第6話 多邇具久(たにぐく)

 大音量のクラシックだった。


時空回廊じくうかいろう』という喫茶店だ。


 山のなか、ぽつんと一軒だけある喫茶店。


 そして入ってみるとおどろいた。内装がすごい。四人用のテーブル席がならび、それぞれの席はアンティーク家具のような黒光りするはしらでくぎられている。


 座るイスは刺繍ししゅうの入った豪華ごうかなソファ。そのまえにあるテーブルも、どっしりと重厚感のあるアンティーク調のテーブル。


 店内の照明は、テーブルごとにある小さな電気スタンドのみ。天井に明かりはなかった。クラシカルでヨーロピアンな店内だけど、すごく暗い。


 さきほど執事しつじのような女性店員さんが飲みものを持ってきてくれたけど、店内が暗すぎるからか顔がハッキリと見えなかった。


 ほんとに変わった喫茶店。良く言えば、ヨーロッパの古いお城みたい。悪く言えば幽霊がでそうな洋館ようかん


 おしゃれなカフェだと心浮かれていたけど、五分ほどで居心地の悪さを感じ始めた。そもそもわたし、クラシックがわかんない。


「あの……」

「しー」


 イザナミさんに声をかけたのに、鈴子さんに止められてしまった。


 この喫茶店は『クラシックを聞くための喫茶店』というだけあって、店内で私語は禁止だった。


 だまったまま、しばらく自分のカラになったグラスを見つめる。


 わたしはのどがかわいていたので、たのんだオレンジジュースはすぐに飲みほしてしまった。


 イザナミさんはコーヒー、そして鈴子さんは『ウィンナー紅茶』という生クリームをのせた紅茶だ。ふたりとも、じっくりおいしそうに飲んでいる。


「カヤノ、どうかしたか?」


 もじもじ。そうしているわたしに気づいたのか、イザナミさんが小声で聞いてきた。わたしも小声でイザナミさんにたずねてみる。


「そのへん、散歩さんぽしてきていいですか?」


 イザナミさんがうなずいたので、わたしはなるべく音を立てないように立ちあがった。


 うす暗く、床や柱の木目が黒光りしている店内を通り外へでる。


 店の外にでて、深呼吸をした。いなかの山のなか。空気がおいしい。


 クラシックが大音量で流れる店内とは真逆に、周囲は静かだった。車の音は聞こえず、小鳥のさえずりが遠くに聞こえるぐらい。


 この店には車できたけど、きた道とは反対方向へ歩いてみる。


 歩いていくと、山のなかの散歩道さんぽみちにでた。散歩道だとわかったのは、下がアスファルトではなく土の道だったからだ。


「こんにちは」


 急に声をかけられて、びっくりした。老夫婦だった。


「こんにちは。あのこれ、散歩道ですか?」

「あら、旅行?」

「いえ、しばらくこっちに住む予定です」

「そうなのね。ここは『かぜみち』っていうの」


 老夫婦の奥さんのほうが教えてくれた。むかしに『下田井しもたい電鉄でんてつ』という電車が走っていた線路らしい。それが廃線となり、線路が取りのぞかれ散歩道になったとのこと。


「ほらあそこ」


 老婦人が指をさしたのは土の道、散歩道のさき。


「わっ、プラットフォーム!」


 駅舎えきしゃはないけど、プラットフォームだけが残されていた。


「ちょっとさきにも駅があってね。見はらしがいいのよ」


 十五分ほど歩けば、次の駅があるらしい。海がよく見える駅だとも教えてくれた。そこにもプラットフォームが残っていると。


「いってみます!」


 老夫婦に感謝を伝え、教えてもらった方向に歩きだす。老夫婦は反対へと歩いていった。


 線路だったというだけあって、ふしぎな道だ。車が通れるほどは広くない。でもふつうの山道よりは広すぎる。ちょうど線路一本分。


 もともとが線路なので、山のなかなのにまっすぐ一本道だ。そして線路という当時のなごりなのか、ところどころに赤茶けた鉄塔が道のわきにあった。


 その鉄塔へは、まわりの木々から枝葉えだはが『おまえ、じゃまなんだよ!』とばかりにのびている。


 両側からのおいしげりで、この『風の道』という散歩道は森のトンネルのようになっていた。


 山の道。こんなに深い緑のなかを歩くのは、初めてのような気がする。


「あっ、ビワ!」


 思わず声がでた。たまにお母さんが買ってくれる果物くだもの。たまにしか買ってくれないのは、バナナやリンゴにくらべて高いから。それなのに、ここでは野生のビワがなっている。


 関東では貴重なビワ。スーパーで小さなパックに六個入りなどで売られている。しかし野生のビワは山盛りだった。十個どころではない。二十個も三十個も、ぎゅっとかたまるように木のえだにくっついている。


 みっちり何十個も密集しているビワは、なぜかカタツムリの大量発生みたいに見え、すこしグロテスクに思えた。


 さらに歩いていくと風がふいてきた。まわりを見ると、道の両側は大きなごつごちした岩。そしてうしろには竹藪たけやぶがあった。


『風の道』というだけあって、竹藪たけやぶのあいだからずっと風がふいてくる。その風が、むきだしの岩にはえるシダ植物の小さな葉をゆらした。


 シダ植物の小さな葉は、赤子の手がゆれているようにも見えた。


 気づけば、黒い霧にかこまれている。なにかが、ささやいている声がした。


 ふいていた風を感じなくなった。でも風もないのに、からだがゆれる。すこし眠くなってきた気もする。


「カヤノ!」


 遠くで、だれかが呼んだ気がする。


 周囲にあつまった黒い霧が、かたまって丸まっていく。やがて、かたちになってきた。


かえるだ」


 見あげるほど、巨大な蛙。黒い霧は、蛙のかたちをしていた。


 蛙にむかって歩きだそうとしたとき、ふいに肩をつかまれた。人の手がふれたことで、はっと、われに返った。


「あれはタニグク、またはタニクグリともいう。近づくな」


 あの蛙は、そんな名前なのか。


「こんなに、山の精霊たちが」


 鈴子さんが、おびえたように周囲を見まわしている。おびえることだろうか。愛くるしい異形のものたちだ。


「精霊のかどわかし。このままでは、三人とも、とらわれてしまう」


 イザナミさんはそう言うと、茶色いスーツのポケットから、またあの小さな白いヤモリをだした。それを肩に乗せる。


 次にイザナミさんは両手をひらいた。手のひらを左右の周囲にむけた。なにかをつぶやいている。


陽炎カギロイ


 最後にイザナミさんがつぶやくと同時だった。まわりに炎の壁が立ちあがった!


 黒い霧が晴れていく。あの蛙のような霧のかたまりも、いつしか消えて、また風がふいてくるのを感じた。

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