第3話 理(ことわり)

 東京から岡山までの新幹線しんかんせん


 ものすごく、そわそわする。


 生まれて初めての新幹線だった。


 すべてがめずらしく、きょろきょろばっかりしてしまう。


 どれぐらい、ながめまわしていただろう。しばらくして思いだした。売店で買ったコーヒーがある。


 コーヒーを置くために、座席ざせきのまえに収納されてある机をだした。初めての新幹線なので、これにちょっともたついた。


 足もとに置いていた紙袋を持ちあげ、なかからコーヒーをひとつだす。


 コーヒーの容器は、フタのついた紙コップだ。そして紙袋のなかには、もうひとつのコーヒーがある。


 わたしはとなりを見た。となりに座る女刑事さんは新幹線になれているのか、なにかわたしの知らない海外ミステリーの文庫を読んでいた。


 「イザナミさん、コーヒーいります?」


 女刑事さんは『宮部みやべ伊邪那美いざなみ』という名前だった。


 この『イザナミ』という変わった名前。アニメのキャラクターかと思ったら『日本書紀』という古い本にでてくる神さまから取った名前らしい。


「いる」


 イザナミさんは文庫本から目をはなさずに答えた。


 わたしは紙袋から、もうひとつコーヒーをだして机に置く。


 紙袋のなかをのぞくと、あとはふたり分のスティックシュガーとミルク、それに小さなまぜ棒。


「イザナミさん、砂糖とミルクは?」

「アタシはいらない。カヤノは?」


 イザナミさんから逆に聞き返された。


「わたしは両方です」

軟弱なんじゃくだな」


 コーヒーに砂糖とミルクを入れるのは、軟弱なのだろうか。そして気づいた。『カヤノ』と、わたしの名前をもう呼び捨てだ。


「しかし、ふたつ買っておいたのか」


 イザナミさんが文庫から目をはなし、となりのわたしを見つめてきた。たしかに自分のを買うとき『イザナミさんいりますか?』とは聞いていない。


 きっと飲むだろう、そう思った。飲まなかったとしても、わたしが飲めばいい。岡山までは三時間以上もかかる。


「自分のだけでなく、同乗する相手の分も買っておく。若いのに気がきくんだな」


 そう言って、イザナミさんはフタのついた紙コップのコーヒーを取った。


 急にほめられて、なんだかてれる。


「おまえ、いいやつなのかもな」


 イザナミさんは、ハッキリものを言う人のようだ。でも人にむかって、ハッキリ『いいやつ』と言うイザナミさんこそ『いいやつ』なのではないか。


「いや、おまえじゃなくて、あの母親の育てかたがいいのか」


 前言ぜんげん撤回てっかい。イザナミさんが『いいやつ』かどうかはわからない。


 よくよく考えてみれば、この新幹線の席もそうだ。三人席のわたしは中央。イザナミさんは窓ぎわだ。わたしにとって人生初の新幹線。窓ぎわに座らせてくれたっていいと思う。


 わたしは自分のコーヒーについたフタをあけ、砂糖とミルクを入れた。小さなプラスティックのマドラーでまぜていると、ふいに新幹線が大きくゆれた。


 新幹線でもゆれるんだ。


「脱線とか、しませんよね?」

「するわけないだろ」


 イザナミさんは紙コップのフタを取り、コーヒーをすすりながらまた文庫に目をもどした。


 鼻は高く、目もきりり。美人というよりかっこいい、そんなよこがお。顔にかかる髪を耳にかけた。茶色いセミロングの髪と茶色いスーツがよくにあっている。


「聞きたいことがある。そんな顔だな」


 こっちを見ていないのに、イザナミさんは文庫を読みながら言った。


「も、もちろんです。山ほどあります!」


 ほんとうに山ほど聞きたいことがある。あのとき、犯人にむけてイザナミさんは手のひらから糸のような炎をだした。衝撃しょうげき光景こうけいだった。


「山ほどか。そういえば、さきほど熱海駅あたみえきを通過した。そろそろ富士山が見えるぞ」


 イザナミさんがそう言ったとき、遠くの座席で窓ぎわに移動する外国人の姿があった。平日の新幹線で、乗客はまばらですくない。


 わたしも窓の外を見た。窓ぎわに座るイザナミさんの頭ごしだ。


「うわっ!」


 富士山だ。遠くても、はっきりと見える!


 家やマンションや工場、山すそに広がる街がちっぽけに見えるほど、青い空をバックにして富士山のひとつだけが大きかった。


「おまえ、あのとき」


 いつのまにかイザナミさんは文庫本をとじていた。わたしを見つめてくる。


「異形のもの、そう言ったよな」


 それをわたしが言ったのは、あの犯人の肩には『なにか』がいたからだ。


 わたしは腰を浮かして富士山を見ていたけど、席に座りなおした。テーブルにある紙コップのコーヒーを思いだし、手に取ってひとくち飲んだ。


 飲みながら、なんて聞けばいいかを考えた。


 わたしにしか見えないもの。そう思っていたけど、あのときイザナミさんはなんて言っていたか。『かれたか』とか言ってなかったっけ。


「イ、イザナミさんにも見えるんですか?」

「そうだな。おそらく、おまえよりハッキリと」

「ハッキリ見えるんですか!」


 おどろいてイザナミさんを見たけど、新幹線が大きくゆれた。あわててコーヒーのフタをしめる。


 わたし以外にも見える人はいた。それもわたしよりハッキリ見えると言った。


 足もとに置いていた紙袋へコーヒーをもどす。テーブルもしまって座りなおし、あらためてイザナミさんへとむいた。もうコーヒーを飲んでる場合じゃない!


「聞いていいですか?」

「どうぞ」

「あの炎も本物ですよね?」

「本物とも言えるし、ニセモノとも言える。見える人にしか見えないからな」


 どういう意味だろう。


「カヤノ、もういちど聞く。おまえはアタシの炎も見えたんだな?」

「はっ、はい」

「結論から言うと、あれは精霊だ」

「精霊、ですか」

「神と言ってもいい。八百万やおよろずの神々」


 やおよろず。聞いたことはある。神社の神さまだ。


万物ばんぶつすべてのなかに、精霊はやどる」


 さらりとイザナミさんが言った。そんな話、聞いたことがない。


「ウソみたい、とか思ったか?」

「は、はい」

「おまえ、子供のころから人の見えないものが見えただろう」


 そのとおりだ。


「わたしだけかと」

「ああ、あれか、こんなことは他人に言ってはいけない。言えば頭がおかしいと思われる。そう考えていたか」


 そのとおりすぎる。


 イザナミさんが、おどろいて固まっているわたしの顔をのぞきこんできた。


「ははぁ、なるほどな。気弱なところがあるように見えたが、他人に見えないものが見えるから、他人とはあわないと思いこんでいたクチか。では安心しろ。見える者は大勢おおぜいいる」


 大勢いるんだ。わたしと、このイザナミさんだけじゃない。


 言われていることは、すべて大当たりだった。わたしは人とはあわない。きっとわたしは、どこかがおかしい。そう思っていた。


「そんなに不思議なものでもないんだぞ。科学的に考えることだってできる」


 イザナミさんがなにかを語り始めたけど、それよりわたしは心のショックが大きい。


「この世のすべては素粒子でできている。そして素粒子とは四つの力で形成される。電磁気力、重力、強い力、弱い力。この弱い力というのが、精霊の因子なのではないか。そんな説もあってな……」


 すごい長い言葉をイナザミさんが言っていた。でもなにも耳に入ってこなかった。


 わたしだけだと思っていた。でも、わたしだけじゃなかった。しかも大勢。


「わかったか?」


 ぜんぜん話を聞いていなかった。


「いえ、まったく」


 イスからずるりと落ちそうになったイザナミさんは、手にしたコーヒーをこぼさないように座りなおした。


「とにかく、そういうものがある。ことわりというやつだ」


 ことわり。真理とか真実とか、そういう意味だっけ。まさか国語の授業で先生が言っていた言葉を、この女刑事さんが言うとは思わなかった。


「あの犯人は、なにかの精霊に取りかれていた。だから炎の精霊の力を借りて攻撃した。きかなかったがな。腕がにぶったか」


 イザナミさんは自身の手をひらき、じっと見つめた。


「あの……」

「なんだ?」

「わたしを守ってもらえるのはありがたいのですが、そんな力を持つイザナミさんが犯人のいる東京をはなれていいのですか?」

「ああ、犯人は捕まってるぞ」

「ええっ?」


 おどろいて思わず腰が浮いた。


「だったら、わたしは岡山へ逃げなくてもいいんじゃ」

「おまえをつれだすための、ただのウソだ」

「ウソ。警察がウソつくんですか!」


 ウソは泥棒の始まり。亡くなったおばあちゃんがそう言っていた記憶がある。


 イザナミさんが立ちあがったわたしを見あげてきた。


「おまえには巫女みこの素質がある。だからアタシの実家の神社へつれていきたかった。あそこでおまえと出会ったのは、えにし。そう思っている」


 えにし。運命とかそういう意味だっけ。これもまた国語の授業で聞いた気がする。


「ウソをついたのは、あやまる。アタシが完全に悪い。カヤノは次の駅で引き返してもいい。帰りのキップ代はもちろんだす」


 こんなに正々堂々とウソをつかれたのは初めてだし、こんなに正々堂々とあやまられたのも初めてかもしれない。


 イザナミさんみたいな人は初めてだ。まわりの同級生たちともちがうし、おとなたちともちがう。


「いっしょにこないか、カヤノ」


 イザナミさんが立っているわたしを見あげてきた。


「……はい」


 わたしは座った。


 イザナミさんがコーヒーを飲みながら笑いかけてきた。


「まあ、そりゃくるか。だれもおなじものは見えないと思っていたんだからな」

「そ、それもありますけど、ほんきで誘われたのは初めてです」

「ほんき?」

「いつも人に誘われるときは、もっと適当な感じです」


 あのときの渋谷もそうだった。同級生の三人が教室で話をしていて、たまたまわたしと目があっただけ。『カヤノちゃんもいく?』と、付けくわえるように言われただけだった。


 わたしとおなじものが見える人、その人から『いっしょにこないか』とほんきで誘われた。イザナミさんの言うとおり、これがえにしでなければなんなのか。


「なんだおまえ、友達いないタイプか」


 むぅ、感心してたら、イヤなことズバッと言われた!

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