第二十話 「私たち二人の相手をする男を」
カラオケの帰り道。
姉妹二人して夕方の道を歩き、寮の自室へと帰る帰路の間に。
姉さんと話をした。
今後についてと、小僧の過去についての大切な話だった。
「小僧にあんな過去があったとはな。ああいう性格になったのも頷けるというものだ。私はこれで心が折れるどころか、より深く好きになったがね。愛とは共感から、その人の背景を詳しく知ることからより深まるのだ。そういう意味で、小僧は恋愛のプロだな」
何やら哲学じみた言葉を口から放っている。
恋は人を哲学者にするのだろうか。
それとも、小僧の過去から愛とは共感であると理解したのだろうか。
それは判らないが、とりあえず尋ねておきたいことがある。
「姉さん、さすがに行動には出なかったんだね。空気を読んだね」
「さすがにな。あんな話を聞いた後に行動に出るのは不味いだろう。そうしてしまえば、小僧は私を確実に嫌う。それでは本末転倒だ。空気以前の問題となってしまう」
りこ姉は、手元で何やら錠剤らしき物を弄んでいる。
避妊剤であった。
さっさとバレー部の顧問に返しとけよ、それを。
そう口にするが。
「いや、でもまだ使うかもしれないしな」
姉さんはポケットに錠剤をしまった。
薬にだって使用期限があるんだから、近日中に返しておいた方が良いと思うのだが。
つまり、近日中に使うつもりなのか、それを。
「アレだよ、それに今日は橘の奴が睨んでたからな。結局は実行できなかっただろう。いくらお前が協力してくれてもだ」
「仔猫を護る親猫のように、こっちをずっと睨んでいたよね。いや、私は橘の気持ちも多少はわかるんだけど・・・・・そりゃあ護りたくもなるさ」
空気を読んで、場をこちらに任せてくれてもよいものを。
やはり橘の奴も、小僧が好きなのかな。
まあ、そうだろうが。
あんな男が傍に来たら、囲おうとしないわけがない。
なんでも夜道で送り迎えまでされているそうではないか。
いつか、アイツが夜道で小僧を襲う側にならねばよいがな。
何かに納得したように、懸念するように、そう口に漏らして姉さんがうんうんと頷いた。
「私は今日を以て、本格的に小僧が大好きになったよ。性欲だけじゃない愛おしさを覚えた。あんな奴は私が幸せにしてやらなくてはな。そうでなくては世界が休まらぬというものだ」
「それは母性愛かい?」
私は姉の優しさが、愛情から母性愛に変化したようにも思えた。
りこ姉が小僧を抱きしめる姿が、母親の姿にも思えたのだ。
小僧の亡き母親、その代わりをしたいとでもいいたげに彼を抱きしめた。
「母性欲と愛欲を綯い交ぜにした愛おしさとでもいうべきかな。護ってやりたい気分と、いっそ無茶苦茶にしてやりたい気分がある。感情がグチャグチャになってしまったよ。好きで好きすぎて仕方なくなってしまった」
私もだよ。
そう答えようとして、言葉に詰まる。
「好きよ」「大好きよ」「愛してる」、このような感情に陥ることは人生で何度あるのだろうか。
この先、一度も無いのかもしれない。
少なくとも、このりせは人生で初めてであったし、これが何度もあろうかとも悩んだ。
おそらくないだろう。
だが、ちょっぴり切ないけれど、あれは姉さんが愛する人であった。
姉さんが、小僧への愛を覚悟した今。
それを横から奪おうとは思わないのだ。
「りせ、お前も小僧が好きか?」
「・・・・・・どうしてそう思うのさ」
「そうでなければ、小僧が親無しな程度であれほどショックを受けたりしないだろう」
見抜かれた、と思った。
姉なら見抜くだろうなと思う。
私のこの感傷を見抜くだろうなと。
嗚呼、そうさ。
私も小僧が大好きさ。
「あの話を聞いて、涙ぐむほどには大好きだよ」
カラオケでは、あんな可哀想な事情を抱えた小僧を――すでに過去は振り切っているようであったが。
なんであんなに良い奴が、そんな不遇を被らねばならないのだろうか?
そんな不遇を被ったから、あのような性格になったのだと。
思わず憐憫してしまったのだ。
涙ぐんで、そんな小僧を姉の陵辱に売り渡そうとした自分に強烈な嫌悪を覚えたほどに。
いや、そんな嫌悪だけではない。
私は自分の感情を裏切って、姉に愛する小僧を譲ろうとしている。
それが辛かった。
カラオケのソファに横たわって、まんじりと動けなかったのだ。
「大好きならば、小僧に優しくしてやりたいと思うならば、今まで通り接してやれ。そうでなければ、小僧は落ち込むタイプだぞ」
「前みたいに、絡んでいって、100円のプロテイン代を強請ってやれと?」
「そうに決まっているだろう? 小僧のやりたいようにさせてやれ。それが小僧にとっての最高だが。今までの環境を変えたいとすれば――」
変えたいとすればだ。
それはきっと、と前置きを口にして。
りこ姉が、私の目をじっと見た。
視線が重なる。
「私たち姉妹との関係がより深まり、明確に変化した場合だろう」
「どう変化するっていうのさ」
「・・・・・・」
姉が言いよどんだ。
何か言おうとして、その言葉に戸惑ったらしい。
ぽりぽりと頭をかいて、恥ずかしそうに口にする。
「恋仲」
一言で、姉が小僧に心底惚れていると理解できる。
姉は、小僧と恋仲になりたいのだ。
だから、私は自分の思いを秘めて、姉に譲ろうと――いや。
もう諦めよう。
「なればいいさ。私はりこ姉を応援するよ」
ハッキリと宣言をして、自分の思いを切り捨てる。
「いや、お前も一緒だぞ、りせ。何をわけのわからないことを言ってるんだ」
「はあ?」
疑問を浮かべる。
私も一緒って、どういう意味だよ。
「一緒に小僧を愛そう。何、この時代に男一人が二人の女と付き合うなんて自由さ」
姉はとんでもないことを言った。
今は令和の世、日本は一夫一妻制である。
「――何を考えている?」
「私は男が女一人しか相手に出来ない時代なんて、令和では古いと考えているのだ。人口減少と共に、いずれ一夫一妻制なんて廃止されると思っている。そもそも、何が悪いのかとずっと考えていた。男をシェアすることって、そんなに悪いか?」
「いや、悪いに決まっているだろう」
別に、同意の上で男が女二人を恋愛相手として悪い理由はない。
法律上で何か罰則があるわけではない。
「言ってみろ、何が悪い? 惚れた男と惚れた女が愛し合って何が悪い? 男を分け合って何が悪い?」
「それは・・・・・その、差別とか」
「何の差別だ」
思想および良心の自由と一緒さ。
男が男を愛してもよい。
女が女を愛してもよい。
そんな時代に、度量のある男一人が度量のある女二人と交際して、子まで作って何が悪い。
差別か?
調べたんだよ。
このりこ は調べたんだ。
非嫡出子の法定相続分は嫡出子と同じだと、最高裁判決によって違憲とされて法律が改正されたのが平成後期か。
そうさ、私が小僧と結婚して、お前が愛人となろうが。
りせが小僧と結婚して、私が愛人となろうが。
どちらから産まれた子に対しても、何らかの法律的差別があるわけではないのだ。
されたら訴えて勝つぞ、法律で、となる。
そもそもだ、どちらかが愛人という考え方さえ間違っている。
「今の時代、恋愛に差別なんてない。それが現実だ。同性愛はいずれ合法になるし、一夫多妻制も認められる。人口減少が危ぶまれる現代社会に、子を作ることで貢献してやろうではないか。それとも、あの小僧には女二人を愛する度量がないとでも?」
「いや、あるとは思うけれど」
それはある。
間違いなく懐の深い男であった。
強烈な愛をぶつければ、強烈な回答で答えるという男であった。
どうしよう、反論が思いつかない。
二人で小僧を愛するという誘惑に、私はあらがえない。
「なあ妹君、将来は婿を貰って母親殿を安堵させてやってはいかがかな」
「姉貴と私、二人の相手をする婿か」
「そうさ。三人でするのもいいな」
卑猥なことを姉が口にする。
私はなんだかおかしくなって、おかしな返事をして、笑ってしまう。
「ワハハハ!」
「ワハハ!」
二人ともおかしくなったように笑う。
そうだ、悩むことはない。
小僧は嫌かもしれないし、と一瞬脳裏に掠めたが、そんな小さな男ではない。
私たちが特大の愛で迫れば、確実に落ちる男だ。
その受け答えが出来る男を我らは愛したのだ。
「いいぜ、乗ってきたよ、姉さん」
「私のために、小僧を諦めるだなんて考えていたんだろう」
ぐい、と姉が私を引き寄せて、頭を抱える。
胸で私を抱きしめた。
「馬鹿だな、お前から好きな男を奪うなんて、私にだって出来るわけがないだろう。お前が私に譲ろうとしてくれたように」
「姉さん」
「だから、小僧には私たち二人を愛して貰おう。抱きしめたら地獄の重さじゃ足りない二人だと判って貰おう」
「姉さん」
姉さんとしか答えられない。
そうだ、この人はこういう人だった。
そして、私も諦めを簡単に許容できるわけがない。
何を私は勘違いしていたのか。
我々は地獄姉妹だぞ!
二人で一つの鍋を啜り合う生活を送ってきた仲だ!
二人で一人の男を啜り合う生活を送ろうと考えて、何が悪いというのか!
小僧だってわかってくれるさ!
だんだん、乗ってきたぞ!
「姉さん」
「妹よ」
二人して、ひし、と抱き合う。
愛情ホルモンが分泌される。
オキシトシンと呼ばれるものだ。
脳下垂体から分泌されて、精神を安定させ、姉と私の気分を最高潮まで押し上げる。
「しかし、さっきの台詞は良かったよ、姉さん」
「さっきの台詞? これか」
耳元で、姉が囁く。
「なあ妹君、将来は婿を貰って母親殿を安堵させてやってはいかがかな」
「姉貴と私、二人の相手をする婿か」
「そうさ。三人でするのもいいな」
悪くないな!
実に悪くないな!!
幸福で溢れた未来に過ぎる。
一人の男に女二人でうつつを抜かしていては……などと説教をしてくる人たちもいるだろうけれども。
雌としての強さを求めるには、魅力的な男が必要不可欠の存在である。
私たちに地獄姉妹には、あの魅力的な男が必要であった。
すっと、姉がポケットから錠剤を取り出す。
個包装のいくつかのそれを中央で、パキリと割り、半分を私に渡した。
『二人で小僧を愛そう」
姉は、優しかった。
そして、小僧は魅力的で、私たちの重い愛情を受け止めるに値する男である。
そんなことが理解できたカラオケの帰り道、私は確かに微笑んだ。
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