第二十一話 「恋愛は人生の秘鑰なり」


「疲れた。完全に燃え尽きたよ」


 徒労を吐く。

 いや、『徒労』というのも全くは違うか。

 りこが少年に手を出さなかったのは結果論であり、私が睨みを利かせていなければ、おそらくは今頃少年とベッドインしていたであろう。

 少年が力で抵抗できたとは思えぬ。

 それほどに、りこの奴は少年に執着していた。

 私が参加しなければ今頃、首に枷をはめられて喉を締め上げられ、苦悶の声すら出ないほどに束縛されていたであろう。

 間違いなく童貞も奪われていた。

 危ういところであった。

 ああいった野蛮な女は、少年には似合わない。

 首を捻って回し、自分の肩肉を労い、それに伴って後輩にも気を回す。

 彼女には事前に、りこへの妨害対策について協力を仰いでいた。

 ――実際にはあまり協力してくれなかったが、それでも同意はしてくれた。


「大和さんにも御礼を言っておこう」

「いえ、必要なことでしたので」


 親族には問題ないようで何よりでありました。

 そのように大和さんが口にする。

 少年の親族のことか?


「そうだな。確かに冷たい親族の中でも、救いの手を差し伸べる叔父さんがいてよかったよ」


 彼の尊敬する叔父さんが居なければ、果たしてあの少年はあのような見事な姿をしていたであろうか。

 制服のブレザーにブラシを掛け、革靴を磨き、ピシリとした姿を見せていたであろうか。

 まさに「Manners maketh man」(マナーこそが紳士を作り上げる)。

 生まれや家柄ではなく、努力して培った礼節こそが立派な人間を作り上げるのだ。

 口に銀の匙をくわえて生まれてきた者ばかりが、立派な人間になるのではあるまい。

 彼を立派に育て上げた少年の叔父さんには、心から感謝を。

 なに、この橘美紀子の叔父にもなるのだから、礼は念入りに口にせねばなるまい。


「親族に迎え入れる方には相応しい方であります」


 うん、確かに。

 少年の親族として迎え入れるに相応しい方だな。

 だが大和さん、言葉遣いはハッキリと使いたまえ。

 それではまるで、大和さんの親族として迎え入れるに当たって、少年の叔父家庭が相応しい一家であるように思えてしまうぞ。

 まるで大和さんが少年と結婚するかのようではないか。

 そう誤解させてしまうぞ。

 笑いながら口にしようとして。


「・・・・・・何かおかしいこと言いましたか?」


 不思議そうに、大和さんが首を傾げた。

 少年ならば気づかないのだろう。

 これは、あの空気が読めない少年ならば気がつかないことであった。

 だが、過去にサークルクラッシュという大事件を起こした人間である私は気づけた。

 彼と同類である自分は、経験を積んだからこそに気づくことができたのだ。

 大和さんは。


「え、あれか。大和さんは彼が好きなのかね?」


 気づいてしまった。

 私としては、ただのクラスメイトとしての関係であろうと予想していたのだが。

 どうやら、大和さんにとっても少年は魅力的に映っていたらしいのだ。


「・・・・・・?」


 不思議そうに首を傾げる。

 大和さんは、本当に不思議そうに答えた。


「逆に、あの性根と在り方を知って、それで自分に心から構ってくれる人で、好きになれない女がいるものですか? 橘部長は何かおかしな事を口にしているのでは?」


 オム・ファタール。

 複数の女性にとって、外見・内面共に致命的な魅力や蠱惑を持った存在。

 運命の人、魔性の男。

 脳裏にそのような言葉が思い浮かぶ。


「・・・・・・」

「・・・・・・」


 沈黙が落ちる。

 嗚呼、理解していた。

 ここで大和さんと私の協力関係は完全に終わりを告げた。

 大和さんなどは最初から、私の少年への好意に気づいていたのであろう。

 りこへの妨害協力の申し出に対して大和さんが応じてくれたのは、単に大和さんに都合がよかったからにすぎない。

 橘部長に合力してやるか、等と言った配慮は全く以て皆無であったのだ。


「あれだ。先輩に譲り給え。後輩らしくね」


 遠慮を口にする。

 私に対する遠慮だった。


「意味が分かりませんね。先輩らしく、後輩に譲ったら? という言葉も成り立ってしまいますよ?」


 大和さんはハムスターのように、何やらガジガジと囓っている。

 カラオケの終わりに持ち去った、箱ごと提供されたスティック状のチョコ菓子の残りであった。

 でかいハムスターか何かか? 大和さんは。

 そんなことを考えながら、私はふる、と首を振った。

 大きくため息を吐く。


「少年も罪深いな」


 原因は少年にあった。

 我らが彼の知らぬところで醜い争いをしても、少年は何の興味も引くまい。

 そう思えば、ここで争ったところで無益であった。


「本当に。まあ、それも彼の魅力的な要素の原因とすれば、仕方もないかと」


 本質的に無益である。

 大和さんもそう悟っているようで、剣呑としている私とは違い、あっさりと私の敵意をかわしていた。

 争うつもりすら最初からないのであろう。

 もっとも、争って手に入る物ならば、刃物でも平気でこの場に取り出したであろうが。

 刃傷沙汰となれば、私は大和さんに勝てる自信が全くない。

 ポケットに手を突っ込む。


「あれだ、私は少年が夜道を送り迎えしてくれるだけでも嬉しいのだよ。幸せな気分になれるのだよ。りこのように肉体的な結合ではなく、精神的な充足を求めているのだ」


 本音を口にする。

 判ってくれるとは思わないが、単純な現実を口にする。 

 物憂さと甘さがつきまとって離れない、この見知らぬ感情を何に例えよう。

 きっと愛という重々しい、りっぱな名前が付くのだろうが、私はそれを躊躇っていた。


「ならば、それだけで学生生活を終えればよろしいのでは? きっと素敵な思い出に変わりますよ」


 大和さんがそう口にする。

 私と少年の夜歩きまでを邪魔するつもりはないと言いたいらしい。

 薄暗がりの恋愛をひっそりと終えれば良いと口にしたのだ。

 私は答えた。


「だが断る。断じてのノーだ。ここで終わってたまるものかよ」


 この関係をずっと維持していたかった。

 誰も他に居なければ、後二年間はずっとそうしていたであろう。

 だがノーだ。

 前に進まなければ何も得られないのであれば、前進する勇気を自らに与えよう。

 

「恋愛は人生の秘鑰なり。男女相愛して後始めて社界の真相を知る」


 恋愛至上主義なる言葉を諳んじる。


「恋愛については奥手な方であるし、肉欲的な恋愛など全くの範疇外の者として生きてきたのだが。こうなれば話は別だ。私のりっぱな初恋という感情にも、羞恥心というものがあるなどと口にしている場合ではない。彼は、少年は私が貰い受ける。どんな手を使ってもだ」


 宣戦布告を口にする。

 ぞっとするような怖気が脈を打つ。

 恋愛に恐怖心のある自分が、サークルクラッシュを引き起こした自分が、ここまで恋愛に踏み込むのには勇気がいった。

 だが、踏み出した。

 冒険心がなければ、ここから先は何も得られないのだ。


「そうですか」


 大和さんは、やや面倒臭そうに首を捻った。

 私の宣戦布告なんて、相手にしていないかのようであった。


「きっと、こうなると思っていました。彼は私の見込み通りの男でありました。多くの女性から惚れられるような素敵な男性で――まあ、想定内でしたよ」


 大和さんにとっては、何もかも想定の範囲であったのだ。

 だから、いちいちこちらに敵意を向けたりはしない。


「ですがね、橘部長。選ぶのは彼であって、私たちに選択権はないんですよ。できるのはアピールだけなんですよ」


 ここでの私の宣戦布告など全くの見当違いだとでも言いたげに。

 少しばかり微笑んで、大和さんは口にした。


「・・・・・・彼は私の理想の男性ですが、彼にとって私たちは理想の女性たり得るのでしょうかね」


 それは自身への問いかけのようにも思えたし、私に対する問いにも思えた。

 わからない。

 正直言えば、何もわからないで、私たちは恋愛に手を伸ばしている。


「橘部長。私は焦りません。独占欲は強い方ですが、じっくり、念入りに、彼の好きなものを。秘鑰を。彼の心を破るための鍵を見つけ出そうと思います。りこ先輩とは違うんですよ。部長もそんなタイプですよね?」


 彼女の言葉はまさしくそうであった。

 私たちは暴力で彼を押し倒そうなどとは思わない。

 だが、彼の心を解きほぐしたかった。

 私だけが少年を満たせると。

 心臓に銀の枷を填めて、それから束縛してしまいたい。

 私たちが求めるのは肉体的な訴求ではなく、精神的な束縛であった。


「似てますね、私たち」

「りこりせ姉妹よりはな」


 連中とは全く反りが合わないだろう。

 それだけは確実に言えた。

 逆に、大和さんとは嗜好に関しては一致している。

 問題は、その矛先が同じと言うことだが。


「ねえ、部長。恋愛同盟を結びませんか?」

「同盟?」


 同盟とは何らかの利害・目的・思想の一致により、協力を約束することだが。

 少年との恋愛という目的に対して、どう協力できるというのだ。


「私たちは決して相容れない存在ではありません。今回のように、少なくともりこりせ地獄姉妹に対抗するという点においては」

「まあそうだな」


 首肯する。

 確かに、一番の問題は時間である。

 私たちが少年の心をひもとく秘鑰(秘密のかぎ)を見つけるには時間がかかる。

 どうすれば少年に気に入られるか、それが肉体的な訴求ではなく、精神的な結合であれば、どうしても時間はかかるのだ。

 

「りこりせ先輩の事ですから、どうせ押し倒してヤっちまえば勝ちだとか思ってますよ。まあ、全く以て下劣な考えです」

「それはそう」


 即物的な。

 だから奴らは苦手なのだ。

 少年がそんなに容易い考えで生きているものか。


「私たちはそれではいけないと考えています。もっと、別な方法を探し求めています。そうでなければ――面白くないでしょう?」


 大和さんと私には、少年と『恋愛を愉しむ』という目的がある。

 なるほど、同盟は結べた。


「いいだろう。地獄姉妹に対抗するために、大和さんと同盟を結ぼうじゃないか。肉体的な誘惑は一切無し。押し倒すのも無し。地獄姉妹の行動には妨害する。そうして少年が好きなもの、興味を持つもの、そうした尊いものを探っていこう。それで、少年の秘鑰をもし見つけたならば?」

「そこからはヨーイドンでお願いします。お互いの妨害ナシナシで」

「よかろう。私の好みの同盟だ」


 気が合うじゃないか。

 私は夕闇の中で、大和さんに手を伸ばし、握手をする。

 月下の誓いというにはまだ闇は浅く、その中で私たちは指にお互いの握力を感じて。

 この手に、いつか自分が彼の手を握れればいいなと、お互いに思った。

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