第一章 エピローグ


 普段、通学前の朝食はマンションの居間にて済ませている。

 今時家事も出来ない男はいかんと叔父さんに厳しく躾られており、テーブルにはベーコンエッグとレタスに味噌汁が並んでいた。

 簡単な朝食を作る程度ならば、僕にも出来た。

 反発するように従姉妹も一緒に料理を作り、「私の方が上手いのよ」と言わんばかりに僕に手料理を食べさせてきたことを思い出す。

 仲が改善された今では良い思い出だ。

 食べ終えたそばから、カチャカチャと食器を集め、キッチンシンクに片付けておく。

 洗うのは、晩ご飯の食器と一緒であるのだ。


「・・・・・・まだ時間があるな」


 朝五時起きの僕の場合、朝食を済ませてさえ、まだ六時である。

 今日は両親の月命日だ。

 仏壇など無いため略式的なモノとなってしまうが、両親の位牌を飾っている棚に両手を合わせ、線香に火を点ける。

 そうして、先月の報告を天国の両親に送るのだ。

 自分が送った日々に後悔はないか確認するための、些か儀礼的な意味も含んでいる。

 先月は激動の日々であったな。

 反対する叔父夫妻や従姉妹に別れを告げ、三駅離れたこのマンションに引っ越してきて。

 一人暮らしを始め、近隣で評判の良い高校であった現在の学校に通い。

 親友である谷垣と出会い、絆を深めた。

 これについては全く悪くない出来事であったと思う。

 谷垣などは本当に有り得ないくらい良い奴で、僕が親なし子だと知るやバカにするどころか『そうか、そうか・・・・・・。一度ご両親の位牌に線香をあげさせてもらっても構わないか? 何、俺という立派な友人がいることを教えてあげたくってね』などと口にしてくれたのだ。

 谷垣は本当に良い奴だ。

 まだ出会って短いが、今までの短い15年の人生で出会った中でも一番の友人であると断言しても良い。

 あんなに良い奴と出会えただけで、あの学校に通う価値があったというものだ。

 今度、家に遊びに来て貰おうと思う。

 問題はゲーム機なんて娯楽がウチにはないことだな。

 谷垣は一種のスーパーマンなので、勉強しなくてもどうせ学年一位であろうから、一緒に勉強というわけにもいかぬだろうし。

 線香をあげて貰ったら、すぐカラオケに行くか。

 僕が文芸部とカラオケに行ったことには眉を顰め、カラオケが嫌いなのかなと聞いたところ『いや、二人でなら何の問題も無いぞ。行こうぜ! お前が好きなバンドの曲も聴いてみたいしな!!」との事であった。

 僕は昭和の歌とか平気で歌うぞとか言ったが、興味あるね! の一言で片付けられた。

 谷垣は本当に良い奴である。

 彼の話では、僕がカラオケに行ったこと自体はよく、文芸部と一緒というのがいかんらしい。

 詳しく話せば、お前よく無事でいたな、なんて口にされたが。

 彼は文芸部の人たちの事をなんだと思っているのだろうか?

 そうだ、谷垣の事はまあこれでいい。

 文芸部の面々についても話さなければ。


「父さん、母さん。文芸部の皆様は優しい方ばかりですよ」


 りこりせ先輩、橘部長、大和さん。

 誰をとっても優しい方ばかりなのだ。

 一度、君の一人暮らしの様子を見に行ってもよいかなと、僕に尋ねてくるのだ。

 おそらくは谷垣と同じである。

 線香の一本も両親にあげてくれるつもりなのだと思われた。

 一人暮らしの僕の家にわざわざ来る用件なんか、他にないだろうしな。

 あれだ、そういえば従姉妹も今考えれば凄い良い奴だったな。

 月命日に線香を上げている僕の姿を見ては、黙って横に座り、一緒に祈ってくれたのだ。

 あんな良い人が、なんで両親の遺品であるCDラジカセを粗雑に扱うような真似をしたのか。

 その理由だけは今でも分からないが。


「いかん」


 また従姉妹の事を考えていた。

 忘れなければ。

 これ以上、あの叔父さんに迷惑をかけるわけにはいかんのだ。

 元々は、僕が彼女に好感を持つように――本当に恥ずかしい話だ。

 年頃の彼女を、女性として意識するようになってしまったのも原因の一つだ。

 従姉妹に性欲を抱くようになったのだ。

 世話になっている叔父さんの娘に懸想するなど、日本男子としてあり得ぬ事だ。

 生涯の恥といってもよい。

 だからこそ、僕はあの家を逃げるように出てきたのだから。

 もう忘れよう。


「・・・・・従姉妹とは今の良い関係を続けなければ」


 従姉妹だけではない。

 そうだ、従姉妹だけではないか。

 ちょっと困ったことがある。

 男子としての本音を、両親への愚痴とする。


「父さん、母さん、皆さんボディタッチが激しいのです」


 慣れてはいる。

 従姉妹がよく僕の背中を叩いたり、風呂上がりの姿を見せつけてきたりということはあった。

 だから、女性の魅力的な仕草には慣れてはいるのだが。

 あの4人はより強烈なタッチを行うようになった。

 まずは大和さんであった。

 放課後、部活へと向かう際に、手をつなぐようになった。

 まるで背丈の足りない僕などは身長190cmの彼女に、手をぶんぶんと玩具のように振り回されているのであるが。

 なんだ、女性の手なのだ。

 ぎゅうっと、肉感的な手が僕の手を掴んで、振り回すのだ。

 そして、いつでも煌めくような笑顔を僕に見せてくれる。

 僕は健全な15歳の少年であるのだ。

 そんなことをされたら、いくら従姉妹で慣れていても厳しいものがある。

 彼女に好感を抱きそうになる。

 いや、好感を感じるくらいはよいが、女性として意識してしまいそうになる。

 惚れてしまいそうになるぞ?

 ……勘違いをしてはいけない。


「あれはでっかいハムスター」


 断言する。

 大和さんはでっかいハムスター。

 いつでも何かを食べていなくてはならない、燃費の悪い存在。

 そう冷静に考える。

 橘部長もだ。

 夜歩く、彼女と。

 最近では、心細いと部長に言われ、よく手をつなぐようになった。

 商店街から少し離れた脇道を、薄暗い中で殺虫灯のみが輝く中で歩くのだ。

 そりゃあ心細いこともあろう。

 僕は彼女と二人で、手をつないで歩くのだ。

 厭世的な雰囲気と眼前の存在を疑っているかのような鋭い目つきなどが、酷く媚びた頼り気のない姿で、僕にすがりつくのだ。

 ちょっと、時々駄目そうになる。

 彼女こそファム・ファタール(運命の人)なのではないかと勘違いしそうになる魔性ぶりなのだ。

 そんな風だから、サークルクラッシュ事件が起きるのだと思った。

 これも勘違いしてはいけない。

 あれは素のままに魔性の人で、僕に好感を抱いているからそうなのではない。

 同じように誰も彼もを勘違いさせて、サークルを木っ端微塵にした人なのだ。

 

「……橘部長は魔性の人。だけれど、僕に恋しているわけじゃない」


 これもまあよい。

 僕が彼女に勘違いをしなければよいだけの話なのだ。


「りこりせ先輩が不味いんですよ、父さん、母さん」


 これがマズイ。

 なんというか、マズイ。

 ボディタッチが激しすぎるのだ。

 従姉妹でもしなかったようなことをしている。

 毎日、教室で朝勉強をしている際にだ。


「……なんで胸を押し付けてくるんだろう、あの人は」


 朝練終わりのりこ先輩が、誰もいない朝早い教室で僕を抱きしめる。

 静かに、神聖な儀式のように。

 僕は為すがままにされている。

 少し汗の匂いをさせたスポーツブラの香りを、ブレザー越しにさせるのだ。

 くらり、と脳が揺れる時が時々ある。

 ここまでしてくるのだから、僕に恋愛的な好意があるのではないかと。

 そう勘違いをしそうになる時がある。


「いやいや」


 ないない。

 そうして首を振る。

 彼女は男嫌いだから、たまたま見つけた嫌悪を持たぬ僕に対しての距離感がおかしいだけだろう。

 チームメイトとも、男以外の誰とでも抱きしめあって愛情ホルモンを分泌させる人だ。

 チームメイトへのそれと、僕へのその愛情に違いはないだろう。


「……りせ先輩との距離感も最近近い」


 週に一度、りせ先輩の女子バスケ部の見学に行く。

 カステラを土産に持って、練習試合を見に行くのだ。

 幸いにも「スラム街へようこそ!」は最初の一回だけであり、その後は普通に誰もが接してくれた。

 逆に聞きたいが、最初のアレはなんだったのだろうか。

 ……まあ、それは僕が困らないから別によいとして。

 最近、りせ先輩の接触が激しい。

 りこ先輩のように、練習試合終わりの汗だくになった体で、僕を出迎える。

 そうして、手や肩を握ってくる。

 そんなとき、僕はまるで捕食されたかのような気分になるのだが。


「いやいや」


 そんな失礼な事を考えてはいけない。

 大和さんも、橘部長も、りこりせ先輩も、僕になど興味はないだろう。

 あのような高身長の美人揃いが、身長の低い痩せっぽちの僕に惚れてくれるなど天地がひっくり返っても有り得ないのだ。

 勘違いしてはいけない。

 勘違いは――一度きりで沢山だ。

 脳裏に、中学生の時の言葉を思い出す。

 人生で今まで一度きり、本気で惚れた女の言葉であった。

 初恋であった。

 そんな彼女が、僕の告白に対して、こう口にした。


「ば、バカじゃないの! 親無しのアンタなんかと付き合うわけないでしょ!!」


 あの言葉には本当に傷ついた。

 僕はおろか、すでに亡き両親まで馬鹿にされた思いをしたのだ。

 僕を振るのは構わないが、親の事だけは許せなかった。

 あれほどに強烈な憎悪を覚えたことなど、今までの人生で一度しかない。

 恋煩いなど反転して、いっそ憎しみに至ったのだ。

 僕は彼女が好きで、彼女も僕のことを好きだと思っていた。

 それだけの経過を踏まえたと思っていたし、恋愛じみたイベントをこなし、付き合うに値する相手だと認めてもらえたと思ったのに。

 だが、全て勘違いであったのだ。

 だから、僕はもう勘違いなどしない。

 しないのだ。

 恋をするとすれば、それこそ恋心を逆に打ち明けられて、僕が「それが嘘なら死んでもいい」と思えた時だけである。

 本心本意で惚れぬいた時だけである。

 よし、冷静になった。


「父さん、母さん、今日も頑張ってきます」


 僕は位牌の前でそう口にして、学生鞄を持って、よくブラシをかけたブレザーに身を通した。

 さて、学校へ行こう。

 今日も朝練を終えたばかりの、りこ先輩が僕の教室にやってきて、頭に胸を押し付けるのだろうが。

 我慢しなければならない。

 

「はあ」


 僕は15歳の性欲と折り合いをつけるべく、大きなため息をついて通学することにした。

 

「まあ、なんだかんだで悪くないスタートさ。皆いい人ばかりだしな」


 僕はそう呟いて、玄関のドアを開けた。

 湿気の多い時期である。

 雨がしとしとと降っており、季節は梅雨入りに入っていくのだろう。

 僕はそんな天気模様を見て、晴れ晴れと笑った。


「よいことだらけですよ、父さん、母さん」


 曇り空を眺めて、人心地をつける。

 僕の人生で、今のところ悪いことなど何もないのだと。

 僕はそう納得して、マンションの鍵をゆっくりと閉めた。




――――――――――――――――――――






ということで一章終わりです。

評判が良ければ続きを書こうと思いますので

温かい感想など頂けますと嬉しいです



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