第22話 腹拵え(はらごしらえ)

 テーブルをふき終わり、タオルを店員さんに返した。


 まえを見ると、ハナちゃんとヒナちゃんのあいだにいるイザナミさんは、がっくりと頭をうなだれていた。


「……したっていいじゃないか」


 なにかイザナミさんがつぶやいた。


「なんです、イザナミさん」


 わたしがたずねると、がばっとイザナミさんが顔をあげた。


「アタシだって、結婚したっていいじゃないか!」


 どんっ! とイザナミさんが両手のコブシでテーブルをたたいた。テーブルがゆれたので、わたしたち四人は味噌汁がこぼれないようあわてて自分の味噌汁を持った。


「な、なんのことですか、イザナミさん!」

「四人だ。四人の巫女を育てたら、結婚してもいいと神社本庁から言われている。そのことだろう、鈴子!」


 鈴子さんを見ると、鈴子さんは「ちがうちがう」とぶんぶん長い髪の頭をふっていた。


「おまえたちふたりを利用したわけじゃない。でもハナとヒナあわせて、これでちょうど四人になる、そう思ったっていいだろう!」


 またイザナミさんがテーブルをたたいたので、味噌汁を置こうとした四人はまたあわてて味噌汁を持ちあげた。


「ちょっとイザナミ、落ちついて!」


 ヒナちゃん、ナイスアドバイス。


「は、話がぜんぜんわからないのですが」


 わたしの疑問には、イザナミさんではなくヒナちゃんが説明してくれた。


 巫女の力というのは、出産したら無くなる場合が多い。そのため裏神社本庁は巫女に対し「四人の巫女を育てた者は結婚してよし!」と通達しているらしい。


「くそっ、本庁のやつら、えらそうに」


 いろいろと思いだしたのか、イザナミさんは顔をしかめて腕をくんだ。それを見てわたしたちは味噌汁をテーブルに置いた。


「イザナミさんなら、すでに四人ぐらい育ててそうですけど」

「それ無理」


 わたしの疑問へ即座に言葉を返したのはヒナちゃんだ。そして三本の指を立てた。


「理由は三つ。ひとつ目、裏神社の世界でイザナミは現代最強の巫女といううわさ」


 なるほど、すごすぎる人には教わりたくないってやつかな。


「理由ふたつ目、警察業界では仲間からも恐れられる女刑事。皮肉にも『炎の女刑事イザナミ』ってあだ名でね。そういうオーラでてるでしょ」


 た、たしかに初めて見た印象は怖かった。


 ヒナちゃんは言うごとに指をひとつずつ減らしていく。そして指は最後の一本になった。


「理由みっつ目。ガサツ。とにかくガサツ」


 言われたイザナミさんが、またがっくりと頭を落とした。


「そんな人のところへ、女の子が教わりにくるはずないよね」


 ヒナちゃんが笑いながら言う。イザナミさんが泣きそうな顔をあげた。


「アタシだって子供を産んで、家庭の温かさってやつを味わってみたいのに!」


 そう言われて思いだした。わたしはお父さんを亡くしているけど、イザナミさんは両親ともに亡くしている。


 そんなイザナミさんを、笑う水色のヒナちゃんとは反対に、ピンクのハナちゃんがやさしく肩をたたいた。


「わらわの気持ちは、すでにイザナミの子ぞ」


 言われたイザナミさんは、さらに泣きそうな顔になった。


「もっと、ふつうの子がいい!」


 それを聞いてハナちゃんがハンバーガーをかじるときのような鬼の形相になった。


「もはや、ヤケ食いじゃ」


 くるっとハナちゃんは、レーンのなかにいる店長さんへ顔をむけた。


「ご店主!」

「はいよ!」

「アコウとサヨリのにぎり。それにママカリの酢漬けを」

「お、おじょうちゃん、ほんとによく知ってるねぇ」


 ハナちゃんが言ったのは、すべてここ瀬戸内海の魚らしい。わたしの知らない魚ばかりだ。


 場が落ちついてきたので、あらためてわたしは自分の味噌汁を飲んだ。


 ちょっと時間がたってぬるくなっていたけど、濃厚なお味噌汁だった。


「おいしい……」


 お味噌が濃いのではなく、ダシの風味が強い。具は小さなわかめと、おなじく小さく切った豆腐が入っているだけ。それがちょうど、これからお寿司を食べるスタートとしても最適だった。


「しかし、音の神さまとはね」


 ヒナちゃんが自分のお味噌汁を飲んだのか、お椀にフタをしながら言った。


「イザナミ、聞いたことある?」


 聞かれた現代最強の巫女は、あごに手をやって顔をしかめた。


「アタシでも聞いたことないな。反応した言葉は『音霊おとだま』だったか?」


 となりの鈴子さんがお味噌汁を上品に飲みながらうなずいた。


音霊おとだまという言葉自体、ウチは聞くの初めてかも」


 ヒナちゃんはイザナミさんにむかって聞いたけど、問いには鈴子さんが答えた。


「中学生では読む機会がないと思われます。戦国時代に書かれた『曽我物語そがものがたり』という本にでてきます」


 それは高校生のわたしでも読んだことがない。さすが才女さいじょ


「鈴子、音の神というのは前例がない。ということは神の名すらだれも知らないということだ。これは、なかなかやっかいだぞ」


 イザナミさんの言いうことは、わたしも理解できた。イザナミさんが火の精霊をつかうとき、ホムラ、カギロイ、カマドなど、いまの日本語ではつかわなくなっていたり、ちがう意味になってしまった神々の名前がある。


「古い文献などを探してみようと思います」

「そうだな。そしてそれができるのは、きっとおまえぐらいだろうな」


 イザナミさんの言葉で、わたしは鈴子さん以外を見てみた。たしかに、ヒナちゃんは勉強が得意そうではない。


 そしてハナちゃんを見ると、ピンク色の髪をした中学生のまえには、すでに食べ終えたお皿が三枚も積みあがっており、次のお皿へとハナちゃんはレーンへ手をのばしているところだった。


「ハナ、自分ばっかり取るな。わたしには納豆巻きを取ってくれ」

「ウチには、カニサラダ!」

「ワタクシには、穴子の煮付けを」


 それぞれが言うので、わたしもなにか言わなきゃ。


「えっと、えっと、サーモン!」


 口々に言ったけど、ハナちゃんはまわるレーンからひょいひょいと取ってくれた。


 わたしのまえにきたサーモンのにぎりは、見るからにネタが大きく、そしてツヤがあるように見えた。


「ここの名物、うま塩サーモンじゃ。しょうゆは付けんでもええぞ」


 ハナちゃんが教えてくれた。サーモンの上にはすでに塩ダレがぬられているらしい。


 おいしそう。塩ダレが光るサーモンのにぎりをつまみ、大きく口をあけてほおばった。


「ほいひい!」


 もう口へ入れた瞬間に、おいしいのがわかった。塩っからいタレが、サーモンによくなじんでいる。


「塩ダレとサーモン、こんな最強コンビだったとは!」


 食べ終えて思わず感想を口にした。


「コンビ。そうか、ふたりをエサにするか」


 だれが言ったかと思えば、対面にいるイザナミさんだ。


 納豆巻きを食べるイザナミさんは、すこし口から糸を引きながら説明を始めた。


「風の道で、通るはずのない電車の音がすると、何件か警察へ通報がきている」


 イザナミさんが言う『風の道』は知っていた。もう廃線となった下田井電鉄。その線路だった道だ。いまは歩行者専用の散歩道になっているので、もちろん線路はない。


「カヤノと鈴子がいれば、その電車のおばけとやらに会えるかもしれない。なんせふたりは呼びよせるからな」


 電車のおばけ。ぜんぜん会いたくない。


「あのう……」

「なんだ、カヤノ」

「それってやっぱり、夜ですか」

「あたりまえだ。草木も眠るうしどき。つまり午前二時だな」


 風の道は山のなかを通る道だ。そんなところに夜ふけ。


「よし、善は急げだ。今日の夜にいくか。戦うまえのはらごしらえ。野郎ども、いや、野郎だと男か。乙女おとめたち、気合い入れて食っとけよ!」


 イザナミさんはそう言うと、店長さんに追加の納豆巻きをたのんだ。

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