第29話 千里眼(せんりがん)

「どすこい!」


 そう言って、三千子さんがお風呂から帰ってきた。


 なぜ「どすこい」と言ったのかというと、三千子さんが巫女の衣装に着替えていたからだ。


「ひさびさに着ると、おなかがきついねぇ」


 そういって三千子さんは、赤いはかまのおなかをさすった。


 わたしたちも食事を終えて、それぞれ巫女の服を着ている。


 みんなで母屋をでて、神社の庭へとむかった。


 庭にいくと、すでにイザナミさんがいて、用意をしてくれていた。


 拝殿はいでんのまえにある神社の庭だ。土の地面にまきを積みあげ、たき火の用意がしてあった。


「じゃあ、火をつけるぞ」


 イザナミさんはそう言うと、あのジッポを手に持った。たき火の下に入れた新聞紙に火をつける。


 しばらくすると、新聞紙の火がまきに燃えうつった。ぱちぱちと小さな火の粉が、夜の闇に飛んでいく。


 たき火のまえに三千子さんが正座した。


吐普加美依身多女とおかみえみため……吐普加美依身多女とおかみえみため……」


 三千子さんがなにかを祈り始めた。そのうしろにわたし、鈴子さん、ハナちゃんヒナちゃんと、四人で整列して見守る。


けまくもかしこ猿田彦大神さるたひこおおかみ……」


 これは『祝詞のりと』という神さまへの言葉だ。ちょっとずつだけど勉強しているのでわかってきた。


 さきほどの言葉『けまくもかしこき』は、たしか『言葉にするのも恐れおおい』とかそういう意味だったと思う。


 しかし知らない神さまの名前が多い。猿田彦という神さまがいるんだ。ハナちゃんの依代よりしろである小猿さんが『サルヒコ』という名前だった。関係あるのだろうか。


「さ、さるたひこ。まさか!」


 となりの鈴子さんが小さくつぶやいた。


「鈴子さん、この神さま知ってるんですか?」

「はい。日本神話に登場する有名な神です」

「ハナちゃんとおなじ、手の神さまですか?」

「いえ。まったくちがいます。この神さまは」

「鈴子!」


 イザナミさんに鈴子さんが呼ばれた。


神楽鈴かぐらすずをたのむ」

「は、はい!」

「鳴らすだけでいいからな。力はつかうなよ」

「はい」


 鈴子さんにわたされたのは、いっぱい鈴のついた棒だ。


 受け取った鈴子さんが、いちど目をとじ背筋をのばした。そこから棒にいっぱいついた鈴をふるわせる。


 しゃららら、とそよ風のような音がひびいた。


 いや、音だけじゃない。ほんとうに風がふいた。正座した三千子さんのまえにある小さなたき火が風にあおられ燃えあがり、そして消えた。


 たき火が消え、夜の闇でなにも見えなくなった。でもだれかが動いた。三千子さんだ。がっしりとした体格の影でわかった。


 暗闇でもどうにか見える。三千子さんの影は、庭のなかほどまで歩いた。そしてふたたび地面に座った。正座して、両手のひらを地面につけている。


 三千子さんは、わたしたちには背をむけて座っている。むいている方角は、この神社の鳥居とりいだろうか。


「ミチ」


 言葉が聞こえた。同時に三千子さんの座るところから光がのびた。その光は鳥居の下をくぐり、この山からおりる石段へとのびていく。


 三千子はさんは『ミチ』ととなえた。ミチ。道だ!


「道の神さまっているんですか!」


 おどろいて思わず声にしてしまった!


道祖神どうそしんまたは道俣神みちまたのかみと、呼びかたもいろいろだ」


 イザナミさんの声だった。


「ついてこい」


 言われるがままにイザナミさんのあとを歩いた。庭のはしに四角い石を積んだ壁がある。この神社の石垣いしがきだ。


まちを見てみろ。おまえなら見えるはずだ」


 腰ぐらいの高さの石の壁。よじ登った。下を見おろしてみる。


「うわっ、道が!」


 ここ下田井神社は小さな山の上だ。眼下に下田井の町が見える。


 小さな町だ。海ぞいの漁港と、山すそにある家々。いなかなので夜は暗い。それなのに町の道がぼんやりと光っていた。


 道は家々のあいだを入りくんで走っている。大きな道路もあれば、路地裏を走る小さな道もある。上から見ているので、光る迷路みたいに見えた。


 見とれていると、たてやよこに走っていた道路の光は弱くなり、ついに消えた。


 そのかわりに、うしろから明かりがくる。ふり返ってみると、いつのまにかイザナミさんがたき火に火をつけなおしていた。


 石の壁からおりて駆けよった。みんながたき火のまわりに集まっている。


「みっちゃん、なにが見えた?」


 聞いたのはイザナミさんだ。たき火のまえで立ちつくしているような三千子さんが、ゆっくり顔をあげた。


 下からのゆれる炎にてらされ、三千子さんの大きな顔がさらに大きく見える。わたしはすこし怖く感じ、ごくりと、思わずツバを飲みこんだ。


「五人のおなご」


 三千子さんが口をひらいた。


「見えたのは、どこぞえとむかう五人。服装からして女」


 三千子さんの言葉に、わたしたちは思わず見あった。それはぜったいにわたしたちだ。


「みっちゃん、この五人だな」

「わからん。顔は見えなかった。しかし服の色は見えた」

「色?」

「そう、ひとりは白きころも。ひとりは黒。さらに水色と桜色。先頭を歩くおなごはだいだい


 三千子さんが大きくため息をついた。


「見えたのは、これがすべてだよ」

「みっちゃん、意味がさっぱりだ。この五人のことじゃないのか」

「わからん。あたしもひさしぶりだ。見えただけでも奇跡」


 イザナミさんと三千子さんが難しい顔で悩んでいる。


 色のついた服を着た五人。三千子さんが言った『だいだい』とは、たしかオレンジ色だ。桜色はピンク。あと水色と黒と……


「あれ?」


 わたしが思わず口にしたので、みんながわたしを見た。


「カヤノ、なにか気づいたか!」

「いえ、あの……」

「なんだ、言ってみろ!」

「その、さきほど三千子さんがおっしゃってたワンピースじゃないかと」


 夜空を見あげた三千子さんが、ぽんっと手のひらをたたいた。


「たしかに、その色のワンピースなら作ったのがあるよ。しかも水色と桜色は子供用だわ!」


 イザナミさんが、きれいに茶色くカラーリングされてある髪をがしがしとかいた。


「みっちゃん、さすがだけど、わかった。みっちゃんが見たものは、ふたりの頭のなかだ」

「ふたりって、あたしとイザナミかい?」

「そう、明日まで休みを取ってるんで、四人をつれてどこか岡山観光でもするかなって、そう思ってた」


 なるほど。千里眼三千子。すごい力だった。でも見えた未来は、明日にわたしたちが観光をする姿だった。

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