第三十話 「下心」


 下心のない人間など存在しない。

 下心を全く持たない男性は存在しない。

 人間の本能的なものであるからだ。

 あわよくば、それこそ女性へのエロティシズムへの欲求。

 意味を浅く広く拾い上げるならば、他人から観て自分がどのように判断されるか。

 それこそ人は、自分が親に抱き上げられる幼児の頃から、自分の愛する人から死ぬ寸前に末期の水を与えられるときでさえ、他人から自分がどう見られているのかを気にするのだ。

 自分は喜んでいるように見えるか。

 自分は悲しんでいるように見えるか。

 自分はこの人を愛していたように思われるか。

 自分は愛されていたように思われるか。

 ともかくも、自分は他人に対して優秀であると認められ、異性から好感を抱かれるように見えるか?

 それらはすべて下心だ。

 だから、下心のない人間など存在しない。

 それこそ無垢な赤ん坊以外には、この世に存在しないのだが――


「・・・・・・」


 はて、下級生は――あの少年は一体何がしたいのであろう、と思う。

 彼の高校入学してからの来歴を調べた。

 身長168cm、体型はやや筋肉質な痩せ型、そのアーモンドアイが彼の容姿を美形であるとくっきりと誇示している。

 四月に入学して早々、『大和葵』への女子バレー部・バスケ部合同での勧誘合戦の折に、あの『時透りこ・りせ』地獄姉妹に面と向かって反発。

 「クラスメイトからの評判を楯に取って脅すような、卑怯な勧誘の仕方はやめろ」と堂々とした姿で説得。

 さて、このような行為に下心があったものか。

 『大和葵』に良いところを見せて好かれるため?

 クラスメイトからの評判を高めるため?

 『地獄姉妹』にかえって気に入られるほどの度胸を示すため?

 そのような結果は付いてきたのだろう。

 だが、僕にはどれも違う気がする。

 親譲りの無鉄砲で子供の頃から損ばかりしている。

 そんなフレーズが頭に浮かんだ。

 ああ、そうだ、夏目漱石の『坊っちゃん』だ。

 それともバック・トゥ・ザ・フューチャーの主人公か?

 くすりと笑う。

 いや、笑っている場合ではないのだが。

 特に、短気が原因で暴力事件を起こした僕なんかに彼を笑える道理はない。


「これは困ったな。ケチの付け所がない」


 下心が見えない。

 アレだ、ひょっとして、この下級生は――少年は。

 道理の通らぬ事が単純に大嫌いなだけでは無いのか?

 ただの無鉄砲ではないのか?

 ふと、そんな気もする。

 その後、橘さんと知り合った経緯も掴んだ。

 元々、少年は文芸部志望であったことから、教師の顧問を通して直接交渉して文芸部に入部した。

 つまり、この時点でもやはり下心はないのだ。

 僕のように橘さんが文芸部に入るから、僕も文芸部に入ろうなどといった下心があったわけではない。

 そして、その後の顛末も調べる必要すら無く知っていた。

 地獄姉妹と交渉し、部活連合から橘さんへの絶縁状を撤回させ、それどころか地獄姉妹さえも文芸部に引き込んだ。

 そして、文芸部を復活させたのだ。

 理由は単純だろう。

 「橘さんのせいではないのに彼女が誹謗され学校社会から阻害されているなんて、道理が通らない。改めるべきだ」と。

 彼の主張はそれだけだ。

 たったそれだけ、道理が通らぬので気に食わぬ。

 他人様からの視線など、まるで気にしていないのだ。

 ダメだ、今のところ少年の欠点は見つからん。

 むしろ僕好みでさえある。

 下心さえもない。

 いや――そんなことはない。

 それだけは違うのだ。

 下心のない人間など存在しない。

 男どころか人間が本来持つ「下心」から脱却したような振る舞いはおかしい。

 ブッダやキリストじゃあるまいし、純粋な優しさなど、この世に存在しない。

 僕はそう信じて生きてきたし、彼もそうに違いないのだ。


「・・・・・・」


 だが、高校に入ってからの短い期間を調べた限りでは、彼を批難するべき点など見当たらなかった。

 悩む。

 悩んだが、結論は一瞬だった。


「過去を調べよう。興信所や探偵に依頼するか」


 この僕は金には困っていなかった。

 自由になる貯金もあれば、それこそ月の小遣いだけで探偵や興信所を雇うぐらい出来るのだ。


「三太夫! いるか!!」


 家のことを取り仕切っている家令に任せよう。

 声を張り上げながら、彼に与えている屋敷の私室へと向かった。


「お呼びですかな、達也坊ちゃま」

「坊ちゃまはよせ。ひとつ、調べたいことがある」

「何でもご相談下さい」


 三太夫はいつもの様子で、品の良い執事服に身を包みながらピシャリと返事をする。

 よろしい。


「この少年について調べたい。出来るか?」

「はあ、できますが。何が目的でしょうか? 家令として聞かねばなりませぬ」

「調査費用は僕の小遣いを使って良い。それでもか?」

「それでもです」


 さて、何と答えるか。

 彼に嫉妬しているからと、あらましを答えると三太夫は動くまい。

 父が僕の起こした暴力事件について激怒しているからだ。

 その示談の際に金を使ったのはまあいい。

 それはそれで解決として、巻き込まれた橘美紀子さんが受けた風評被害については解決できなかった。

 彼女にも謝罪金を申し出たが、彼女の父親に強く拒否されたからだ。

 そんな小銭で許してたまるものか、娘に二度と近づくなとさえ口にされた。

 もはや家としても親としても恥ずべき事であるとして、僕には耳を酸っぱくして彼女には今後近づかぬように言われている。

 だから、その説明は出来ない。

 

「男一人の詳細を調べることも出来ないと?」


 理由は説明しない。

 代わりに煽る。

 トントンと、彼の机を指で叩いてやった。


「出来ますとも。それで、理由は?」


 トントンと、三太夫の嗄れた指が机の上を叩き返した。

 家令の振る舞いではないぞ、と言いたいが、まあ何の説明もしない僕が悪い。

 悪いのはわかっているが。

 

「あれだ。なんというか」


 適当な理由をひねり出さねばならぬ。

 なんというか。


「僕の友人に相応しいか見定めるため、過去を確認したい」


 とんでもない嘘を口にする。

 友人どころか、場合によっては彼に制裁を加えようとしているのにな。

 心の何処かで自分を嘲笑う声が聞こえる。


「友人? はて、達也様には友人などよりどりみどりでは? パーティーで集めればよろしい」

「そんな友達じゃない。小汚いマウント合戦をする社交の場ではなく、学校生活での気兼ねない友人が欲しいんだよ」


 僕は口にする。

 実際、学校では友人などいなかった。

 文芸部では橘さんの奪い合いを目的とした男どもばかりで、友情など何処にもありはしなかった。

 誰もが彼女は自分に惚れていると思い込んでいたのだ。


「達也様、ひょっとして学校生活ではひとりぼっちなのですか?」


 三太夫が心配したように口にする。


「そうだよ。暴力事件を起こしておいて、友人なんかできるわけないだろ」


 まあ、別に虐められているわけでも無いが。

 それだけだ。

 学校の場で友人なんか一人も居ない。

 低廉な友人など欲しくもない。


「・・・・・・少々疑問に思うところもありますが、わかりました。この下級生について、この少年の過去について調べればよろしいのですね?」

「ああ、そうしてくれ。過去に恥ずかしいところや、失敗談があれば面白おかしく聞かせてくれ。とにかく、悪いエピソードについて調べてくれ」

「ご友人に迎えたいのですよね? ならば、良いエピソードを集めるべきでは?」


 三太夫は疑問を示した。


「そういう話題から始まる友情もあるだろう?」


 適当に返事を返す。

 とにかくも。

 下心のない人間など存在しないのだ。

 僕が暴力事件を犯してしまったように、あの少年にもとんでもない恥を犯した過去があるに違いない。

 生来の無鉄砲さを持つ人間だ、それだけは間違いない。

 だからそれを調べよう。

 僕は笑って、三太夫に何もかも誤魔化した。




――――――――――――――――――――――――――――――――――



作品の足下を照らして道行きを示すため、カンテラ(感想)を宜しくお願いします。

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