第31話 銀(しろがね)

 目がさめた。


 気づけば、わたしはゆかで寝ている。


 刀剣博物館の床ではない。板の床だ。


「気づかれましたか?」


 だれかが寝ているわたしをのぞきこんできた。


 男の巫女? そう思った。白い胴着に、黒いはかまをつけた男の人。


 いや、そもそも男の巫女なんていなかった。


 顔を見ると、めちゃくちゃかっこいい人だ。目はぱっちりでまつげも長い。ちょっとクセ毛の黒髮は長くなってじゃまなのか、頭のうしろで結ばれていた。


「あの、ここは?」

刀鍛治かたなかじの見学工房です」


 かたなかじ。


「あっ、じゃあ、あなたは鍛冶かじ職人さん!」


 かばっとおきた。


 わたしが寝ていたのは建物の一階。さきほどまでいた本館ではない。戸をあけはなった入口があり、そのむこうに駐車場が見えた。刀剣博物館の敷地なのはまちがいない。


 広い部屋で、わたしが寝ている小さな板間は四畳よんじょうほど。ほかはつちをかためたようなゆか土間どまというのかな。


 土間は広くて、すみっこに刀を造るためかのようなものがあった。さらに見まわすと、反対側のすみに人がいる。ワンピースの四人組。イザナミさんたちだ。なにかひそひそと話をしている。


「気づいたか、カヤノ」


 イザナミさんがふり返った。


「ありがとう、ここを貸してくれて。なにくんだったかな」


 イザナミさんが、わたしのとなりにいる黒い袴の鍛冶職人さんへ聞いた。


川島かわしまです。川島かわしま直輝なおきといいます」


 川島と名乗った男の人は、わたしに笑顔をむけてきた。


「さっき、きみが言った言葉、正しくないんだ」

「えっ、わたし?」

「そう。鍛冶職人って言った。ぼくは見習いで、まだ鍛冶職人じゃないんだ」

「カワシマくん、悪いがその子に話があるんだ。席をはずしてくれないか」


 言われた見習いさんは、すこし困った顔をした。


「いろいろと専門の道具があるので、ここへお客さんだけにするのは」

「それもそうか。じゃあ、すこし離れていてくれないか。女だけの話がある」

「ああ、生理ですか。それならぼくも小学校で習って」

「ちがうわ!」


 イザナミさんに怒られ、カワシマさんは草履ぞうりをはいて板間からでた。入口の戸まで離れる。


「ここなら、聞こえませんから!」


 戸口からカワシマさんが大声で言った。


 イザナミさん、鈴子さん、ハナヒナちゃん。ワンピースを着た四人が靴をぬいで板間にあがってくる。


「ど、どうしたんです?」


 なんだか四人の顔が真剣だ。


「あっ、わたし倒れたときにワンピースをよごしましたか!」

「ちがうわ!」


 イザナミさんが『おまえもカワシマって子もちょっと天然だな』とつぶやきながらわたしのまえに座った。


「あのな、カヤノ」

「はい」

「おまえ倒れたよな」

「はい、たぶん」

「倒れるまえ、ナギナタを見て、吸いこまれそうとか言ったよな」


 言っただろうか。あまりおぼえていない。


「結論から言うぞ」


 イザナミさんが一段声を小さくした。


「おまえの神さまって、鉄の神さまなんじゃないか?」

「鉄、鉄の神さまなんているんですか!」

「カヤノ、声が大きい!」


 思わずみんなが入口を見た。入口に立つカワシマさんが、壁の天井近くを指さした。


「鉄の神というか、鍛冶の神さまですよ。あの神棚かみだなは」


 カワシマさんが指さした方向を見ると、たしかに壁の上のほうに神棚があった。カワシマさんは、わたしの言葉を神棚の話だと勘ちがいしたようだ。


「ああ、そうなんだ。教えてくれてありがとう」

「なんでも聞いてください」

「わかったわかった。まだ離れててくれ」


 イザナミさんの言葉に、近よってこようとしたカワシマさんは、また入口まで後退した。


「カヤノさん」


 黒いワンピースがシワにならないよう気をつけて正座したのは鈴子さんだ。


「みなで話をしました。あなたのこれまでを」

「わたしのこれまで?」

「はい。あなたがこれまで精霊を呼びよせたときには、必ず鉄があります」


 あっただろうか。思わず首をひねった。


「まず最初、風の道」


 鈴子さんが言ったそれは、児島にきてすぐだ。山のなかの道。いろんな精霊があつまってきて、最後は大きなカエルみたいなものがあらわれた。


「風の道は、下田井電鉄の線路道。線路はもうありませんが、鉄塔はございましたでしょう」


 言われて思いだした。あった。びて赤茶けた大きな鉄塔が『風の道』のところどころにあった。


「次が、旧下田井駅よね」


 ヒナちゃんがそう言って、水色のワンピースのすそをまくるように持ちあげた。下はスパッツだ。そして板間にあぐらをかいて座った。


「ヒナちゃん、あそこに鉄塔はなかったと思うけど……」

「鉄塔はないけど、むかしの電車がいっぱいあった」

「あっ!」


 ヒナちゃんの言うとおりだ。つかわれなくなった電車たち。あちこちびてもう動かない電車がたくさんあった。


「古いものほど、神はやどるというてな」


 ピンクのワンピースを着たハナちゃんも座った。


 ハナちゃんが言うことはあの『付喪神つくもがみ』との戦いで聞いていた。長い年月をへたものには、神さまがやどりやすいと。


 下田井電鉄が廃線になったのはいつだろう。正確にはわからない。でもとても古かった。


 イザナミさんがため息をついた。


「見落としていたんだ」

「な、なにをです?」

「カヤノも鈴子も、巫女の素質がいいので精霊を呼びよせやすいのはたしかだ。しかしそれだけではなかった。鈴子は鈴を鳴らしたから船霊ふなだま呼応こおうした」


 それは児島にきた初日の話だ。


「カヤノは、鉄塔やむかしの電車。大きくて古い鉄のそばにいったから、近くの精霊が呼応したんだ」

「じゃあ、さっき倒れたのも……」

「そのとおり。鍛冶職人が精魂こめて鍛錬したナギナタだ。鉄の精霊があつまっていたとしても、ふしぎじゃない」


 そんなことってあるだろうか。


「イザナミさん、鉄の神さまって名前あるんですか?」

「アタシが知っているのは、日本書紀にでてくるひとりだけ」

「その名は?」

天津麻羅アマツマラ

「アマツマラ……」


 わたしが口にしたときだった。


「ぎぃ……」


 と神棚の小さな戸があいた。


 みんなが言葉を失った。


「い、いま、なにが……」


 神棚を見つめて立ちつくしているのは鍛冶見習いのカワシマさんだ。


「あれだな。しっかりしまってなかったのかな!」


 はは、とイザナミさんは笑って言ったけど、カワシマさんの顔は血の気がなかった。


「うそだ。ぼくは今日の朝にお酒をおそなえしました。扉はしっかりしまってました!」


 カワシマさんの言葉で、壁の上にある神棚に目をこらした。あいた扉のまえには、たしかに小さなガラスのうつわがあり、そこには透明な液体が入っている。


「か、風がふいたんじゃありませんかしら!」


 鈴子さんが『おほほ』と笑いながら言ったけど、カワシマさんはわたしたちを真剣な顔で見つめてきた。


「風なんてふいてない。なにか変だ。あなたたちが秘密の話を初め、あの扉がひらいた」


 黒いはかまをはいた鍛冶見習いさんが、あとずさりを始めた。


「ちょっと待って、カワシマくん!」


 イザナミさんが声をかけるまえに、鍛冶見習いさんは猛ダッシュで逃げていった。


「弱ったな、これは」

「す、すいません」

「いや、カヤノが悪いわけじゃない」


 イザナミさんはそう言ってくれたけど、せっかくのみんなできた日帰り旅行が、こんなことになるなんて。


「オカルト現象ですむと思いますが、ここは逃げたほうがよろしいかと」


 冷静な声で鈴子さんが言った。


「そうだな、おいとましよう」


 わたしたちが腰をあげたときだった。


 ざざざ! と戸口に土煙つちけむりをあげてカワシマさんが帰ってきた。


「カワシマくん、アタシたちはこれで……」


 イザナミさんの言葉も聞かず、カワシマさんはずんずん進んで板間にあがってきた。


 そしてなにを思ったか、袴を折って正座した。


「われこそは、鍛冶見習いなる川島かわしま直輝なおきと申します。鍛冶の神の降臨こうりんにそくし、御利益ごりやくをうけたまわらんこと、切にお願いしまする!」


 そう言ってカワシマさんは深々と土下座した。


「か、鍛冶の神の降臨?」


 カワシマさん、なにを言っているのだろう。


「わちゃあ、こりゃ最悪の勘ちがいをされたわ」


 ぼそっとつぶやいたのはイザナミさんだ。


「あのな青年、アタシら、ただの人間だから」

「いいえ。この目はだませても、神棚の扉があいたのが証拠。それにそのお姿。天女てんにょ五人衆ごにんしゅうであらせられるでしょう!」


 イザナミさんがまた『あちゃ』と言いながら茶色い頭をかいた。


「イザナミさん?」

「ああ、天女ってのはな、なにかと『五』の数に関連があるんだわ。それにワンピースだ」


 イザナミさんが自分の着ているオレンジワンピースのスカート部分をつまんだ。たしかに、ひらひらで色とりどりのワンピースを着た五人の女の子。天女っぽいかもしれない。


「天女などではない」


 だれの声かと思えばハナちゃんだ。


「わらわはテナガツチの巫女、ハナ」

「み、巫女、神のつかい!」


 ずずいとまえにでたハナちゃんに圧倒されるように、正座していたカワシワさんがうしろに手をついた。


「だめだこりゃ。営業モード入ったわ」


 ぼそりそう言ったのは双子の姉妹であるヒナちゃんだ。なるほど、実家の神社では、ハナちゃんはこんな感じで参拝客にむかっているんだ。


若人わこうどよ」

「は、はい!」


 中学生がつかう言葉とも思えないけど、カワシマさんまできちんと返事をしている。


「身を清め、毎日を精進されよ。さすれば神のごりやくが」

「精進はしてます。でもなかなか師匠のような刀は造れなくて!」


 がくりとカワシマさんが両手を板間についた。


「これ、ウチらなにを見さされてるんだろ」


 あきれたようなヒナちゃんの声だ。


「やめいやめい、ちょっと座るぞ!」


 イザナミさんの声で、立ちあがっていたわたしたちは、ふたたび板間へ座ることになった。


 カワシマさんもふくめて、みんなでになって座る。


 イザナミさんがカワシマさんに説明した。わたしたちは児島の神社で巫女をしていると。


「では、神さまのつかいでここに……」

「ちがうちがう。ここにきたのはただの観光!」

「しかし、神棚の扉が!」

「それだがな、巫女には、それぞれ自分の神さまがいるんだ。おそらくこのカヤノの神さまが、鉄の神だ」


 そう言ってイザナミさんは、となりにいるわたしの背中をたたいた。


「あっ、イザナミ、もうめんどうになってカヤノを人身御供ひとみごくうにさしだした」


 言ったのはヒナちゃんだ。


 カワシマさんが、わたしをまっすぐに見つめてきた。


「鉄の巫女さま」

「は、はい!」


 こうなったら、返事をするしかない。


「つきますれば、このカワシマが精魂せいこんこめてつくりし、ふとふり。ぜひ奉納ほうのうさせていただければ!」


 なにを言っているのかわからないけど、カワシマさんは白い胴着のふところから、小さなかたなを取りだした。


「ほう、まもがたなか」


 感心するように言ったのはイザナミさんだ。


 わたしのまえに、小さな刀が置かれた。


「白いな、それ」


 イザナミさんが言った。たしかに小さな刀の外側には、白い木材がつかわれていた。


「はい。めずらしいほどに白いヒノキの木材を見つけまして。ぼくが最初につくったひとふり。その記念として白いヒノキでさやつかをこしらえました」


 カワシマさんが小刀こがたなを手に取り、両手に乗せてさしだしてくる。


「ぜひ、鍛冶かじかみ、いえ、てつ巫女みこさまに!」


 やっと意味がわかった、奉納って。


「も、もらえませんから!」


 この鍛冶見習いさんが最初に造ったもの。そんなもの、もらえるわけがない。


「鉄の神の依代よりしろとしてつかえるかもしれない。もらっておけよカヤノ」


 依代とは、イザナミさんのヤモリみたいなやつだ。


「カヤノさん、と言いましたか。ぜひ!」


 カワシマさんが『さあさあ!』と言わんばかりに小刀をさしだしてくる。


「ちなみに、あれだぞカヤノ。刀鍛冶が造った刀は、意外に高くて二百万ぐらいする。その見習いがのちに有名になったら、けっこうなお宝だぞ」


 言われて血の気が引いた。


「よけいにもらえませんよ!」

「では、せめて持ってみてください!」


 カワシマさんに言われ、白い小刀を手に取った。


「刃はついてないので、ぬいてもだいじょうぶです」


 やさしい口調でカワシマさんに言われた。フタというか『さや』と言ったかな。片手に持って、鞘をぬいてみる。


「わっ、きれいな鉄!」


 小さな刀は、その鉄の肌がおだやかな海のようにキラキラしていた。


「おほめいただき、ありがとうございます、鉄の巫女さま!」


 にぎっていた木の部分に文字が書かれてあるのを見つけた。


ぎん?」

「それは『しろがね』と読みます。おはずかしいことながら自分の刀に名前をつけました」


 それはいい名前に思えた。白い木のつかさやにおさまった小刀だ。


「シロガネ……」


 わたしが口にしたときだった。ぼうっと、にぶく小刀が光った。


「うわっ、光った!」


 声をあげたのはヒナちゃんだ。


「こりゃカヤノの神は、鉄の神で確定だな」


 イザナミさんの言うとおりだろう。まさかわたしの神さまは鉄の神さまだったなんて。


「光ったのですか!」


 カワシマさんがおどろいている。そうか、カワシマさんには見えない。


 もう、もらうしかない。そう思った。でもなぜだろう、せっかくかっこいい男の人からもらったのに、心はちっともうれしくない。


「では、奉納いたします!」


 カワシマさんが正座したまま深く頭をさげた。


 そうだ、わたしって男の人になにかもらうの始めてだ。でもこれはプレゼントじゃない。奉納だ。


 なんだかちょっとがっかりしながら、わたしは『しろがね』の刃をさやにしまった。

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