第二十二話 「サークラの過去が背を追う」


 夕方歩く、帰路を。

 普段は少年に帰路を送って貰っているのだが、今日は断った。

 理由としては、まあ歩いている時間が夕方だからだ。

 加えて安全な表通りを通って帰ると口にしたのに、少年が付き添いを申し出る必要はない。

 今日はなんとなく小説を書ける気がしているので、文芸部の部活動は早めに終わらせたのだ。

 帰路を急ぐよりも、部室で書けば良いだけではないか?

 その考えもあったが、やはり小説は自室で書かなければ。

 喫茶店でもなくファミレスでもなく、自室でこっそりと書く。

 少年も大和さんもいない、一人の世界に入って。

 私にはその「なんとなく」そうしたいという感性があった。

 理解して貰いづらいかもしれないが、作家には奇妙な癖というのがあるのだ。

 そう――作家性というやつだ。


「やはり、自分にはブロマンスしかないな」


 独り言を口にする。

 ブロマンス。ラブロマンスではなくブロマンス。

 男同士の熱いバディ物。

 友情とはこうではなくてはと男女ともに考えさせる作品。

 それには――部室の少年の存在が邪魔だった。

 少年が傍に居ては、ボーイズラブと勘違いされそうな作品を書きそうだ。

 気分がふわふわとしている。

 恋をしている。

 恋をしているのだ。

 この橘美紀子は、少年に恋をしていた。

 ふわふわとするのだ。

 なんとなく、足下がおぼつかない。

 宙に浮く。

 何かに夢中になって、時折突然のように「私を愛してくれ。好きだ」と学業兼用のタブレットに向かって小説を書く少年に呟きそうになる。

 それで全てが上手くいくなら、そうしてしまいたい。

 だが、駄目だ。

 おそらく、上手くいかない。

 そして、それはおそらく私が少年を好きという気持ちが全く伝わらないという理由でだろう。

 少年は、私に魅力があると言ってくれた。

 美しいと。

 その発言は少年が私に魅力を感じているという根幹であり、私に自信をつけてくれる。

 だが、まだピースが足りていないな。

 結局、少年が空気を読めない理由は何か?

 その理由が掴めない以上は、告白などすべき段階ではない。

 大和さんも同じ事を考えているだろう。

 粗野で野卑な地獄姉妹とは違い、その点に共感できるのが私と大和さんであった。


「――」


 息を呑む。

 はて、私には、この橘美紀子の初恋は少年であるが。

 少年の初恋は誰に対してなのだろうか。

 なんとなしに思いを馳せる。

 少年も立派な男であるのだ。

 性欲だってあるだろう、思春期だってあるだろう。

 私のような、高校二年まで誰かに恋をしなかったという変人とは違うのだ。

 

「傷があるのか?」


 空に向かって独り言をまた口にした。

 首を捻る。

 合っているような、合っていないような。

 勘ではあるし、小説家としてのミステリじみた推測を重ねるが、少年はかつて恋をして。

 ――そこで、酷く傷ついたのではないだろうか。

 あの、露骨なまでに恋愛感情を忌避する動きはそれに近いように感じる。

 恋愛経験など存在しない、この私がどこまで見切れたかというと怪しいのだが。

 一度、恋愛で痛い目を見たから忌避しているのだとも窺える。

 さて、では私はどうすべきか?

 どう手を打つべきか。


「過去を探るか・・・・・・」


 少年には「何故人の過去を探るんですか」と行為を嫌がられる可能性がある。

 なれど、過去を一度打ち明けられれば、そのまま勢いで攻め手を奪える可能性すらある。

 もちろん、恋愛としての攻め手だ。

 少年の泣き言を聞いて、私ならばそんな思いはさせない! と一気呵成に恋愛を進展させる方法もとり得ることが出来た。

 悪くないな。

 悪くない。

 傷ついた少年を慰める過程で、そのまま少年の心を一気に私色に塗り替えてしまうのだ。

 もちろん地獄姉妹のように、彼の貞操を奪うなんて、はしたない事はしない。

 少年にそれを求められれば、応じるのもやぶさかではないがね。

 ふうむ、一気に選択肢が広がった。

 決まりだ。

 過去を探ろう。


「・・・・・・」


 思考していると、やや頭の糖分が足りていない気がする。

 商店街の明るい表通りを歩きつつも、近くのジュース販売機でコーヒーを買おう。

 思い切り甘い奴がいい。

 砂糖多めの奴だ。

 スマホで料金を支払いながら、183cmの身の丈を屈めてガサゴソと自販機の中に手を伸ばす。

 

「お久しぶりです」


 そんな私の尻に、声がかかった。

 せめて私が立ち上がるまで待てよ。

 少年ならばそうするぞ。

 マナーのなってない奴だと思いながら、眉を顰めて身を起こす。

 眉を顰めるのは、聞き覚えのある声だったか。


「君か」

「僕です。柳達也です。覚えていますか」


 覚えているよ、元同級生。

 暴力事件の主犯だったからな。

 君が、私に好意を抱いている男性を全員ぶちのめした。

 勝者だけあって上背は高く、文芸部にして180cmの上背であった。

 少年は暴力で勝てないだろうな。

 そんなことで少年の魅力が落ちることなど欠片もないが。

 なんとなく、そんなことを考える。

 

「――覚えてはいるよ。忘れたいことだがね」


 嫌悪を口にする。

 もっと和やかに行こうとは思ったが、正直近づいて欲しくはないのだ。

 暴力事件の主犯というのもあるが、何より今は近づいて欲しくない。


「・・・・・・つれない台詞ですね」

「正直、君には近寄って欲しくもないね。少なくとも――」

「あの少年には、ですか。一年生だそうで」


 舌打ちをする。

 暴力事件の主犯などが、あの少年には近づいて欲しくはないのだ。

 当たり前の話だろう。

 私の惚れた男なんだぞ。

 酷い目に遭わせてたまるものか。


「僕は、貴女が誰とも付き合わないというなら我慢もできました。だけど何故、出会って一ヶ月も経たない少年に夜道を送らせるような真似を?」

「彼が言ったんだ。君みたいな奴がいるから、危険ではないかと彼が心配してそうしてくれた」

「余計なお世話だと――」


 柳が、やや口ごもって、何かモゴモゴと口にしそうになって。

 私たち陰キャの特徴のように、やや停止して、それから口走る。


「少なくとも、貴女には口にして欲しかった。本当に好きだったのに。せめて、難攻不落の女性であったならば、僕も諦めが付いた」

「・・・・・・すまんな」


 素直に謝罪をする。

 彼が私に向けてくれた愛情だけは嘲笑うべきではなかった。

 私も少年に今惚れてる立場だ。

 恋がどれだけ当人の頭をおかしくするかは知っているつもりである。


「最近、裏通りの薄暗がりを歩く、彼と貴女を目にします。交際されているのですか?」

「違う」


 正直に話した。

 それが誠意であると思ったからだ。


「彼は、純粋な先輩に対する敬意と、女性に対する誠意から私の夜道に付き添ってくれるにすぎない存在だよ。恋仲とは程遠い」

「橘さんを欲情の対象とは観ていないと?」

「まあ、そうなる」


 顎を撫でる。

 温かくも冷たくもないただのコーヒー缶のプルトップを空け、それをゴクリと飲んだ。

 だだ甘い。

 それに尽きる。


「・・・・・・」

「・・・・・・」


 二人、無言で佇む。

 商店街の喧噪の中で、二人だけ取り残されたかのように。

 気まずい沈黙であった。

 その中で、柳がついに発言した。


「確かめさせてもらっていいですか?」

「何を?」

「彼が橘さんに相応しいかどうかです」


 何を言っている?

 思わず叫びそうになって、私は舌を噛んだ。

 何分、文芸部の陰キャなので叫ぶなどといった行為に慣れているわけではないのだ。


「僕は橘さんに嫌われた。それは仕方ない。それは諦めが付きました。路地で貴女に出くわせば、負けた犬のように目も逸らしましょう。ですが」

「で、ですが?」

「ポッと出の彼に負けたとは思いたくありませんね。貴女は、橘美紀子は難航不落の女性であって欲しい。彼が貴女に相応しくないと僕が判断したら、制裁を加えます」


 何を言っているのだ、この男は。

 相応しいか相応しくないかを判断するべきは私だけであり、お前ではない。

 当てつけは止めろ。

 そう口にしようとするが、唖然として言葉に出ない。

 かろうじて出たのは、彼の正気を疑うだけの発言だった。


「お前は何を言っているんだ?」

「全て話したとおりです。それでは」


 柳は、背を翻す。

 私の言葉など気にもとめた様子はなく、何もかも自分が決断するのだと。

 そんな風情で、立ち去ろうとしている。

 何を馬鹿な事を口にしてるんだ、コイツは。

 えーと、何か、どう行動すべきか。

 私は考えに考えて。


「そいや」


 飲み干して、空になった缶コーヒーをともかくも彼の背中に投げた。

 背中に当たって大した音も鳴らず、彼はそれには動じず振り返らずに。

 ただ黙って、この場を立ち去った。


「どうしよう」


 暴力事件の主犯が、少年を狙っているという不審な情報を抱いて。

 先生に相談する。

 警察に相談する。

 少年にしばらくは送り迎えをしないように言い聞かせる。

 そういったことで――彼が止まる手段が、あまりにも思いつかずに。

 少年がそういった忠告を聞いて退いてくれるとはとても思えずに。

 私はただ、どうしてよいか分からずに、途方に暮れた。


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