第44話 最終話 日常(にちじょう)

 目をさました。


 また病院だ。


 しかもなんだか、おぼえのある部屋だ。


 上半身を起こし、まわりを見た。


 すごい広い病室。


 広い病室なんだけど、ぎゅうぎゅうにベッドが五台も入っていた。


 ベッド以外には、リビングのようなソファーとテーブル。


「ひょっとして特別室!」


 あのおばあちゃんが入院していた部屋だ。一日が数万円もする高級個室。


「いいとこだろ。ほかは四人部屋だからな。ここなら五人で入る許可がでた」


 そう言ったのは、となりのベッドで寝ているイザナミさんだ。


「カヤノが寝ているあいだに、精密検査は終わったぞ。カヤノは全身の打撲だぼく、あとは右足の捻挫ねんざな」


 言われて布団のなかの右足を動かしてみる。テーピングで固定された感触があった。


「すり傷はそうでもない。となりのミイラ女みたいにならなくてよかったな」

「ミイラ女?」


 反対のベッドへふり返ってみる。


「わっ!」


 そこにいたのは、黒いレースのパジャマを着たミイラ女だ。


 ミイラ女はベッドの上半身を起こしてこっちをむいている。顔中に包帯を巻いて、目だけでていた。長い黒髪のミイラ女。あれ、それって……


「鈴子さん?」

「はい。ここの皮膚科に女医さんがおりまして。傷跡きずあとが残らないよう丹念たんねんに処置してくださいました」


 それはよかったことだけど、鈴子さんはゴスロリの黒いパジャマを着ていた。顔に包帯をまいたゴスロリ。はっきり言って見た目が怖い。


「ハナ、それ三千子おばちゃんが切ったメロン、みんなのぶん!」


 むかいのベッドから声が聞こえた。水色のパジャマを着たヒナちゃんが、ピンクのパジャマを着たハナちゃんへ注意している。


 ハナちゃんはベッドの上であぐらをかいていた。


 あぐらの上には大きなお皿があり、切られたメロンが乗っている。注意されたハナちゃんは、そっと壁のほうをむいて座りなおし、メロンを食べ始めた。


 部屋を見まわせば、スチール棚の上だ。花瓶かびんに入った花がある。それにフルーツかごがいくつもあった。


 リンゴ、オレンジ、バナナ、メロン。いろいろなフルーツが入ったかごだ。透明なセロファンで包まれていて、そこに送り主らしい名前がはってあった。


 送り主のふだには『神社一同』としか書かれていない。


「みっちゃんがな、裏神社本庁にすごい剣幕けんまくでクレームを入れたんだ」


 みっちゃんとは、お手伝いの三千子さんだ。むかしは有名な巫女さんだったと聞く。


 ということは、あのいくつもあるフルーツ籠は裏神社本庁からなのか。数えてみると四つある。おそらく五人分あった。五つのフルーツ籠があって、そのうちのひとつはすでに三千子さんが皮をむいたのだろう。


「さすがに本庁もわざわいの神まででてきたって腰をぬかしてな。緊急出動だ。あぶり文字は消せたらしいぞ」


 それはよかった。でも、不安もある。


「それで呪いは完全に消えるでしょうか」

「まあ、だいじょうぶだろう。今日の児島駅には、こっそり一般の人にまじって巫女が何人も待機してるからな」


 それを聞いて安心した。あてにならない。みんなにそう思われていた裏神社本庁が動いてくれたんだ。


 そうなると、わたしたちがこの特別室にいるのも理解できる気がする。


「ここの代金も本庁が?」

「そのとおり。本庁の連中め。反省したのかわからんが、アタシらは明日まで安静にしてろってさ」


 わたしは布団をめくって起きあがった。いつのまにかキリンのパジャマに着がえている。きっと三千子さんが持ってきてくれたにちがいない。


「イザナミさん、あの鬼塚浩三という人は」

「ああ、器物破損きぶつはそんと、不法侵入ふほうしんにゅう。いまは児島署だ。駅の照明をこなごなにしたからな」


 でも人を呪った証拠はない。


「心配してる顔だな。いちど身元がわかれば、裏神社本庁がずっとマークするし、わたしも公安警察こうあんけいさつのほうに『危険思想犯きけんしそうはん』として報告する。安心していいぞ」


 なるほど。


 窓の外を見ると、今日も児島の海は晴れていた。


「ちょっと外の風にあたってきていいですか」

「もちろん。スマホ持っていけよ。病院の晩飯ばんめしは早いからな。きたら知らせる」


 わたしはうなずき、わたしのスマホがベットサイドのテーブルに置かれているのを発見した。そのとなりには、さやにおさまった小刀がある。


 手をのばしてスマホを取り、ベッドの下にあった自分のスニーカーをはいた。


「コンビニだったら遠いぞ」

「ちょっと海が見たいだけなので」

「おまえ、海好きだな」


 イザナミさんがあきれたように言った。


 言われて思いだした。父によく海へつれていってもらった記憶がある。でもあれは、わたしがお願いしたんじゃない。言いだすのは、いつもお母さんだった。


「海が好きなのは、きっと母親ゆずりです」


 そう言って病室をでた。ちょっと右足が痛いけど、松葉杖まつばづえが必要なほどでもなかった。


 廊下ろうかを歩いてエレベーターに乗る。


 一階に着き、待合室まちあいしつのうしろを通った。


 待合室のイスに座る人は大勢おおぜいだった。そのうちのひとりが気になった。


 イスに座る小さな女の子のうしろ姿。細く小さな首のうしろに、まるい霧のようなものがある。


 遠くから観察した。となりにいるのは母親だ。母親は呼びだしを待っているようで周囲をキョロキョロしている。その反対に女の子はうつむいたままで、まったく動いていない。


 わたしは自分の左手を見た。いま、わたしはシロガネを持っていない。でも言葉ことば言霊ことだまだ。そして巫女は言霊ことだまをつかう。だんだんわかってきた。


 左手の指をのばし、口に近づけた。


手刀シュトウ太刀タチ


 やっぱり、思ったとおりだ。左手がにぶく光った気がする。


 わたしはイスに座っている女の子に、うしろから近づいた。


 うしろを通りすぎるフリをして、通る瞬間に首のうしろにある霧のかたまりを手刀で切った。


「あれぇ、ママ、病気なの?」

「リンちゃん、しゃべれるの!」


 うしろから母娘の声が聞こえた。うまくいったみたいだ。


 待合室をぬけて病院の出口へとむかう。途中の掲示板に目が止まった。張り紙のひとつを見て、母親に電話をかけようと決めた。


 病院の外にでて、手にしたスマホで電話をかけた。


「あっ、お母さん?」


 お母さんはすぐに電話へでた。


「カヤノ、ちっとも連絡してこないから!」


 そうだった。いそがしくて忘れてた。


「まあ、イザナミさんからね、ちょくちょく連絡してもらってるから。元気なのはわかってるけど」


 そうだったのか。


「あのね、お母さん」

「なに、カヤノ」

「わたし、もうちょっとこっちにいてもいい?」

「ええっ、高校はどうするの?」

「編入手続きもできるみたい」

「カヤノ、そっちに住むの?」

「お母さん」

「なに」

「いちど遊びにこない?」

「そっちに?」

「うん」

「そうねぇ、仕事がいそがしくて」

「ここの病院ね、看護師を募集してたよ」

「ちょっとカヤノ、なに言ってるの」

「お母さん、都会あまり好きじゃないでしょ」

「好きよ、お母さんは」

「うそ。むかし、息がつまるって、お父さんに海いこうって、よく言ってた」

「そういえば、そんなこともあったわね」

「お母さん、いちど遊びにきて」


 お母さんは、しばらく無言だった。


 わたしの上を海鳥うみどりが一羽飛んでいった。海鳥って、いつも海にむかって飛んでいく。


「こっちの海、きれいだよ」


 わたしも海にむかって歩きだした。


「そうね。来月にまとまった休みがあるから」


 スマホから、お母さんの声が聞こえた。


「うん。それまで待ってる」


 ひさしぶりにお母さんと会話して、わたしは電話を切った。


 いい天気だった。駐車場から歩いて敷地の外へでた。アスファルトの道路をしばらく歩いて防波堤に着いた。


 キリンのパジャマは目立つかなと思ったけど、遠くにパジャマ姿でタバコを吸っているおじいちゃんがいる。きっとあの人も、入院している人だ。


 わたしは防波堤に手をつき、海をながめた。


 今日も瀬戸内海は、きらきらと海面が輝いている。そこを一隻の小さな漁船が通った。


 きらきらと光が反射する海面のせいで、漁船は影のようにしか見えない。


 影にしか見えないけど、ぽんぽんぽんっと小刻こきざみなエンジンの音は聞こえてきた。


「みんな生活してるなぁ」


 声にだして、あたりまえのことを言ってみた。ここは海が日常だ。


 新幹線のなかでイザナミさんは言っていた。おとなになれば、どこに住むのか、なにをするのかも自由だと。


 わたしは巫女さんになりたいのだろうか。それすら確信はない。けど、この町は大好きになった。


 お母さんがきたら、どこを案内しよう。そんなことを考えながら、わたしはきらきら光るおだやかな瀬戸内海を見つめ続けた。


 さきほどの漁船が方向を変えている。夜に漁をするためか、沖のほうへと小船を走らせていた。


 遠くには小さな島々が見える。その海にむかって漁船は進んでいた。


 こちらに背をむけた漁船の影がどんどん小さくなっていく。


 耳をませば、エンジンの音はまだ聞こえた。


 ぽんっぽんっぽん、ぽんっぽんっぽん。


 ほんのかすかに聞こえるていどだ。


 ぽんっぽんっぽん。


 どんどん遠くなる。


 わたしは、きらきら光る海を見つめ続けた。




 異形の巫女さん 完



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