第二十七話 「橘部長の部屋」
「わざわざ来て貰ったのに済まないな。午後八時に夕食を共にする約束だったのだが」
「いえいえ。父君のお仕事なら仕方有りません」
橘部長のマンション。
中に入るのは初めて――そもそもオートロックなので、招かれなければフロントにさえ入ることができないが。
ともあれ、外観から一見して高級なマンションだと以前から知っている。
橘部長のご家庭は、随分と裕福なのだな。
絵画を沢山飾っている家も珍しい。
周囲をじろじろと不躾に見るのは失礼だが、飾っている絵画を眺めることは無礼に値しないだろう。
じいと見つめて、自分の感想を素直に口にする。
雪景色に梟が一羽、木に止まっている絵が特に気に入った。
「どれも素敵な絵ですね。あいにくと僕は存じませんが、何処かの著名作家の作品ですか? 冬景色に梟の絵が特に気に入りました」
「美紀子、この子凄いセンスの良い子よ!」
何故か、ビシリ、と橘部長の母君が親指を立てて叫んだ。
グッジョブ! といった感じである。
「母の絵だ。元々は美大卒なので、そこそこの絵ならば書けるのだ」
部長はそう謙遜するが、いや、無茶苦茶上手いよ。
本当に良いミミズクだった。
素人の僕でも、直感的な善し悪しぐらいはわかる。
「父は画商をしている。母は画家をしている。ああ、よく勘違いされるが、詐欺商法や、コンビニでプリントした絵とそう変わらぬものを売っているインチキ画商ではないぞ。大きなビルのオーナーをしていて、ついでにテナントの一つで画廊もやっているというだけの画商だ。画家が直接描いた一点物しか取り扱っていない」
橘部長が必死に説明する。
事前に説明しておくべきだった、手抜かりだとでも言いたげに。
いや、別にそこを疑うつもりはないが。
「つまり不動産業のオーナーですよね。ウチの父に今回の件を喋ったところ、少し調べたが橘さんのところはどうやら不動産業らしいと口にしていましたが」
大和さんが真顔でツッコミを入れた。
この人恐れを知らないな。
というか、調べられるものなのか、そんなの。
「信用調査でもしたのか? 確かにウチの収入の殆どはビルのテナントからの賃貸収益だ。画商は趣味と言われても仕方がない。だが、まあ、何だ」
えーと、と橘部長がその細い唇に人差し指を当てながら、どう口にした物かと悩んでいる。
美人がそれをやると、一つの絵のような良い構図だった。
部長は少し悩んだが、やがて明けっ広げに口にした。
「それを父に言うと怒るんだよ。アレだ、なんだ。一応、画廊の絵自体は結構売れてるんだぞ? もちろんピカソだのセザンヌだのは取り扱いすらしておらず、安い新人作家の描いた絵ばかりだがな。画廊の元自体は取れているんだよ。母さんの絵だって売れている。今日も夜遅くに顧客が買いに来たことで、売買契約のため遅れているらしい」
「今時絵が売れるんですか? ウチもかなりの裕福な家ですけど、絵なんてイチイチ飾りませんよ」
大和さんは猜疑めいた視線だが、まあ普通の感性だとそうなのだろうな。
僕はずっと話を聞きながら、梟の絵を見つめている。
何故だか部長の母君も僕の事を見つめているが、まあ嫌な視線ではないから構わないけれど。
「まあ、好き者はどこにでもいるということさ。アニメのフィギュアやアクリルパネルを飾るのと何も変わらん。それに、あれだ――」
何と説明したものか。
個人で楽しむのではなく、経済的な実益を説明した方が大和さんには良いか。
そう言わんばかりに、部長が口にする。
「アレだ、見栄だ。会社の経済状況を調べるには、人は意外と細かなところを見ている物だ。たとえば君が殺風景な社長室に訪れたとする。壁はベージュの壁紙で、床には質素なタイルカーペット、部屋の隅には観賞植物すら置いておらず、ソファと机があるだけの造作だ」
「質実剛健でいいじゃないですか」
大和さんは冷たい。
僕は絵を飾るのも良いと思うが。
「そう受け止めない人もいるということさ。具体的には相手の経済状況を疑う」
コイツはちゃんと金を持っているのか?
支払いは確かか?
そう疑うのだと。
商売にとっては、もっとも重要な点だと部長が口にする。
僕はそういうこと抜きにして、この絵そのものが気に入ったのだけれど。
「豪勢に行こう。壁は強化ガラス張り、床には清掃の行き届いたふわふわの絨毯。部屋にはよく手入れされた観葉植物が置いてあり、一目見ただけで高いとわかるマボガニー製の机がある。どっちに信用がおける?」
「そりゃまあ後者ですけど。その調度品の一つが絵だと」
「人は何故絵を飾るのか。空間に彩りをプラスしたり、暮らしが豊かになったように『錯覚させる』一助に成り得るからと言うのが父の持論だが。まあ、レオナルド・ダ・ヴィンチの絵画が500億するのにも色々と理由はあるが――そうだな、父さんにでも聞け。喜んで話してくれる」
そこの所に興味はなかった。
興味はないが、まあ交友的には聞いた方が良いのだろうな。
おそらく橘部長の父君は画商として、かなりの話し上手だろうし。
それはそれとして。
「大変失礼なことを伺いますが、この絵は値段を付けるならいくらですか? それとも非売品ですか?」
僕はこのミミズクの絵が気に入った。
多分買えないだろうが、まあ版画があるならば、大人になってから買うのも良いかもしれない。
そんな思いで尋ねてみるが。
「あら、聞いた。美紀子。お父さんも同じことを私に聞いてきたのよ。画商として若かったころのお父さん。まだ話し上手じゃなくて、画商として始めたばかりでオドオドとしてて、私より背が低くて、本当に凄い可愛かったわ……」
「何度も聞いたよ……」
少々げんなりした顔で、橘部長が答える。
橘部長の身長は母君譲りのようで、部長の母君も背が高い。
推測だが、橘部長の両親における夫婦仲は大分良いようだ。
とても良いことである。
「貴方が気に入ったのもわかるわあ……」
じろじろと、母君が僕の価値を見分するかのようにして、上から見つめてくる。
僕はじいっと黙って、彼女のまなざしを受け止める。
「あら、本当にいい男。視線があっただけでそれを逸らした、某同級生とは大違い! お父さんも、こうして視線を合わせたときだけは決してオドオドしなかったのよ! 私はそこが気に入ってお父さんと結婚したの!!」
ひょっとして、柳のことだろうか?
まあ暴力事件があった際に、呼び出された学校で出会ったのかもしれないな。
「ちょっと待っててね。お父さんが今画廊を出たばかりで、帰ってくる前に料理を温めなおすから」
「皿出しくらいは手伝いましょうか?」
思わず手伝いを申し出るが、今回は客人である。
手助けもご迷惑であろうか?
キッチンの勝手もわからぬしな。
「心遣いだけ受け取っておくわ。あれね、二人とも美紀子の部屋で待っててくれるかしら。待っててもらうのは客人の務めよ」
「いえ、女性の部屋に立ち入るのは」
「貴方なら構わないわ」
母君の許可が出たからと言って、駄目だろう。
僕は橘部長に視線を向ける。
彼女は肩をすくめて、顎で促した。
「私の部屋で待とうか。大和さんも一緒に来てくれ」
「わかりました。ロールキャベツ楽しみにしています!」
大和さんが、僕の背中にしがみつくように張り付いて、肩を両手で掴んで背を押す。
いや、僕は女性の部屋に入ったことがないんだけど。
厳密に言えば従姉妹の部屋があるが、彼女を女として見るのは叔父さんに申し訳がない。
だから、これが初めてだ。
僕はドキドキとしながら、橘部長の部屋に入る。
部長のような美人の部屋なのだから、さぞかしフローラルな香りが漂っているのだろうと、そう期待するが。
「汚い部屋」
「えっ、そんなに汚いか?」
大和さんがズバっと一言で切り捨てたが。
なんというか、汚い。
男のようなむさくるしさでもなく、アラサーオフィスレディのようなズボラな女らしさでもなく。
書痴の部屋だった。
目算で、1000冊ぐらいも本が転がっているだろうか。
何十冊も付箋が貼られた読みかけの本が床一杯に転がっており、座る場所どころか歩く場所さえない。
固定の「踏み場所」が決まっているようで、その本が散らばる中を長身の橘部長がゆらりゆらりと歩いている。
別に、ポテトの食べかすが散らばっているわけではない。
飲み物が放置されたり、カップラーメンが汁のまま放置されているわけでもなかった。
本に悪影響があるものが何かあるわけでもない。
だから、これは書痴の部屋だった。
本のせいで、部屋全体の構想がぐっちゃぐちゃになっていたのだ。
なんというか、ベッドの下にはおそらくここ数日で脱いだ下着が放り込まれて散らばっていて――飾り気のないショーツを見つけた瞬間に、僕は目を逸らした。
「少しは片付けてください! 女性として!!」
生まれて初めて女性の部屋に入って。
僕の第一声は、ただそれだけであった。
――――――――――――――――――
作品の足下を照らして道行きを示すため、カンテラ(感想)を宜しくお願いします。
書いたはいいが、今回特に中身が無い気がする。
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