第二十九話 「父君とロールキャベツ」


「美紀子の部屋で待っていたのかね? あのゴミための中で? それはまた失礼をした」


 酷い言い草だが、まあズボラなのは確かであると。

 橘部長の父君の発言を耳にしながら、そう思う。

 ダイニングテーブルに腰掛け、立派な髭をたくわえた紳士然とした父君を見る。

 背は僕より少し高い程度だが、まるで執事のようにピシャリとした姿勢で据わっていて、見ていて心地が良い。

 画商さんに出会ったのは初めてだが、高級紳士服店のテーラーのようだと喩えれば世間にも伝わるであろうか。


「私などは綺麗好きなものだから、部屋からは本を一冊も出さないようにと。美紀子は本の森で、我々夫婦は清潔な部屋で過ごそうなんて口にしてしまったことさえあるな。ビックリしなかったかね?」

「まあ無理もないかと。少しビックリしましたが」


 実際汚い。

 たまに掃除機ぐらいはかけているだろうが、本を床にほっぽり出すのは勘弁してほしいものだ。

 というか、下着をほっぽり出しているのだけは本当にドキドキしたので止めて欲しい。

 紳士然とした父君は知っているのだろうか?

 知っていたら絶対怒る人だと思うぞ、この人。

 さすがに、そんなことを口にする状況ではないので、言わないが。


「電子書籍が出ない本も未だにあるんだよ、父さん・・・・・・。それに私、紙の方が好きだし」


 橘部長が言い訳のように口にする。

 部屋を片付いていない言い訳にはならない、それは。

 特に下着。


「まあ、読書趣味が高じて、小説の新人賞受賞という形で具現化したので、まだよいか・・・・・・。さすがに小説家では食べていけないだろうから、ビルのテナント一つ使って将来は何か商売をして欲しいものだが。美紀子がやりたがっている本屋さんも、今はどんどん潰れて食べていけなくなっているからなあ」

「父さんの画廊や、母さんの画家だってギリギリ食っていけるだけの趣味みたいなもんだろ。本当に金が必要なら、父さんが店員で、母さんが料理人をやった洋食屋さんの方が向いてる。ウチが裕福な理由はオーナービルの賃貸収入があるからじゃないか」

「まあそうだが。痛いところを突くのはやめなさい」

 

 父君は否定しない。

 それぐらいに、橘部長の母君が作ってくれたロールキャベツは美味しい。

 産まれて初めてこんな美味いロールキャベツを口にした。

 これ、そこらの街の洋食屋さんじゃ太刀打ちできないのではなかろうか?

 

「いや、本当に美味しいですよ。これ。お代わりありますか?」


 大和さんはあっという間に自分の分を平らげた。

 母君は、あらあら、と嬉しそうにお代わりを用意している。

 父君は動じた様子もなく、大和さんにはさしたる興味も無いのか、僕だけをじいと見ている。


「さて、将来の話や、ウチの家計事情はまあよい。君には普段から美紀子がお世話になっているようだね。改めて御礼を言わせてもらうよ。同じ文芸部の下級生に夜道を送って貰っている事を美紀子は最近まで口にしていなかったから、突然でビックリしたが」

「タイミングを見計らっていたんだよ。急に男の子に送って貰っているなんて父さんが知ったらビックリするだろう?」

「そりゃあ、相手の下心を疑うからな。だが――」


 僕と視線を合わせる。

 僕は動じずに見つめ返して、ただ姿勢良く応じることにした。

 父君が、顔を綻ばせて、いいね、と静かに口にした。


「うん。まあそういう理由でもないようだね。本当に真心から美紀子のことを心配して、送り迎えをしてくれているようだ。礼を言おう。ああ、それに美紀子を学校での孤立から救っていたことにも感謝しなければならない。どういう経緯でそうなったかを知ったときなどは、君に感動したほどだ」

「いえいえ、礼を言われるほどのことでも。僕などは、橘部長には普段からご指導ご鞭撻を頂いている立場ですし」


 父君は本当に紳士なお人だ。

 丁寧な仕草で頭を下げ、15歳の僕にしっかりと御礼を言ってくれた。

 こういう話の通じる人ばかりであれば――


「それにしても、あの柳という小僧はけしからんな。まだ美紀子の回りをうろついているのかね?」


 今回のような状態になっていないのだが。

 なんとも難しいところだ。

 父君が、瞳に怒りの色を隠しきれない様子で僕を見つめる。


「――あれだ。君には本当に迷惑をかける。私も色々と話を聞いて考えた。本来は大人であり、美紀子の保護者である私たち夫婦が解決すべき事柄であるからだ。相手の親や、学校側に怒鳴り込もうかとも考えたし、警察に相談しようかとも考えたが。おそらく一度なあなあで片付けてしまった以上、この件は簡単にはどうにもならんし、私たち夫婦が学校生活で常に美紀子の面倒を見るわけにもいかん。とりあえずは君たちが送り迎えしてくれることが現状案としては正しいのだろう。私たち夫婦の電話番号を君にも渡しておくから、何かあればすぐに連絡してくれ」

「わかりました」


 僕はその場でスマホを取り出し、連絡先を入力する。

 大和さんはロールキャベツに魅了されていたが、さすがに気づいたのかゴソゴソとブレザーのポケットを漁りだした。

 ガムの入った飴玉、パインを模した扁平型の飴、個包装のチョコレート。

 大和さんのブレザーポケットの中には、甘い物が詰まっている。

 その中からようやくスマホを取り出して、連絡先のやりとりを終える。


「ふむ、それにしても、あの絵か・・・・・・」


 父君が、壁際に飾られているミミズクの絵に目を向けた。

 僕が心底欲しいと思った絵だ。

 

「確かに、私も一度妻に聞いたよ。あの絵は非売品ですか、値段をつけられるなら幾らになるのでしょうか? とね。懐かしい話だ。私と妻の馴れ初めを思い出す。いやあ、あの頃は若かった。男としても画商としても。途中からはあの絵の売買交渉をするつもりなどなくて、如何に妻と話をするかの理由付けとなってしまっていたが・・・・・・」

「昔を思い出すわね。本当に懐かしいわ」


 父君は、本当に嬉しそうに絵を見つめながら髭を撫ぜた。

 こんな髭など、昔はなかったのだよと言いたげに。


「ああ、アレだ。あの絵に関しての質問だが、回答は必要かね?」

「手放すつもりはないでしょう? 大変失礼なことを口にして申し訳ありません」

「大事な思い出の品でな。一点物で複写もないし、妻も二枚目を描くつもりがないのだ。本当に申し訳ないが」


 そもそも、一点物しか取り扱わない画商と伺っていたしな。

 そういう大事なエピソードがある品とあればどうしようもないだろう。

 手に入れるのは諦める。


「まあ、手に入れる方法がないでもないがね」

「というと?」


 僕は疑問に思い、首を傾げる。

 父君は、豪快に笑って口にした。


「アレだ! 君が美紀子と結婚すればよいのさ! 娘の結婚祝いとあらば、我が夫妻の馴れ初めの絵画を贈るというシチュエーションも悪くはあるまいさ!!」


 ワハハと笑いながら、父君がチラリ、と橘部長に視線をやる。

 何故だか、美紀子さんは恥じ入ることもなく、ふふん、と鼻高々に父君を見ている。

 性質の悪いジョークの種にされたのだから、怒ってもよいところだと思うのだが。

 視界の隅に入った大和さんは、ロールキャベツを口にするのを止めて、何故か橘部長を睨んでいる。

 理由はよくわからない。


「ご冗談を。僕なんて橘部長みたいな美人に釣り合いませんよ」

「私は美紀子の父としてそうは思わないがね、まあ、そういうなら今回はここまでにしておこうか。さすがに今日はそこまでする話でもあるまい。状況が状況であるしな」


 お前には失望した。

 何故か、そんな視線で橘部長は父君を見つめていた。

 やはり性質の悪いジョークが気に食わなかったのだろうか。

 大和さんは再びロールキャベツを食べる姿勢に戻った。


「まあ、これで君に下心がないのはよく分かったし、好感を持てる人物だともある程度把握できた。あれだ、美紀子をよろしく頼むよ」

「分かりました。柳の件に関して、微力を尽くさせて頂きます」


 「その件だけじゃあないんだがね」と。

 父君は意味深な言葉を小さく漏らして、その日の夕食は終わった。





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作品の足下を照らして道行きを示すため、カンテラ(感想)を宜しくお願いします。

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