第36話 潮騒(しおさい)

 防波堤ぼうはていの上にのぼる。


 夕焼けの海が見えた。


 そういえば自分が白いワンピースを着ていたのを、いまさら思いだした。


 防波堤の上を見まわしてみる。海鳥のフンとかないだろうか。そう心配したけど、灰色のコンクリートはきれいだった。よごれる心配はなさそう。


 海に足を投げだし、防波堤に座った。


 瀬戸内海って、ほんとに波がおだやか。ちゃぷちゃぷと下で音をさせているぐらいで、防波堤にいても水しぶきがかかることはなかった。


 ハンバーガー屋の紙袋をあける。


 アップルパイとアイスティーをだして、このふたつは防波堤に置いた。かわりに手に持っていたリコーダーの袋、なかは小刀だ。それを紙袋へとしまった。


 わたしの大好物、いつものアップルパイを手に持つ。


 このハンバーガー屋のアップルパイが好きなのは、おいしいという理由もあるけど、どこで買ってもおなじ味だから。


 封を切って、アップルパイをかじった。


 とろりと中身がこぼれそうになったので、音をたててすすった。これも、いつもどおりだ。


 いつもと変わらない味。そのはずが、なぜかすこし味気あじけなく感じた。


 がりがりアップルパイの皮をかみくだきながら、味がちがうことを考えてみる。でもそれは考えるまでもなかった。このまえ五人で食べたアップルパイが楽しかったからだ。


 でもいま、みんなそれぞれ動いている。この児島の町を守ろうとしている。


 わたしもがんばらないと。そう思い、大きくかじった。いきおいをつけてアップルパイを咀嚼そしゃくする。


 ふと防波堤の上に、なにか石があるのを見つけた。


 よく見ると石じゃない。貝殻かいがらだ。それも大きな巻き貝。


 巻き貝って、南の島とかにあるものだと思っていた。瀬戸内海でもれるのだろうか。


 スカートをはたきながら立ちあがり、アップルパイを持ったまま防波堤の上を歩いた。


 近づいてみると、やっぱり巻き貝だ。


 大きな巻き貝。チョココロネぐらいの大きさはある。しゃがんでひろい、巻き貝の穴を見た。貝のなかはからっぽ。


「波の音?」


 巻き貝のなかから、波の音が聞こえた気がする。そういえば耳に近づけると巻き貝は潮騒しおさいが聞こえるとか、なにかの映画かドラマで見た気がする。


 耳に近づけた。でもなぜか、ぐらりと視界がゆれた。


 だめだこれ。海に落ちる。海とは反対へとからだをひねった。


 防波堤から落ちた。肩と背中を打った。


「おい!」


 遠くで声がした。


「だれか倒れたぞ!」


 また遠くで声だ。なぜだろう。目が見えない。まっくらだ。


 なにかに閉じこめられそうな気がする。なにかが、わたしにせまっていた。


 呪いだ。この巻き貝に呪いがかけられていた。


「おい、だいじょうぶか!」


 何人かの足音が聞こえた。


紙袋かみぶくろを……」


 わたしの小刀。『しろがね』でこの呪いを切らないと。


「おい、聞こえるか!」

「紙袋を……」


 声はだせた。でも目が見えない。


「これか、そこにあったこれか!」


 だれかがわたしの左手に持たせた。紙袋だ。感触はわかった。


しろがね……」


 口にすると紙袋を持つ左手が温かくなったような気がした。でも右手が冷たい。右手。巻き貝だ。


「おい、救急車!」

「車で連れてったほうが早いだろ!」


 救急車。病院。だめだ。この巻き貝をイザナミさんにわたさないと。


「下田井……」

「なに、おじょうちゃん、なに!」

「下田井神社へ……」


 なにかにどんどん閉じこめられそうになる。手を強くにぎった。左手の小刀。右手の巻き貝。


「おじょうちゃん、車に乗せるから、いったん手にしたものをはなして」


 だめだ。巻き貝。イザナミさん。


 閉じこめられていく。


「下田井。神社。巻き貝……」


 声がだせているのか。わたしはわからなくなっていた。


「下田井。神社。巻き貝……」


 呪い。巻き貝。神社。みんな。


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