第二十三話 「エビフライさんは私の事が嫌い」


「10円足りない。エビフライサンドが買えません。私はエビフライさんのことが好きなのに、エビフライさんは私の事が嫌いなのでしょうか?」


 大和さんが寝言を口にしている。

 文字通りの寝言だ。

 文芸部の部室にて、大和さんは机に頭を置いて、ぐーすかと寝ていた。

 まあ部活時間に何をしようと自由なのだが、大和さんはよく食べてよく寝る人だった。

 だからこそ身長190cmになるほど、すくすく育ったのだろう。

 なんとなく微笑ましい気分になる。

 どんな夢を見ているのかは猛烈に気になるが、たたき起こすわけにもいかん。


「起こしますか? 夢の中身が聞いてみたい」


 少年が、悩ましげな表情で大和さんの寝顔を見つめている。


「可哀想だから止めておこう。エビフライサンドってどこに売ってるんだろうな。名古屋か?」

 

 まあ料理としてはあるのだろうが、現実に売っているところは見たことがない。

 エビフライが名物である名古屋ならば、きっと普通に売っているのだろうが。

 それにしても夢の中でも食い気なのか。

 本当によく食べる子だ。


「まあ、それはそれとして。何か気がかりでもあるのですか? 昼からずっと気鬱の表情をしておられますが」

「――君は察しがいいね」


 よく気づく。

 恋愛の空気は読めないのに、それ以外の察しはいいのだ。

 人の心境に気を遣い、背景を読み、共感して気遣いをする。

 そんな素敵なところが少年にはあった。

 あの乱暴粗雑な柳にはないものだ。

 さて、どうするか。

 話してどうなるか悩んだ。

 この問題は少年の安全に関わるのだから、話をせざるを得ないが。


「・・・・・・そうだな。話そうか。とりあえず、君にだけは話しておこう。君の身の安全にも関わることだから」


 私は柳の件について話した。

 内容としては文芸部暴力事件の原因となった男が、再び私の目の前に現れて。

 少年のことを勘違いして――いや、あながち勘違いというわけでもないのだが、そこは上手くぼかして。

 君のことを「私に相応しいかどうか見極める。そうでなければ制裁を下す」と宣言して、立ち去った。

 そんな話だ。

 話している間も大和さんは寝こけている。

 時間が進めば、りこりせ姉妹もやってくるだろう。

 その時、一緒に話しておくか。

 だがまあ、まずは少年の反応を見て――


「また迷惑な話ですね。ああ、先輩は何一つ悪くないですよ。先輩にとって傍迷惑な話と言うだけで」

「すまないな」


 まあ、少年はそう言うだろうな。

 僕にとって迷惑だ、変な事に巻き込ませやがってなどと口にするような性格を欠片もしていない。

 そんな男らしさに私は惚れ込んだのだ。


「ちょっと柳とやらに直接話を付けてきます。君はそんなことをして恥ずかしくないのかと」


 そして、やや直情的な性格で、堂々と相手を詰めることができるのも少年らしさだった。

 人としての道徳観を持っており、強烈に自分の考えを世間や人に訴えることができるのだ。

 それは少年にとっての美徳であるが、今回は複雑な問題なのだ。

 立ち上がって、今にも向かおうとする彼を言葉で引き留める。


「待ちたまえ! そんなことでは解決しない!!」


 君が殴られる。

 また暴力事件の発生だ。

 それは嫌だった。


「その柳とやらを穏便に説得できればよし。最悪でも僕が殴られることで、相手に社会的な制裁を加えることができるならば。それも解決なのでは? 徹底的に追い込んでやりましょう」

「凄い考え方してるな君」


 男らしいにも程があった。

 歯でも折られたらどうするんだ。

 暴力というものは、時々取り返しが付かない事が起きるんだぞ。

 そうなったら、私には何の責任もとれない。


「その最悪のパターンが嫌なんだ。君が私のために殴られるところなんか見たくないから止めてくれ。それで話がエスカレートでもしたらどうする」

「ではどうしろと? 警察に相談をしますか?」

「それも考えたが、相手にしてもらえんだろう」


 そもそも、文芸部で暴力事件が起きたのは事実だが、その時に警察は介入していない。

 あくまで校内の事件ということで、それもお互いに殴り合った喧嘩ということで、当事者全員の停学だけで話は終わったのだ。

 一番キツかったのは、その場にいなかったはずの私がそれで孤立したということだが。

 ともかく、柳が私に対して暴力を振るうと宣告しているわけでもないし、前科が無い以上はだ。

 女の取り合いで男同士が喧嘩するぐらいで、社会治安の維持に忙しい警察は取り合ってくれないだろう。

 実はストーカー行為を受けているなどと、虚偽を吐くわけにもいかん。

 警察というのはあくまでも風邪薬であり、予防はできないのだ。


「では学校側に話を付けますか? 谷垣が理事長の電話番号を知っているので直通で話をすることができますが? ちょっと谷垣に連絡します」

「前から思っているが、君の友人である谷垣君は何者なのかね。少年にとってのスパダリ(スーパーダーリン)か何かか?」


 なんで理事長の電話番号なんか知ってるんだ。

 あれか、直談判のため突撃した来歴は世間話で知っているが、その時に知ったのか。

 少年もおかしいが、谷垣君も大概おかしいな。

 少年はスマホアプリで谷垣君にメッセージを送っている。


「・・・・・・教師には話を通しておくべきか?」

「少なくとも僕はそうすべきだと思いますが? 学校内での騒動再びなんて教師側だって望まないでしょう」


 事情を説明しているのだろうか?

 スマホを器用に操作している彼を眺めながら、私は悩む。


「うーむ」


 相談して、どうなるものか?

 教師から注意や警告ぐらいは行くかもしれないが、柳だって馬鹿じゃない。

 私の発言が虚偽であり、そんなつもりは無いぐらいは教師に対して口にするだろうが。

 元暴力事件の前科者とはいえ、だからお前は悪だ、やるに違いないと決めつけられるほど令和の教師は強権的ではないのだ。

 駄目だ、頼りにならん。

 せめて何か証拠があればよかったのにな。

 ボイスレコーダーでも忍ばせてあれば良かったのだが、あまりにも突然の遭遇だった。

 現状を予測できる状況ではなかったのだ。


「とりあえず谷垣から理事長に説明はしておくそうですが、味方こそしてくれても、多分現状ではどうにもならん。教師ができるのは基本的に対症療法なのだ。くれぐれも当事者への突撃は止めるんだと忠告を受けました」

「そりゃそうだろう」


 谷垣君は、少年の性格をよく理解している。

 止めてくれて助かった。


「しかし、柳とやらも偏執的ですね。自分が嫌われているのは仕方ないが、先輩に孤立して欲しいなどと口にするとは」

「まあ・・・・・・そういう奴もいるさ。私には少し理解できる」


 いわゆるストーカーではないのだろうな。

 ただ、柳も暴力事件のせいで学校では孤立していると噂に聞く。

 それなのに、原因である私が孤立から救われたのは許せないという思いがあるのかもしれない。

 彼については考えたくもないが、多少憐憫は寄せる。

 私のような陰キャの女には、柳の考え方が多少理解できた。


「僕には理解できません」


 多分、目の前の少年には一生理解できない感情だろうが。

 そんなところが好きだった。


「まあ、文芸部の事なんです。大和さんや、りこりせ先輩とも話をしましょう。とりあえず練習が終わったら今日は部室に来ると言っていましたので」

「相談するか。嫌だけど」


 嫌だけど。

 本当に嫌だけど仕方ない。

 大和さんはまだ大丈夫だが、りこりせ姉妹は「小僧を変な事に巻き込ませやがって」と普通に怒るだろう。

 いや、私が原因だが、私が悪いわけじゃないことで怒られても困るんだよ。

 なにせ私個人が謝ってどうにかなる問題でも無いから、解決策がないのだし。


「まあ、橘先輩が悪いわけじゃないことはりこりせ先輩も分かってくれると思いますので」

「まあそうだな」


 大きくため息を吐く。

 ――せっかく、小説が書ける気分になっていたのにな。

 変な問題が起きて、昨日は散々で小説など書けなかった。

 まったく、変な事ばかりが我が身に起きる。

 私はただ少年と素敵な恋をして、とても良い小説が書きたいだけなのにな。


「わかりました。エビフライさんは私の事が嫌いなんですね。もう知りません。カツサンドさん買います」


 大和さんが寝言でエビフライさんと絶交して、カツサンドさんと仲良くなった。

 そんなことを知識として蓄えながら。

 私は再び、本当に大きなため息を吐いた。


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