梅雨編
第二章 プロローグ
親無しの僕には、月に一度叔父さんへの報告が義務づけられている。
叔父さんが管理保護責任を果たすための定時連絡という奴であった。
まあ、叔父さんと話すのが嫌というわけではもちろんないが。
「というわけで、何事も順調です」
五月末。
梅雨入り前の季節に、叔父さんに電話をする。
新生活に不自由はないか?
何か困ったことはないか?
友達はできたか?
そういった普遍的な質問に答えて、こちらから学校生活について報告をする。
「そうか、もう四人もの女性と親しくなったのか」
「何やら誤解を招く言い方ですね」
誤解しないで欲しいのだ。
確かに僕は性別を女性とする四人と親しくなったが、それよりも親友である谷垣であった。
叔父さんとの会話については彼についてが8割を占めており、橘部長や大和さん、りこりせ地獄姉妹といった四人については2割である。
だが、どうも叔父さんはその2割についてを重要視しているらしいのだ。
「――なあ、我が息子よ。いや、谷垣君という親友が出来たことは喜ばしいだけだが。私が心配しているのはだ、つまりだ、直接的にいえばだ。お前が仮に親しい先輩やクラスメイトとしての存在だとしか彼女たちを思っていないとしても、彼女たちの側がそうは思っていないと言うことがあるわけだ。その可能性は否定できまい。わかるな」
そりゃあるだろう。
僕も嫌というほど味わったことがある。
初恋の人だった。
僕は彼女が好きで、彼女も僕のことを好きだと思っていた。
だが違った。
彼女は僕の事なんて好きでも何でも無かったし、むしろ「親無し」と心の中では嘲笑してすらいた。
丁寧に踏んでいったと思った恋愛じみたイベントは何もかも虚構であった。
僕が相手に抱く好意と、相手が僕に抱く好意とは差異があるのだ。
人と人が本当にわかり合うためには、どうすれば良いのだろうか。
きっと言葉だけでは足りぬのだろうと思う。
「十分に理解していますよ。要するに僕が四人に好意と敬意を抱いていても、向こう側は僕のことを親無しと馬鹿にしている可能性もあると言いたいのですね。ですが、あの四人は違いますよ。そんな薄暗い性格をしている人はいません。叔父さんといえども、彼女たちを侮辱しないでください」
「いや、違うよ。全然違うよ。なんでわからないのかが理解できない。空気を読む力を身につけろと常々口にしているだろ。なあ、息子よ。まあ、私は君の中学生時代に明らかに複雑骨折してしまった恋愛相談を受けた身だ。全てを理解していて、これはどうにもならんなと口出しを諦めた身だ。一度心に受けた屈辱がどれほどの物であったかは理解できる。トラウマにもなって当然だろう。だがしかしだ、それをいつまでも引きずっていては――」
何が言いたいのだ?
直接的な物言いのようで、何かモゴモゴと口ごもるような口ぶりだ。
殴打音。
何故か、人がボカスカと誰かを殴っているような音が聞こえる。
拳が誰かの背中を必死に殴っているかのような音であった。
いや、まさか電話の向こう側で叔父さんが殴られているということはあるまいが。
「あれだ、なんだ、そうだ。我が息子よ、我が娘と、試しに一度でいいから付き合ってみるというのはどうかね? 試験的な疑似恋愛というのも悪くはないのではないか? そこから本当の恋に発展して、ゴールインというのも悪い話ではない気が。そうだ、そうするといい! そうだと言ってくれ!! 言え!! そう響くほどにシャウトするんだ!!」
叔父さんが、何やら必死に叫んだ途端にその音が止まる。
電話の向こう側で何が起こっているのだろうか?
ボクシングの試合中継をしていたが、叔父さんの声にビックリしてテレビを思わず消したのかもしれない。
そのようなことを考える。
「何を仰っているのかが、よくわかりません」
何を言っているのだ、叔父さんは。
確かに僕には恋愛経験が無い――というより、かつて抱いた恋心は何もかも偽物であった。
誠に男としては虚しい人生を送っている。
だからといって、その犠牲に従姉妹を差し出して良い物だろうか。
良いわけがない。
馬鹿馬鹿しい。
僕は彼女に恋愛的好意を抱きかねなかったので、それを無理やりにでも消し去るために家を出たのだ。
彼女に懸想などするわけがない。
「あのですね。僕の人生の犠牲に娘さんを差し出すのは止めてください。ただでさえ彼女には親からの愛情機会を奪って悪いと思っているのに、これ以上関わるなんて駄目でしょう。従姉妹の優しさにつけ込んでは駄目ですよ。これから叔父さんは従姉妹の事だけを考えて生きてください」
「思い切り娘の幸せを考えて行動してる結果が今だよ! どう口にすれば、お前は理解してくれるんだ!?」
ガン、と何か堅い物を殴ったかのような音が聞こえる。
拳で壁を殴った音にも聞こえた。
何かバイオレンス物の映画でも観ているのだろうか?
それとも、叔父さんの馬鹿な発言を聞いた従姉妹が怒って暴れているのだろうか。
彼女はもう僕を嫌ってはいないだろうが、それでも恋仲などには決してなりたくないだろう。
暴れるのも理解できる。
もし僕の想像通りだとしたら、本当に申し訳ない。
叔父さんじゃなくて、僕の存在が悪いのだとしか言えない。
僕は罪深い。
「まあ、大丈夫ですって。僕だって男なんです。本物の男であれと叔父さんに育てられてきました。いつか恋をして、素敵な女性くらい見つかりますって。僕に本当の好意を抱いてくれる女性もきっといつか見つかります」
「いや、その女性すでに見つかってないか? 本当に見つかってないか? 何人もいなかったか? よく考えてみるんだ。居たって、どう考えても居たよ。私にはそう思えるね。最初の運命の人が致命的なミスを犯しただけで・・・・・・」
叔父さんは再考を促すが、まあ見つかってはいないな。
運命の女性(ファム・ファタール)がそう簡単に見つかるのも味気ない。
一度見つけたと信じたものは偽物であったし。
今のところはこのままで行こうと思うのだ。
「というわけで、定例報告は終わりとしたいと考えています。叔父さんは、まあ従姉妹と仲良くやってくださいよ」
「いや、その従姉妹と、私の娘と仲良くするために今こうして君と話をしてるんだが、理解できない? どうして理解できない? 私の育て方が悪かったのか? 社交をちゃんと教えきれなかったことか? 私のせいか!?」
何故か、ビシリと鞭の音。
まるでムエタイの選手が、激しいローキックを放っているかのような音が電話の向こうから聞こえている。
「あうち」と叔父さんが呟いた。
英語で言うとouch!である。
多分、うるさいから従姉妹か奥さんにしばかれたのだろうな。
叔父さんが悪い。
「それではこれで失礼します」
僕は電話を切る。
何度か電話の着信音が鳴るが、僕は定時連絡を除いては叔父さんの電話に出る気など無い。
優しい叔父さんの家庭を壊すために電話に出るなど、もってのほかである。
無視すべきであった。
「・・・・・・おやすみなさい」
僕はぺこりと自分のスマホに頭を下げて、就寝につく。
マンションの外ではしとしとと雨が降っていて、雨音が僕を睡眠に導いてくれた。
季節は、もうすぐ梅雨だった。
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好評だったので二章開始です。
ストックが尽き、のんびり更新となりますのでご了承ください
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