナミさんが割って入った。


「裏神社本庁は、その場所も構成員も秘匿ひとくの対象だ。ひとにぎりの者しか知らない」


 そうなんだ。


「イザナミさま」

「なんだ鈴子、だから弁償は気にするなって」

「いえ、いろいろと誤解がとけましたので、残りひとつ気になることが」

「なんだ、なんでも言ってみろ」

「神社の裏、小さな丘にある頭の切れたお地蔵さん」


 あった。なぞのお地蔵さん! いろいろありすぎて、わたしは忘れていた。


 イザナミさんは、すこし遠くを見つめた。きらきら光る青い海のむこう。しばらく見つめ、そしてわたしたちに顔をもどした。


「暗い話だぞ、聞いてもつまらん話だ」

「聞かせていただけるなら、ぜひに」


 鈴子さんが背筋をのばしてイザナミさんにからだをむけた。それを見たイザナミさんも、小さくうなずいた。


「むかし、ここ児島でひどい土砂どしゃくずれがあってな。近隣きんりんの人たちが暴風雨のなか助けにいった」


 イザナミさんの説明を聞き、いやな予感がした。イザナミさんの両親はすでに亡くなっている。


 鈴子さんもそれに気づいたのか、いつになく真剣な顔で聞き返した。


「もしかして、そこにご両親が」

「そう、二次災害ってやつだ」


 わたしはふたりの会話をだまって聞いているけど、心はおどろいていた。イザナミさんのご両親は、土砂災害で亡くなっていたなんて。


「そののち、掘り返されたなかに、あのお地蔵さんがあった。顔の上半分がないのは、なにかにぶつかって割れたんだろう。大きな岩なんかも山から落ちてきてたからな」


 そこまで説明して、イザナミさんはすこしほほえんだ。みんなだまって聞いている。


「大量の土砂と、こなごなになった家々。その下からでてきたのが、顔の半分がないお地蔵さんだ。捨てるわけにもいかない。そこでアタシが、鎮魂ちんこんの意味もこめて引きとったんだ」


 鈴子さんが納得したのか、大きくうなずいている。


「ワタクシたち、とんだまちがいでしたわね」


 鈴子さんがわたしにむけて言った。わたしもうなずく。


「イザナミさまも、イザナミさまのご両親も、すばらしいかたですね」

「そう、ですね」


 すこし答えにこまった。


「ワタクシや、ハナさんヒナさんは実家が神社。カヤノさんのご両親は」

「鈴子、そういう話、カヤノにはふるな」

「えっ?」


 鈴子さんがおどろいた顔でイザナミさんを見た。わたしもおどろいている。


「それは、理由を聞いてよろしいお話しですの?」

「どうだかな。カヤノがいいって言うなら」


 鈴子さんがわたしの顔を見た。ヒナちゃんもハナちゃんも、アップルパイを持ったままわたしを見つめている。


「カヤノ、なにも話さなくても、もちろん問題ない。カヤノは父親を亡くしている。みな家族の話はカヤノに聞くな」

「い、いえ、聞かれたくないわけでは……」


 忘れたい記憶。でもだからといって話したくないわけでもない。とくにここにいるみんなには。


「説明を口にしたくなければ、アタシがみなに説明するぞ」

「なんでイザナミさんが、父のことを……」

「刑事だぞ。調べれば個人情報はすぐにわかる」


 そうだった。イザナミさんは刑事だった。


「言っただろう、わたしとおまえは、にていると」


 言った。思いだした。たしかに新幹線のなかでイザナミさんは言った!


「あの、ひょっとして、あのときわたしを席のまんなかに座らせたのは……」

「ああ、ひょっとしたら電車が怖いかもと思ってな」


 それは、すごい気づかいだ。たしかに飛行機などで窓ぎわが怖い人もいる。


 イザナミさんは、わたしのお父さんのことを知っている。だからわたしが電車を怖がる可能性があると考えていたのか。


「アタシから説明するか?」


 イザナミさんの言葉にうなずいた。これはイザナミさんのやさしさだ。


浅見茅野あさみかやの。父の名は浅見隼斗あさみはやと


 淡々とした口調で、イザナミさんは説明し始めた。


「カヤノの父も、人を助けて亡くなっている」


 鈴子さん、ヒナちゃん、ハナちゃん、三人ともが目を見ひらき、わたしを見た。


「おなじとおっしゃいますと、おなじく土砂くずれで」

「ちがう鈴子。カヤノの父は、列車の脱線事故だ。それに乗っていたカヤノの父は、なかの乗客を数名助けた。だが次の瞬間、列車は谷底へ。すぐに自分だけ逃げれば、助かったんだろうがな」


 その事故の状況は、わたしと母が現地へいったさいに、警察の人が教えてくれた。


 鉄橋から落ちて、谷底でぐしゃぐしゃになっていた電車。なかの遺体はすべて回収されていて、大きなクレーン車がそれを持ちあげようとしていた。


 谷底には、亡くなった乗客の家族が花をそなえていた。ごつごつした岩場のあちこちに、花束がいっぱい置かれていた。


 東北への出張だった。おみやげ買って帰るからな。そう言って家をでた父の背中が最後に見た姿。


 お葬式のときも、棺桶かんおけのフタは閉じられたままだった。鉄橋から落ちた電車だ。父の遺体がきれいでないことは、簡単に想像できた。


「あまりくわしい話はしない。だが、これでじゅうぶんわかっただろ」


 イザナミさんの言葉に、鈴子さんはうなずいた。ハナちゃんとヒナちゃんもだ。


「まあ、神さまとか、自然とか災害とか、人の勝てる相手じゃない。そして人は死ぬが、かといってだれかのせいでもない」


 イザナミさんの言葉はおなじだ。父が死んでそれをずっと考えていたわたしも、おなじ答えにたどりついた。


 ほんとだ。わたしとイザナミさんは、にている。


「暗い話はやめだ。せっかくいい天気なのにな」


 イザナミさんはそう言うと、からだのむきを海へとむけた。ほかの三人もそれぞれに海へと顔をむける。


 今日も瀬戸内海はおだやかで、海面がきらきらしていた。


 きらきらした海のなかに、小さな岩だけの島を見つけた。その岩のまわりに何匹かの海鳥うみどりがむらがっている。


 漁を終えたのか、その海面に突きでた小岩の近くを漁船が通っていく。


 そういえばむかし、お父さんがいたころは車で海へよくつれていってもらった。お母さんも海は好きだった。


 この海をお母さんにも見せてあげたくなった。でも、お父さんが列車の事故で亡くなってから、お母さんは電車に長時間乗るのをいやがる。


 ちょっとだけ、お母さんに会いたくなった。


 お母さん、いまなにしてるかな。そんなことを思いながら、わたしはアップルパイの封を切り、海をながめながら食べることにした。

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