第25話 鈴(すず)
どうしよう。
トンネルのあちこちでは、倒れた
それでも、まだあらたに付喪神はくる。
手足のはえた古い家具。蛇のようにうねる道具たち。
ふたたびヒナちゃんとハナちゃんの戦いは始まっていた。
「壁づたいだ」
言ったのは地面に寝ているイザナミさんだ。
「壁にそって走って逃げろ、カヤノ」
そんなこと言われても!
みんなを置いて逃げる。それはいやだ。でもわたしは足手まといにもなっている。
「カヤノさん、きます!」
鈴子さんの声だ。
声のほうを見あげた。わたしはイザナミさんのそばへ片ひざをついている。そんなわたしとイザナミさんのまえに鈴子さんが立っていた。両手をひろげ守るように立っていた。
かさかさと音がするほうを見た。近づいてくるのは
立ちあがってわかった。せまってくるのは大きな古時計だ。よこになった古時計は倒れているわけではなかった。胴体からゲジゲジのような足が何本もはえている。
意外と動きが早い。古時計が地面をはってくる。細い足を動かして近づいてくる。
「
鈴子さんがとっさに声をだし、鈴の付いた髪ごとつかんでふった。
ちりんちりんと小さく音が鳴る。その音で虫みたいな古時計がすこし後退した。
「
ちりんちりんと鳴る鈴。そのたびに古時計がすこしさがる。でもすこしだ。大きな
「
ちりんちりんと小さな音。
「
鈴子さんの声が、いまにも泣きだしそうな声だ。
「カヤノよ、わらわのリュックじゃ!」
遠くからハナちゃんの声。まわりを見れば近くにリュックがあった。
「さすがハナちゃん、とっておきがあるのね!」
走っていきリュックをひろってチャックをあけた。
「殺虫剤って、ハナちゃん、いま冗談はいらないから!」
リュックに入っていたのはキンチョールだ。
「でかした、ハナ!」
イザナミさんの声が聞こえた。
「うそでしょ!」
思わず声にだしてイザナミさんのもとへ駆けもどった。
「この炎をスプレーで大きくしろ」
あおむけに寝たままの体勢で、イザナミさんはスーツのポケットをさぐった。
だしてきたのはジッポライターだ。わたしはしゃがんでそれを受け取った。
銀色のジッポ。つかいこまれているのか、にぶい銀色だ。そしてその表面、なにか見たことのない文字が
「
イザナミさんの説明にうなずき、わたしはイザナミさんからすこし距離を取って片ひざをついた。
「鈴子さん、のけてー!」
まえにいた鈴子さんが気づいてふり返る。わたしはスプレーの缶をかまえ、そのまえにカチンとフタをあけてジッポをだした。
ジッポの丸い石をまわすと、しゅぼっと火はついた。小さな火だ。
「い、いきます!」
大声をだした。鈴子さんがよこへのける。
ねらうのは足のはえた古時計。片ひざをついたこちらからは、頭頂部が見えるだけ。
ジッポの火めがけてスプレーを発射した。火は思ったより大きかった。まるで火炎放射器だ。
そしてなぜか「ボーン、ボーン!」と古時計は音を鳴らし、ぐしゃりと細い足が折れて動かなくなった。
「鈴子」
呼んでいるのはイザナミさんだ。
「鈴子さん、イザナミさんが呼んでます!」
わたしはあらたにくる付喪神へとキンチョールをむけた。
「でもこれ、子供がまねしちゃダメなやつー!」
大声をだして怖さをおさえながら火炎を放出した。ぴょんぴょんと跳ねてくる付喪神に火はうつった。飛んできたのは
でもそのうしろ。大きな影がのっしのっしと歩いてくる。また
「ワタクシになにか!」
駆けよってきた鈴子さんが、イザナミさんのそばで片ひざをついた。
「鈴子、
「はい、存じあげております!」
「存じてない。神はなんにでもやどる。音の神じゃない、鈴の神を呼べ」
「鈴……鈴……そんなもの聞いたことございません!」
「かしこいおまえだ。考えろ。むかしの鈴の呼びかたとかだ」
天をあおぐかのように鈴子さんはトンネルの天井を見あげた。鈴の神さま。その名前。そんなものがあるだろうか。
「万葉集の百三十八」
天井を見つめる鈴子さんがつぶやいた。あるんだ、鈴の別の呼びかた。
鈴子さんは上にむけていた顔をもどすと、髪どめの鈴に手をやった。長くてきれいな黒髮。それをふりほどくように鈴の髪どめを取ると、ヒモをつまんで持った。
「集中しろ、鈴子。神の名を呼ぶとは、
頭を起こそうとしながらイザナミさんが言った。けれど力がはいらないのか地面にまた頭をつける。
「はい」
かたわらで片ひざをついていた鈴子さんは立ちあがり、まっすぐに背筋をのばした。そして目をとじる。
どのくらいの時間だろう。たぶん
「
鈴子さんが声を発すると、鈴がちりりんと勝手に鳴った。
ちりりん。それだけなのに、その音はトンネルのなかにこだました。遠くへ遠くへ。鈴の音がこだまして伝わっていく。
やがて静寂がおとずれた。その静寂のなかへ、なにか音が帰ってくる。
がらん。がらんがらん。遠くから、なにやらにぶい鈴の音。
「これは神社の鈴だな」
言ったのは寝ているイザナミさんだ。
たしかに遠くから聞こえるのは、おまいりするときに鳴らすあの神社の鈴だ。
鈴の音が聞こえてくるのはトンネルの入口。わたしたちが入ってきた方向だ。
「じゃあ、これは下田井神社の!」
それだけではなかった。反対方向の出口からも、がらんがらんと神社の鈴の音が聞こえてくる。でもすこしちがう
「ははっ、すごいな」
寝ているイザナミさんが笑った。
「児島にあるいくつかの神社の鈴が、いま鈴子の鈴と共鳴してるぞ」
がらん、がらんがらん。そのうしろからも、がらん、がらんがらん。たしかに、いくつもの鈴の音がする。
続けてイザナミさんが口をひらいた。
「そもそも神社に鈴があるのは、悪いものを
わたしはまわりを見まわした。
「いない……」
あるのは地面に落ちた五つの懐中電灯、その明かりだけ。
「消えた。あの人たちは、死んじゃったんでしょうか」
「馬鹿か、カヤノ。神さまだぞ。死ぬわけがない。ふらりときて、ふらりと帰っていく。それが
なんだかそれを聞いて、わたしはすこしほっとしている。
うめつくすほどいた付喪神たちは、いつのまにか、わたしたちのいるトンネルからは去っていったあとだった。
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