第4話 力(ちから)

 新幹線の窓から外を見る。


 もう富士山は見えなかった。


 スピードのある新幹線だから、流れていく景色けしきがものすごく速い。


 そして流れゆく景色とおなじように、さきほどの話で急にわたしの世界が変わった。


 わたしが小さいころから見ていた『うすぼんやりした黒い霧』は精霊だった。


 それが見えるのは、わたしだけだと思っていた。でもちがった。


「そうだ!」


 こうなると聞きたいことは、もっとある。


「イザナミさん、さっき『巫女みこ素質そしつ』って言いましたよね」


 コーヒーを飲み終えたのか、イザナミさんは紙コップをひねってつぶしながらうなずいた。


「ということは、イザナミさんも巫女?」

「もちろんだ」

「イザナミさんがだしたのも、精霊の力?」

「そう。火の精霊だ。名はカグツチ」

「あのとき、ホムラと言いました」

「ホムラも、火の神を呼ぶ名前だ」


 なるほど。神さまの名前って、いろいろあるんだ。


 感心していると気づいた。イザナミさんのむこう、小学生の男子が、じっとこちらを見ている。そうだった。ここは三人席だ!


「あ、あの、男の子が……」


 イザナミさんが、男の子のほうに顔をむけた。


「ゲームの話をしてるんだ。ゲーム好き?」


 男の子がうなずく。


「恋愛ゲームと、エロゲームはしちゃだめだぞ、モテなくなる」


 なんてこと言うんだ、この人は。


「そして少年、盗み聞きはよくないぞ。女の子の話を盗み聞きするやつは、モテない男の典型てんけいだ」


 イザナミさん、そんなことを子供に言っても。そう思ったけど『ゲームの話』と言われて、男の子は納得したのか立ちあがった。


「トイレにいってくる!」

「じゃあ、いそいだほうがいい。お母さんはいる?」

「あっちの席に」


 男の子が何列かまえの席を指さした。


「あとで、なんのゲームか教えてやるからな」


 そんな単純にだませるかと思ったけど、男の子は歩きだしていった。


 目で追いかけてみると、男の子は母親らしき人に声をかけた。ふたりで車両をでていく。なぜか親子でちがう席に乗っていたようだ。


「こんなにいているのに、ちがう席なんですね」


 平日の新幹線で、三割ほどしか席は埋まっていない。わたしたちのいる席の前後もあいていた。


「おそらく、母親がはなれた席にしたかったんだろう」

「なんのためです?」

「寝たいからじゃないか。けっこうよくある話だ。わが子がとなりにいたら寝れないからな」


 なるほど。


「でも、はなれた席にしようとしたら子供がいやがりそう」

「それは『この席しか取れなかった』ってウソを言えば、子供はなにも言えないだろう」


 なるほど。おとなってウソがうまい。


 それはともかく。子供がいなくなって、イザナミさんが上着のうちポケットから警察手帳をだした。


 手帳をだすとき、ちらっと上着のなかが見えた。今日は拳銃をつけていないようだ。


浅見あさみ茅野かやの母方ははがた祖母そぼが、曽我部そがべ椿つばきだな」


 手帳をめくり、イザナミさんが話し始めた。


「おばあちゃんですか。小学校のときに亡くなりましたが、わたしの名づけ親です」

「この人、外巫女そとみこだな」

「そとみこ?」

「神社の家に生まれていない巫女さんのことだ」

「おばあちゃんが?」


 そんな話は、聞いたことがなかった。それに……


「わたしのおばあちゃんの名前、よく知ってますね」

「警察だぞ。それに業界にもデータベースがある」

「ぎょうかい?」

「神社業界。おもての世界で言われる神社ともちがうぞ。『裏神社』とでも言っておこうか」


 裏というからには、秘密のとか、そういう意味だろうか。聞くまえに、イザナミさんは警察手帳を一枚めくった。


「カヤノのおばあちゃんは、木の精霊、ククノチの巫女だったそうだ」

「木の精霊、そんな力を持ってたそぶりは」

「巫女の力は、出産したら無くなる場合が多い」


 そういえば、なにかで聞いた話があった。むかしだと処女しか巫女になれないとか。


「まあ、そんなわけで」


 イザナミさんが、わたしを見た。


隔世かくせい遺伝いでんってやつだろう。おそらくカヤノにも、巫女の力がある」


 隔世遺伝。これも聞いたことがある言葉だ。親からの遺伝ではなく、おじいちゃんとか、おばあちゃんの特徴を孫が引きつぐ場合が多いという話。


 でも、それよりもっと疑問があった。


「あのう、そもそも、なぜ巫女さんが、精霊の力を使えるんです?」

「そりゃ、初代の才能だろう」

「初代って?」


 わからないから聞いたのに、イザナミさんは『そんなことも知らないのか』という顔をした。素粒子の話では、そんな顔しなかったのに。


「むずかしい話は、わからないですよ」

「むずかしくない。小学校でまなぶ歴史だ」

「小学校で?」

「日本で最初の巫女、邪馬台国やまたいこく卑弥呼ひみこ


 わたしは口をあけておどろいた。


「そんな、むかし!」

「つまりカヤノにも、卑弥呼の血が流れている」

「わたしに!」

「おどろくほどでもないだろ」

「だって、あの卑弥呼ですよ!」

「二千年もまえの話だ」


 そう言うと、イザナミさんは空中を見つめて考え始めた。


「二千年まえだから、女性が平均三十歳で産んだとしても六六世代まえか」

「すごい。わたしの祖先は卑弥呼!」

「いや、子孫なんてねずみ算式に増えるだろ。平均ふたり産んだとして。だいたいの計算するなら二の六〇乗か?」


 ここで数学の話になるとは思わなかった。イザナミさんがスマホをだして数字を打ちこんでいる。


「あっ、だめだな。二を六〇回もかけてみろ。かるく一億を超える。まあ、これは途中で死んだ人をいれない単純計算だ。つまり言いたかったのは、卑弥呼の血筋なんて何万人といるだろうさ」


 それを聞いて、ちょっとがっかり。


「いっしゅん、わたしは特別なんだと思いました」

「卑弥呼の子孫はめずらしくないが、巫女の素質は別だ。それを持つ者とはめったにでくわさない」


 ここまでの話を聞いて、やっとわかった。


「イナザミさんがわたしを岡山につれていくのは、わたしを巫女にするため?」

「そのとおり!」


 さらに聞けば、イザナミさんの住む神社へ、ほかのところからも巫女さん候補こうほがくるらしい。


「ちょっと待ってください。わたし、巫女になるなんて!」

「修行して、早く立派な巫女になれよ。巫女がすくなくて、本庁ほんちょうもこまってるんだ」


 その「本庁」とは、けっして警察の本庁ではないのだろう。


「あのわたし、短いあいだだけ岡山にいくんじゃ……」

「それはカヤノにまかせる。帰りたくなったら、いつでも帰っていいぞ」


 そう言われても、どう答えていいのかわからない。


「まあ、安心しろ。にてるからな。アタシとおまえは」


 いや、イザナミさんとは、まったくにてないと思う。


「高校はどうすれば……」

「児島にも高校はあるぞ。希望すれば編入手続きをする」

「生活費とか……」

「それも心配ない。カヤノは貴重だからな!」


 巫女の素質を持つ者が貴重というのはわかった。でも生活費まで見てくれるのか。


「おまえの生活費ぐらい、本庁がいくらでも金をだすさ」


 イザナミさんが言う『本庁』とは警察ではなくて神社のことだ。


 これは、とんでもない世界に足を踏み入れてしまった。でもなんだろう、ずっと自分はひとりだと思っていた。わたしにしか見えないものがあるのだから。


 わたしだけが見えるものを勝手に『異形いぎょうのもの』と名づけていた。そしてわたし自身も『異形いぎょうひと』だと思っていた。


 わたしは『異形』ではなかった。このイザナミさんに出会って、それがわかった。


 そしてわたしは『巫女みこ候補こうほ』らしい。でも、どうしたらいいのだろう。


「児島は、いいとこだぞ」


 わたしを安心させるためか、イザナミさんが言った。


「クソがつくほど、いなかだけどな」


 クソいなか。人ごみが苦手なわたしにとって、それはとてもいいことに思える。


「一日で帰ってもいいし、一ヶ月ぐらいいたっていい。それはカヤノの自由だ」


 イザナミさんはすこしマジメな顔でわたしを見つめてきた。


「子供のうちは、しかたがないから学校にいくし、生まれた家はみずからが選んだわけでもない。とにかくすべてが強制。そんな気分が強いだろう。だがそれは子供である数年間だけだ。おとなになれば、なにをするのか、どこに住むのか。日常なんてものは、みずからの意思で変えることができる」


 急にむずかしい話だ。


「カヤノは十六歳。半分おとなと言っていい。自分の人生は自分で決めたいだろ?」

「それはそうですけど、まだ高校に入ったばかりで将来のことなんて」

「甘いな」


 甘いか。それを聞いて思いだした。このイザナミさん、両親はどちらも亡くなっている。


「イザナミさんは、しっかりした高校生だったんですね」

「いや、高校生になると、初めてひとりでどこにでもいけるようになるだろ。楽しくて遊びまわってたな」


 イスからずり落ちそうになったわたしを見て、イザナミさんは笑った。


「児島はクソいなかだけどな、いいところもいっぱいある。いろいろ案内してやるからな」


 児島か。


 海ぞいのまちだと聞いている。早く見たいような、でも初めての土地でちょっぴり怖いような、よくわからない気持ちだった。

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