第2話 偽(いつわり)
電車の車内。
ドアの近くに立って、流れていく風景を見つめた。
次の駅が、わたしの住む
やっと地元に帰ってきた。
「いっやー、おしかったよなぁ」
「最後のプレー、あれさ、オフサイドじゃなくね?」
数人の男性が話す声が聞こえてきた。
肩ごしに見てみると、おなじサッカーのユニフォームを着ている。でもユニフォームは上だけで、下はそれぞれジーンズなどをはいている。サッカー観戦の人たちだ。
「今日は応援の声が小さかったよな」
「んはっ、この四人ぐらいだぜ。最後まで立って応援してたのは」
仲のいい四人グループ。どこかのプロサッカーチームを観戦した帰りっぽい。
わたしは窓の外へと視線をもどした。でも窓には車内も反射していた。うしろで楽しそうに話す四人の男性。そのまえには、ひとりのわたしもガラスにうつっている。
「いやー、楽しかったけど、疲れたなー!」
男性の声が聞こえた。
わたしも疲れていた。
あれから走ったり、ころんだり。また走ったり。
とにかく遠くへ逃げようと走っていたら、渋谷駅がどっちの方向かわからなくなった。
渋谷には、あまり遊びにいくことがない。なれていないので、ひとりさまよって、さまよって。
やっと見つけた駅は『
恵比寿駅から電車に乗り、途中で一回乗りかえ、やっとここまで帰ってこれた。
車内アナウンスが入った。電車が速度を落としていく。
今日は人生で最大のアクシデントだったけど、いつもどおり電車は見なれたホームへ静かに入り、プシューっと音を立ててドアをあけてくれた。
電車からおりると気づいた。もう空は暗くなり始めている。
駅の改札をでて、駅ビルのなかの人ごみをよこぎった。人の流れは商店街のある西口へとむかっている。わたしは反対に、住宅街に近い東口から外へでた。
それから駅を背に歩く。五分も歩けば、もう静かな住宅街だ。
まわりは二階建ての家ばかり。道は暗い。電信柱につけられた
家までは歩いて二十分ほどの距離。その距離が今日はとても遠く感じる。
すごく疲れた。それに走りすぎて足が痛い。
わたしはスポーツが好きなほうではないし、うまくもない。足だって遅い。それなのに今日は走りに走って逃げた。明日はぜったい筋肉痛だ。
歩く足を止め、電柱の外灯を見あげた。
外灯のまわりには、
今日のあれ、なんだったんだろう。女性の手のひらから糸のように火がでていた。
それに拳銃。
あれかな。あの女性は反社会勢力とかかな。思えば、女性は上下とも茶色いスーツだったけど、上着の下に着ていたブラウス、その一番上のボタンをはずしていた。
どこかの会社に勤めているのなら、あんなにくずして着るだろうか。
そしてポケット。なぜかポケットに、小さなヤモリが入っていた。
ヤモリなんて、ポケットに入れるだろうか。わたしの制服のポケットには、小銭入れがせいぜいあるぐらいだ。
その小銭入れをポケットからだした。お母さんからもらったもの。おばさん臭い大きな
そしてわたしは、小銭入れをだした右手とは反対の手を見た。左手。紙袋の口をにぎった左手だ。
わたしは自分を
「あれっ?」
気づいた。わたしのショルダーバッグはどこだ。
思い返す。でもまったく思いだせない。どこで落としたのか、または電車のなかに置き忘れたのか、まったく記憶がない。
「ああ、クレジットカード!」
思わず声がでた。あのバッグのなかには
すぐにクレジットのカスタマーセンターに電話して止めてもらわなきゃ!
「ああ、スマホ!」
カヤノ、おまえはバカか。スマホもバッグのなかだ!
家にむかって
痛い足をがまんして走り、家のまえまでくると家に明かりがついている。
「あれ?」
お母さんは今日、仕事で遅いはず。もう帰ってきたのかな。
門の
「お母さん!」
玄関の
「カヤノ、無事でよかった!」
お母さんがリビングからでてきた。
「お母さん、わたしバッグなくしちゃった!」
「あるわよ。あなたもお礼を言って」
「お礼?」
お母さんの言う意味がわからない。
「お客さん?」
わたしは靴をぬいで、お母さんのあとを追ってリビングに入った。
「あっ!」
リビングに入って、思わず足が止まった。
わがやのリビングにあるソファーに座っていたのは、あの女の人だ。拳銃を持っていた茶色いスーツの女性。
女の人は、人の家なのに堂々とソファーにもたれ、スカートをはいた足は
「警察のかたが、カヤノのバッグを届けてくれたのよ」
お母さんの言葉に、テーブルの上を見た。わたしのバッグがあった。そうか、あのなかには学生証なども入っている。ここの住所を調べるのは簡単だ。
っていうか、さっきお母さんは「警察のかた」と言った。
「お、おばさん、まさか刑事さん!」
女の人は
「半分あたりだ」
「は、半分?」
というとことは、半分が刑事で、半分がヤクザさんとか?
「これでもまだ三十。おばさんじゃない」
「そ、そっち!」
「立ってないで、座ったらどうだ。
女刑事さんの対面にあるソファーには、すでにお母さんが座っていた。わたしも、お母さんのとなりに座った。
「娘を助けていただき、ほんとうにありがとうございます」
「無事に帰って、なによりです」
お母さんと女刑事さんが話すのを聞いて気づいた。わたしはあのとき、この人に助けられたんだ。
「あ、ありがとうございます」
感謝を言ったのに、女刑事さんは座るわたしの手もとを見てあきれた顔をした。
「なんだ、バッグはわすれるのに、そんなものは持って帰ってきたのか」
そんなものと刑事さんが言ったのは、わたしがにぎりしめている紙袋だ。なかには冷めたアップルパイと、ぬるくなったレモンティーが入っている。
「むかしから変わった子で」
「ああ、さきほどの話ですか。おさないころは幻覚を見ていたという……」
わたしの帰りを待つあいだ、ふたりはわたしの話をしていたようだ。
そう、わたしは小さいころから『異形のもの』が見えた。でも他人には見えないとわかってからは、その話をするのはやめた。
でもこの女刑事さんは、あのときなんと言ったか。「おまえにも見えるのか」と、そう言わなかったか。
「あの、刑事さん……」
わたしが話すまえに、お母さんの言葉でさえぎられた。
「カヤノ、あなたを襲ったの
「ええっ、強盗犯!」
「いや、
お母さんの言葉を刑事さんが冷静につっこんだ。
連続暴行犯。じゃあわたし、ほんとにあぶなかった!
「さて、浅見茅野」
女刑事さんがわたしを見た。
「犯人は逃げて、都内に
「逃げた……」
あの気持ち悪い男の人は、まだ都内にいる。
「そうなると、おまえに危険がせまるかもしれない」
「刑事さん、ここ神奈川ですよ!」
「そうだな。しかしおまえの制服をおぼえているかもしれない」
「制服……」
わたしは自分の着ている学校の制服に目を落とした。
「こんな時代だ。制服の
それは、ありえることに思えた。
「ああいう異常者は、特に女子高生が好きなものだし、のがした
獲物。そう聞いて怖くなり、となりに座るお母さんのほうにピッタリ近づいた。
「そこでだ。さきほど、お
お母さんのほうを見ると、お母さんもウンウンとうなずいていた。
「このさい首都圏から離れたほうがいいと思う。
「コジマ。小さな島ですか?」
「その
女刑事さんは、上着のうちポケットから警察手帳をだした。それをひらいて見せてくる。なかは写真付きの身分証になっていた。
警察の制服を着てきりりとした写真の下には、所属のところに『児島警察署』と書かれてあった。
「児島ってどこです?」
「岡山県だ」
岡山。頭のなかで日本地図を思いえがいてみたけど、西日本のどこかとしか思いだせない。わたしは、ほぼ関東以外にいったことがなかった。修学旅行は韓国だったし。
どうしよう。お母さんのほうを見ると、お母さんはうなずいて口をひらいた。
「カヤノがよかったら、しばらくいってらっしゃい。この家は女ふたりだし、危険がせまっても、あなたを守れないわ」
そうだった。お父さんを小さいころに亡くし、ずっとお母さんとふたりだ。
思えばすこしのあいだ、岡山へいくのもいい。今日の渋谷でクラスメートにウソをついた。明日に学校で顔を合わせたら気まずいことは予想できる。
でも他人との共同生活なんて、できるのだろうか。警察の人だから信用はできると思うけど、まだこの人のことはなにも知らない。
「あの……」
「なんだ?」
わたしが口ごもると、女刑事さんは眉をひそめた。聞きにくいことだけど聞いておきたい。
「ご結婚は?」
「いきなり聞くかそれを。残念ながらまだだ」
「ええと、では、ひとり暮らし?」
「
つまりわたしがいくと、この女刑事さん、そしてご両親。四人暮らしになるということかな。
わたしが考える顔をしたのがわかったのか、女刑事さんが言葉を付けたした。
「ちなみに実家と言っても、父と母を早くに亡くしている。いまいるのは、長年にわたって世話になっているお手伝いさんだけだ」
それを聞き、自分との共通点を見つけた。この人もお父さんがいない。
いや、母親もいないのだから、わたしより大変だったかもしれない。
「ちなみに家は神社なので、広いぞ」
「神社!」
思わず女刑事さんの顔を見た。
「神社はきらいか?」
「いえ、好きです!」
子供のころから神社やお寺は好きだった。落ちついた
「神社からは、海も見えるしな」
「海!」
神社と海。どちらも好きだ。いや、大好きだ。
「くるか?」
刑事さんの問いに、わたしはうなずいた。
「カヤノ、気をつけてね」
となりのお母さんが、わたしの手の上に自分の手を置いた。
「ちょっとさみしいけど」
お母さんの目がうるんでいる。そうだ、わたしが岡山にいくと、お母さんはこの家にひとりだ。
うるんだお母さんの目を見ていると、わたしまで泣きそうになってきた!
「お母さん、いままで育ててくれて、ありがと」
「いや、嫁にいくわけじゃないだろ。ほんのすこしの期間だ」
刑事さんにつっこまれた。それもそうか。こういうとき、なんて言えばいいんだろう。
「お母さん、
「おい、それは死ぬときのセリフだ」
あれ。どこかで聞いたセリフを言ってみたけど、まちがったみたいだ。
まあ、それはともかく。これでわたしは、実家の神奈川から、岡山への旅行が決定だ。
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