第14話 悪魔(あくま)

 喫茶ニルヴァーナ。


 日本語に直訳すると『喫茶・死後の世界』だ。


 でも入ってみると、アットホームなお店だった。


 自宅を改装したような小さな店内で、テーブル席が四つだけ。あとは小さなカウンターがある。


 四つあるテーブルも、壁や天井も、明るい色あいの木で統一されている。


 あそこと真逆だ。クラシック喫茶『時空回廊』は黒光りするアンティークな壁や家具、それに暗い店内だった。こちら喫茶ニルヴァーナは、高原にあるペンションのような内装だった。


 こじんまりしていて、かわいい喫茶店。大きな窓もあって明るいし、店内に流れている音楽は、昭和のフォークソングだった。


「まだいいですか?」


 お店に入ってすぐ、イザナミさんが聞いた。答えたのは人のよさそうなおばあさんだ。


「いらっしゃいませ。どうぞ」

「すいません、閉店まぎわに」


 イザナミさんはそう言うと、わたしたち四人をテーブル席へとうながした。


 テーブルにあるイスは四つだったので、イザナミさんは自分のイスをとなり席から持ってきた。


「ご高齢のご夫婦がやってる店だからな。夕方の五時で閉店なんだ」


 イザナミさんの言葉に壁の時計を見る。四時五〇分だった。


「お気になさらず。ゆっくりしていってくださいね」


 お店のおばあさんが、トレイに乗せてお水を持ってきた。このお店は、おばあさんのほうが接客をするみたいだ。料理をするのが旦那だんなさん。カウンターのむこうにあるキッチンで、人のよさそうなおじいさんが、ぺこりと頭をさげた。


「んまぁ、かわいい巫女さん!」


 お水を持ってきたおばあさんは、ハナちゃんとヒナちゃんを見て声をあげた。ふたりはピンクと水色の巫女衣装だ。


「アタシの神社で、この四人はしばらく巫女修行をするんです」

「どこの神社?」

「下田井神社です」

「あら、下田井港の。巫女の修行というと、お祈りをささげたり?」

「それもありますが、掃除をしたりと基本的なところを」

「若いのに大変ですねぇ」


 イザナミさんとおばあさんの会話を聞いて思った。このおばあさんは一般の人、つまり見えない人のほうだ。


「ご注文が決まったら、呼んでくださいね」


 ほほえんで帰ろうとするまえに、ふたつの若い声がそれを止めた。


「ウチは、もう決まってる。野菜サンドとレモンスカッシュ」

「わらわは、魚フライ定食を希望じゃ」


 おばあさんは、ややハナちゃんの口調にとまどいながらも、カウンターから伝票とエンピツを取ってメモし始めた。


「このふたりには『黒い悪魔』を。アタシはコーヒーだけで」


 イザナミさんが『黒い悪魔』と言うのを聞き、おばあさんはにがそうに笑った。


「まれに、そのあだ名を言う人がいますねぇ。いつのころからなのか」

「アタシが高校生のころには、みんなそう言ってました」


 お店のおばあさんはおじきをひとつして、カウンターの奥へ帰っていった。


「イザナミさん、そろそろ『黒い悪魔』とはなんなのか。教えてくれても」


 店内に入りサングラスをはずしたイザナミさんに聞いてみたが、仕事あがりの女刑事さんは、ハリウッド映画のように立てた人さし指をふって否定した。


「きてからのお楽しみとしておこう」


 わたしのよこに座る鈴子さんは、自身の長い黒髮をさわりながら考えに沈んでいる顔だ。


「黒い悪魔。食べものであるとすれば、デミグラスソースのかかったハンバーグとか」

「鈴子」

「はい」

「まったくもって不正解」

「くっ!」


 美形な顔をゆがめて、鈴子さんがくやしそうな顔をしている。


「おふたりも、まえからの知りあいですか?」


 ハナちゃんとヒナちゃん、このふたりは、おさないころからイザナミさんと会っている。この鈴子さんもそうなのかと思えば、鈴子さんは長い黒髪をゆらして首をよこにふった。


「お会いするのは初めてでした。ですが、本庁では『現代最強の巫女』とうわさのおかた。そのおかたから修行のお誘いがくれば、ことわる理由などありません」


 それを聞くイザナミさんが、腕をくんでウンウンとうなずいた。


「京都、月読神社。三姉妹の三女、園田鈴子。姉妹のなかで鈴子だけがまだ精霊の力をつかえないと聞いた。肩身がせまいんじゃないかと思ってな」


 京都と聞いて、まったく関係のないことが頭に浮かんだ。


「鈴子さんって、京都弁でないんですね」

「姉のふたりが京都弁をつかいます。そのせいか、わたくしは京都弁がきらいになりまして」


 それは、ふたりの姉がきらいということにならないだろうか。


 そんな話をしていると、さきに料理がきたのは双子のほうだった。


「アボカドっ!」


 わたしはサンドイッチを見て、思わず声がでた。


 水色の巫女、ヒナちゃんのまえに置かれた『野菜サンド』とは、アボカドとトマトのサンドイッチだ。緑のアボカドと赤いトマトは小さめのサイコロ状に切られてある。


 なんて色のきれいなサンドイッチだろう。三角のパンはまっ白だ。ふわっふわの白いパンのあいだに、小さく切られた緑のアボカドと赤いトマト。それが大きなお皿に四つもある。めっちゃおいしそう。


「こちらは、カニクリですか」


 鈴子さんの声にハナちゃんのほうを見た。


「うわっ、豪華!」


 ハナちゃんがたのんだのは『魚フライ定食』だ。でもこれはもう定食ではない!


 カニクリームコロッケ、白身魚のフライ。ふたつには自家製っぽいタルタルソースがかかっている。さらに小鉢こばちがふたつ。ひじきの小鉢、もうひとつは豆腐にゴマダレがかかった小鉢だ。


 サラダもちゃんとあるのに、サラダのよこにはフルーツまである。ぶどうがひとつぶと、カットされたオレンジがひとつ。


 この『魚フライ定食』には、いったい何品目のものがあるのだろう。そう感心するほどに内容がゆたかだった。


「んー、やっぱりここのレモンスカッシュ最高!」


 グラスを手にストローから飲んだヒナちゃんが、水色のショートカットをゆらしながら小刻こきざみに顔をふるわせた。


 ヒナちゃんの手にあるレモンスカッシュは、ふつうのレモンスカッシュとはちがった。入っているのはレモンスライスではなく、カットされた大きなレモンだ。それが三つも四つも。


「ヒナちゃん、それ酸っぱくない?」

「ここでつかわれるレモンは、瀬戸内せとうちレモンのなかでも一級品。それほど酸っぱくはないぞ」


 わたしの疑問に答えてくれたのは、ヒナちゃんではなくイザナミさんだ。瀬戸内レモン。東京でも聞いたことがある。


「飲んでみる?」


 ヒナちゃんがグラスをさしだしてきたので、両手で受け取った。ひとくちだけもらってみる。


「うわっ、酸っぱくない。っていうか、さわやか!」


 濃厚なレモンスカッシュだった。


 そのとき、ハナちゃんが自身のまえにある味噌汁をすっと引くのが見えた。


「ハナちゃん、お味噌汁はいらないから!」


 取られると思ったのか、ハナちゃんがうたがいの目でわたしを見た。ほんとにハナちゃん、食い意地がすごい!


「くるぞ。『黒い悪魔』だ」


 言ったのは、テーブルの側面にイスを持ってきて座っているイザナミさんだ。あわててわたしは、ヒナちゃんにレモンスカッシュを返した。


「お待たせしました」


 おばあさんが、わたしと鈴子さんのまえにひとつずつ。大きなガラス容器に入ったものを置いてくれる。


 白い受け皿の上に乗った、背の高いガラス容器。そこからいまにもこぼれそうなほど盛り盛りになった黒い物体。


 盛り盛りの黒い物体には、刺さっているものがあった。バナナのスライスが二枚、ミカンの缶詰がふたつぶ。そしてポッキー。


 イザナミさんが言う黒い悪魔。これはまさか……


「チョコレートパフェ!」


 上に乗っているミカンとバナナ。そこだけわかるけど、あとはまっ黒だ。おそらくアイスの上からたっぷりとチョコソースをかけている。


 ガラスの内側もチョコソースを塗っているのか、まっ黒で中身はまったく見えない。


「チョコアイスに、チョコソースをかけるのですか。甘すぎると思うのですが」

「鈴子、予想を言うまえに食ってみろ」


 わたしと鈴子さんは見あってうなずき、受け皿に置かれた長いスプーンを手に取った。


 山と盛られたチョコソースに、細長いスプーンのさきを刺した。ひとかたまりを乗せて口に入れる。


「あっ!」

「これは!」


 わたしと鈴子さんが同時に声をだした。


 くつくつと低い笑い声が聞こえた。笑っているのはテーブルにひじをつき、両手を顔のまえでくんでいるイザナミさんだ。


「おまえらが食ったひとくち目。それが第二層。第一層のチョコソースで正体をかくしているが、それはチョコアイスなんかじゃない」


 イザナミさんの言うとおりで、チョコアイスではなかった。パリパリとしたチョコでコーティングされたバニラアイス。でもこれは、なにアイスなんだろう。


「くだいたクランキーアイス」

「正解だ鈴子」


 クランキーアイス、それだ。サクサクとしたパフと、パキパキしたチョコの食感がたまらない。


 いままでに東京でもチョコレートパフェを食べたことは何度もあった。でも、くだいたクランキーアイスをつかう店はなかった。


 サクサク、パキパキ。でもチョコソースとすこし溶けたバニラアイスがしっとり。


「バナナとの相性も最高です、カヤノさん」


 そうだった。落ちるまえに刺さったバナナスライスを食べないと。


 細長いスプーンに苦労して乗っけて、大きくななめにスライスされたバナナを口にいれる。


「これ、生クリームが……」


 チョコレートパフェに深く刺さっていたバナナスライスだ。なぜか生クリームの味がする。


「第三層、生クリーム」

「そうなんですか!」


 イザナミさんの言葉におどろき、ちょっと深くスプーンを刺した。落とさないようにすくってみると、たしかに生クリームがくだいたクランキーアイスの下にあった。


 チョコソース、くだいたクランキーアイス、そして生クリーム。いっしょに食べて、おいしくないわけがない。


「あっ、ミカン落とした!」


 夢中で食べていると、乗っていた冷凍ミカンがお皿の上に落ちた。


 見ればとなりの鈴子さんは、乗っていたミカンもバナナもきれいに食べたあとだ。意外に鈴子さん、食べるのが早い!


「ここにきて、初めてチョコアイスがっ!」

「第四層、到達したか鈴子」


 イザナミさんと鈴子さん。ふたりの会話を聞きながら、わたしも追いついた。うすい生クリームの層の下。チョコアイスだ。しかも、めっちゃおいしいチョコアイス!


 これすごい多重構造。上から、チョコソース、くだいたクランキーアイス、生クリーム、そしてやっとチョコアイスだ。


 笑いをこらえている声がした。見れば水色の巫女、ヒナちゃんだ。


「三人とも、めっちゃ大げさ!」


 いやたしかにそうなんだけど、びっくりするほどおいしいんだもん!


「カヤノさん、第五層!」

「えっ、なに、鈴子さん!」

「食べたほうがよろしいかと」

「待って、待って!」


 鈴子さんがおどろいているのが気になる。わたしはチョコアイスの第四層を食べ終え、その下にたどりついた。


 なにかサイコロ状の小さいものがある。黒いチョコソースとまざりあって、それがなんなのかわからない。


 サイコロ状のものを細長いスプーンですくって口のなかへ。


「うわぁ……」


 食べて思わず、ため息がでた。


「鈴子さん、これ……」

「はい。まさかの小さく切ったバナナです」


 そう、バナナ。ここにきてまさかのバナナ帰り。甘いはずのバナナが、アイスや生クリームを食べまくったあとでくると、もはやさわやかに感じたりした。


「これが黒い悪魔……」


 わたしがつぶやくと、イザナミさんがうなずいた。


「アタシが高校生だったころ、女子たちがおそれ、おののいた伝説のひとしなだ」


 女子高生が恐れるのはわかる。これはおいしすぎる。こんなものが近所にあったら、毎日でも食べちゃう!


 なぜかイザナミさんは、さきほど店のまえでかけていたサングラスをまたかけた。


「ど、どうかしましたか?」

「ダイエット中だ。いまのアタシには、まぶしすぎる」


 それはまぶしいだろうとうなずくわたしと鈴子さん。ヒナちゃんはそれを見て笑っていた。ハナちゃんがひとこともしゃべらず、ひたすら魚フライ定食を食べていたのは言うまでもない。

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