第26話 青春(あおはる)

 あれから三日。


 トンネルでの戦いから、早いものでもう三日たつ。


 今日はやることもないので、わたしは児島駅まででて、ハンバーガー屋で大好物のアップルパイを買ってきた。


 ついでに本屋さんにもよって、日本の神話が書かれた本も買った。


 自分の部屋でアップルパイを食べながら読もう。そう思っていたけどやめた。今日は天気がいい。


 わたしたちの下田井しもたい神社があるのは小さな山の上だ。長い石段をおりると、海ぞいの道路にでる。


 わたしは防波堤ぼうはていの上に座り、海をながめながらアップルパイを食べることにした。


 ここの防波堤は、コンクリートではなかった。巨大な四角い石を積みあげた防波堤だ。お城の石垣いしがきみたい。


 石の防波堤は、とても低かった。道路からの高さは、わたしの腰ぐらいしかない。


 厚みはあるのに高さはない防波堤だ。わたしは悠々ゆうゆうと石の防波堤にのぼり、腰をおろした。


 足は海のほうへ投げだし、瀬戸内海をながめる。


 ながめていると、なぜこの防波堤が低いのかわかった。この海は瀬戸内海。とても波が小さい。ちゃぷちゃぷと海水の表面が、おだやかにゆれている。


 おだやかな青い海。小さな島の数々。瀬戸内海はきれいだった。


「はぁ」


 海をながめていると、思わずため息がでた。アップルパイを食べるのはあとにして、石の防波堤に寝ころんでみる。


「すごい深いため息。どうかした?」


 青空を見ていたわたしの目にうつったのは、女の子のスパッツだ。制服の短いスカート。


「ヒナちゃん?」


 あわてて起きた。制服を着ていたのは水色ショートヘアのヒナちゃんだ。


「ヒナちゃんが制服、めずらしい!」

「こっちの中学に編入するから。ハナと学校へね」

「えっ、手続きに、ふたりだけで!」

「母が午前中だけきた。いそがしくて、もう帰ったけど」


 地元のお祭りがあるらしくて、ご両親どちらもいそがしいらしい。


 でもそっか。ふたりはしばらく児島に住むのか。


 まわりを見まわしたけど、ハナちゃんの姿はない。


「ハナちゃんは?」

「学校の近くに、おいしいお好み焼き屋があるらしくて。その下見にいった」


 お好み焼き屋の下見。そんなこと初めて聞く。どこもおなじだと思うけど。


「たこ塩ヤキソバってのがご当地メニューみたい」

「そんなメニューあるの?」


 そうだった。ここはタコが名物。そうなると、なんにでもタコが入るのかも。


 知らないことが多い。そもそもタコがどこでれるかなんて、考えたこともなかった。


 わたしは海に目をうつし、遠くに見える四国の大陸を見つめた。関東にいたころはわからなかった。住む場所によって、食べるものは大きくちがう。


「あれ?」


 遠くの四国をながめていたけど、ひとつ気づいた。


「ヒナちゃんがここ、ハナちゃんはお好み焼き屋。じゃあ、イナザミさんと鈴子さんは?」

「どうせまだ寝てんじゃない?」


 ヒナちゃんは気楽そうに言ったけど、それが心配だった。あのトンネルでの戦いから、ふたりは熱をだして寝こんでいる。強い力をつかうということは、自分にも強い力が返ってくるらしい。


「家にだれもいないんだったら、わたし帰っておこうかな」

「いいって。今日は三千子みちこおばちゃんきてるし」


 ヒナちゃんの言う『三千子おばちゃん』とは、お手伝いの人だ。長年にわたり下田井神社をささえた人で、二日に一度はきてくれる。『がはは!』と笑うけっこう気さくな人だった。


「でさ」


 ヒナちゃんが、わたしのとなりに腰をおろした。わたしとおなじように足は海のほうへぶらさげる。


「さっきの、なに。深いため息」


 水色ショートヘアのヒナちゃんは、あごをあげて見くだすような視線で言った。でも顔とはちがい言葉はやさしさそのものだ。


「んー」


 なんて言ったらいいか。


「わたしだけ、なんにもできないんだなって」

「はぁ?」


 かわいい顔なのに、ヒナちゃんは八重歯やえばが見えるほどほほをつりあげ顔をしかめた。


「あのトンネルでの戦い。みんな戦ってたのに、わたしだけ」

「カヤノ、火炎放射してたじゃん」


 キンチョールのことだ。


「あれはイザナミさんのジッポのおかげ。わたしは力をつかえないし」

「始めたばっかでしょ、なにナマイキ言ってんの」


 小さなヒナちゃんが、その小さな足をぶらぶらさせて海へと視線をうつした。ヒナちゃんの神さまは、足の神さまだ。


 みんなそれぞれ、自分の神さまがいる。もうひとりのほう、ハナちゃんの神さまは手の神さま。そして鈴子さんの神さまは、なんと音の神さまだった。


「わたしは、わたしの神さまがなんなのかすら、まったくつかめない」

「鈴子が音でしょ、カヤノもその名前考えると、やっぱり草の神じゃない?」

「そう、わたしもそう思った!」


 カヤノヒメ、という草の神さまがいる。


「あれから、草の上で座禅したりしてみた」

「それいい! んでんで?」

「いつのまにか寝ちゃってて、いっぱい虫に刺されてた」


 わたしは私服のスカートをちょっとあげ、虫に刺された赤いポツポツの足を見せた。


 ヒナちゃんがそれを見て、ゲラゲラ笑った。


「カヤノってやっぱ、キンチョールが必要!」

「ヒナちゃん、それちょっとヤダ!」

「じゃあ、カヤノの神は、キンチョールの神?」

「ええっ? それって依代よりしろはニワトリ?」

「うわっ、カヤノ天才!」


 ヒナちゃんがおなかをかかえて笑う。つられてわたしも笑えた。


「神社の家に生まれたわけでもないのに、神さまを見ても引かない。それだけでも、ウチはすごいと思うけどな」


 ヒナちゃんはそう言うと、ひたいにかかる前髪を指ではじいた。そして海のむこうへ視線をうつす。水色のショートヘアが海風ですこしゆれた。


 中学生なのに、すごいおとなびた横顔だった。そういえば有名でもない地方の神社は、おまいりする人がすくなく困っているという。そのためにヒナちゃんは目立つ姿で巫女をしている。すごく立派。おとなびているわけだ。


 遠くを見つめるヒナちゃんは、なにを考えているんだろう。わたしも青い海に目をやった。小さな漁船がいくつか海に浮かんでいる。


 目をこらしてみると、遠くからでも漁船がゆれているのが見えた。豆つぶのような小さな漁船が、大きな海にゆられていた。それはまるで、おとなという広い世界にいる小さなヒナちゃんみたいだった。


「おい、なんだ、青春まっさかりみたいに海をながめて。もしくは中二病まっさかりか?」


 元気な声におどろき、ふり返った。


「もうだいじょうぶなんですか!」

「ああ、よく寝てすっきりだ」


 海風にふかれながら背伸びをするイザナミさんは、起きてすぐここへきたのか、白いシルクのパジャマを着ている。


「イザナミさんがスーツを着ていない姿って、なんだか新鮮です」

「まあ、あれは『おとなの制服』みたいなもんだからな」


 なるほど、スーツはおとなの制服。


 イザナミさんだけではなかった。そのうしろにもパジャマ姿の人がいた。でもこちらは、いつもとそれほど変わらない。黒でレースの入った派手なパジャマ。頭にはおなじく黒のヘッドドレスもつけている。


「鈴子さん!」

「はい、カヤノさん。おかげさまで元気になりました」


 ふたりが元気になってうれしい。


「これでハナちゃんが帰ってきたら、また五人ですね」

「あの、それですが、むこうから……」


 鈴子さんが指をさす方向を見た。


 制服の中学生女子。ピンク色のショートヘア。ハナちゃんだ。


 ハナちゃんが防波堤の上を歩いてくる。それがなぜだかまったくわからない姿をしていた。制服の上、ブラウスのそでが両方ともビリビリにやぶかれて腕があらわになっている。両方のこぶしには、穴あきグローブがはめられていた。


「よい天気じゃ、苦しゅうない」


 わたしたちのもとにきたハナちゃんが、はなった言葉がそれ。


「いや、苦しいのはおまえだろ、どうしたそれ。また付喪神つくもがみがでたか」


 イザナミさんに問われたハナちゃんは、気にしてなかったとでもいう感じで両腕をながめた。


「お好み焼き屋で上級生たちに会ったのじゃ。わらわの髪を馬鹿にするので、礼儀を教えておいたまで」


 そう言ってハナちゃんは、鼻の片方を押さえて『ふん!』を鼻息をはいた。なにか小さな血のかたまりが海へ飛んでいった気がする。


 ハナちゃんは『礼儀を教えた』と言ったけど、ぜったいケンカだ。それも相手は複数。


「ハナ、きちんと勝ったか?」

「もちろんじゃ」

上出来じょうできだな。ご褒美ほうびは肉か魚か」

「肉」

「よし、明日は焼肉につれていってやる」


 イザナミさん、これはめるところなのだろうか。しかしヒナちゃんも焼肉と聞いて『うぇーい』と防波堤の上で跳ねた。

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