第三十七話 「少年の過去をつきとめる」


 身辺調査は順調に進んでいる。

 柳家のこと一切を取り仕切っている家令たる『三太夫』の能力に不足はなく、順調にあの少年についての情報が集まっているはずだ。


「……」


 待つ。

 ただ待つ。

 じれったいが、自分から動くわけにもいかない。

 父親に覚られるわけにはいかなかった。

 我が父が橘さんに迷惑をかけた件について。

 より正確に言えば『謝罪を申し出たが、彼女の父親に強く拒否された』という謝罪さえ受け入れられなかった現実について、我が父はプライドを傷つけられたと激しく激怒していた。

 もちろん、その怒りは橘さんに対してではなく、問題を起こした僕個人に向いている。

 どこからみても正当な怒りである。

 だから、父にだけはバレるわけにはいかない。

 あの厳格な父にバレたら、僕は折檻を受けて、少年の過去を調べたこと自体も咎められるだろう。

 二度と関われないように、そのまま学校も転校だろうな。

 ――そう判断することぐらいは僕にもできた。

 ゆえに、ただ待つ。

 三太夫の能力を信じることしかできないのだ。

 ゆえに、ある程度の時間がかかることは覚悟していたのだが。


「達也坊ちゃま、情報が集まりました」

「早いな。え、マジで早いな。そこまで急いでないぞ?」


 その待つことしかできない自分さえ、三太夫の情報収集能力には舌を巻いた。

 早い。

 待ち遠しいと感じていた僕がビビるくらいに早かった。

 まだ三日と立っていないのだが。


「高校のことだけ調べたのか? 僕が知りたいのは、こちらに来る前の――」

「もちろん調べましたとも。この少年が高校に入る前に駅三つ遠いところで生活をしていたことも、その小中学生時代の生活詳細もすべて突き止めました。これさえ読めば彼の人となり全てが掴めるかと」

「早すぎないか? お前何なの?」


 早すぎる。

 どんな手を使ったんだ? と問いかけたくなるが、あまり気にしないことにした。

 手段を問うつもりはないのだ。


「経費は僕の小遣いから引いといてくれ」

「費用はほぼ私の人件費だけですので、柳家に雇用されている立場としては不要ですが――」

「引いといてくれ。お前に借りをつくりたくない」


 再度言っておく。

 ここで三太夫に借りを作りたくない。

 いくら使用人とはいえ、三太夫は時々意味が分からないことをするときがある。

 金で解決することならば、そうしておきたかった。


「さて、達也坊ちゃま。私が調べました内容につきましては、この資料にまとめておきましたが――」


 三太夫がキングファイルに入った資料を見せる。

 そこそこの分厚さだ。

 本当にたった三日間でよく調べたものである。


「では、渡してもらおうか」

「その前にお聞きしたいことがあります」


 受け取ろうとして、遮られる。

 三太夫は難渋したように、顔をしかめている。


「その、何ですか。あー、達也坊ちゃまがこの少年の過去を調べたのは、お友達になりたいからでしたか?」

「……そうだ」


 嘘である。

 だが、まだバレてはいないだろう。

 そう考えている。


「……正直言えば、その真偽を疑っております。いえ、この少年が坊ちゃまの友人になるというのならば私は反対ではありませんが」


 微妙な表情をしている。

 三太夫はあの少年の過去を調べて、それで何を知ったのだろうか?

 随分と評価をされているようだ。

 キングファイルの資料を両手で持ちながら、三太夫は思案気にしている。


「坊ちゃま。私は少年について調べたのですよ。その過程で、まあ調査においてはさして重要な内容ではなかったのですが、達也坊ちゃまが『やらかした』相手である橘さんに関わっていることも知りました」

「……それで?」


 舌打ちしそうになって、やめる。

 まあ、調べられたら橘さんに関わっている件もバレるか。


「正直、どうすべきか悩んでおりました。このまま坊ちゃまに資料を渡しても良いのでは? という思案と、まあ使用人として旦那様に報告すべきかとも」

「……後者は勘弁して欲しいね。金は払うと言っただろう」

「さて、この三太夫が雇用されているからといって」


 三太夫が胸のカフスボタンに指をあてた。

 この老人は長考する際に、その仕草をする癖がある。


「何もかも金づくで動く老人だとは思われたくありませんね。柳家の家令として、旦那様からの信頼を裏切るわけにはまいりません」

「……」


 これは父に情報を流されるコースか?

 僕は眉をしかめるが。


「さて、どうしましょうかと悩みましたが、まあ私は達也坊ちゃまにそれなりに愛情があります。坊ちゃまが赤子の頃から見守ってきたわけですしね」

「では渡してくれると?」


 なんだ、話がわかるじゃないかと。

 キングファイルを受け取ろうとして。


「両方を実行することにしました。この資料は渡します。ですが旦那様にも事情を説明し、同じ資料を渡しておきました」

「……」


 まあ、理屈はわかる。

 三太夫は家令として、何かトラブルがあれば父に報告すべき義務があった。

 同時に、僕の命令を軽んじることもない。

 ゆえに、両方を実行したのだ。


「私の推測を挟んだ――要するに、この少年が橘さんに近づいたことに対する未練がましい嫉妬がために、達也坊ちゃまが身辺調査を依頼した。そのような悪意あるあらましは旦那様には伝えておりませんよ」


 すべて僕の思惑は見抜かれている。

 まあ、身辺調査したのだ。

 三太夫も大体のところは掴んでいるだろう。

 そして、三太夫が推測できるならば、それは頭のよい父にだって推測できる事柄だろう。


「……ふん」


 鼻を鳴らす。

 別に、もう構いはしなかった。

 父にバレようが、その前に動けばよいだけだ。

 後で父からどれだけ叱責を受けようが、後先考えずに動くつもりである。

 

「資料を寄越せ」

「どうぞ」


 キングファイルを受け取る。

 今から読もうと考える。

 これで、少年の全てを知ることができるだろう。


「三日間で調査できたのは、あくまで小学生の途中からです。それ以前の調査は打ち切っております」

「まあ、自我がはっきりしていない小学生低学年の頃なんか知っても仕方ない」


 それでは少年を責めることなどできない。

 僕が知りたいのは自我がはっきりしてから、その人格を裁定できる過去のことである。

 それ以前のことは必要はない。


「何せ、この地方の『新しい保護者に引き取られて』引っ越して来るまでは違う県におりましたので。さすがにそれ以前のことを調べることは――また、調べても意味がないと判断しました」


 いいと言っているんだが。

 溜め息を吐こうとして――『新しい保護者に引き取られて』とはどういう意味だ。

 三太夫は何が言いたいのだ?

 疑問を抱くが、資料を読んだ方が早い。

 僕はキングファイルを開き、1ページ目を拝見する。

 そこにはどうやって手に入れたのかは知らないが、新聞の記事の切り抜きが貼られている。

 新聞社に頼んでクリッピングでもしたのだろうか?

 とにかく三太夫の仕事には手抜かりがなかった。


「……?」


 しかし、新聞の切り抜き?

 何か新聞沙汰になるようなことでもしたのか?

 まるで少年の人生がここから始まったかのようにして、印象づいた一ページ目である。


「最初は旦那様にのみ資料を渡し、その判断を仰ごうとしました。ですが、色々考えて私めはこの行動に出ました。坊ちゃまにこの資料を渡したことには意味があり、そのことを理解できるくらいには達也坊ちゃまも成熟しているものと願っております」


 三太夫が綺麗に頭を下げる。

 使用人として、雇用人に対する忠誠の仕草である。

 何が言いたいのだ?

 まるで、この資料を読んでも僕にはなす術がないのだと言いたげに。

 僕は資料の一ページ目を読む。

 軽自動車とトラックの衝突事故詳細が新聞記事には書かれている。

 トラックの運転手、そして衝突された夫妻ともに死亡。

 幸いにして小学生低学年の子供のみが軽傷で生き残る。

 世間にでも稀にある悲劇で――

 そして、その残された子供となったのは彼であることが、数秒をおいて僕にも理解することが出来た。

 彼の真の意味での人生は、独立した自我はここから始まった。

 いや、強制的に始めさせられたのだ。

 一瞬、そのことを理解した思考が停止する。


「ああ、言い忘れておりましたが。達也坊ちゃま、旦那様が夕食は一緒にするようにとのことです」


 三太夫がそのまま立ち去ろうとする。

 最初のページだけ読ませてすぐに、いきなり父と話してこいって、わざとだろ!

 状況に動揺しつつ、時計をみる。

 夕食まであと20分もない。

 キングファイルの次ページを読み漁る時間はなく、慌てて僕は自室に戻り。

 資料をベッドの上に放り出して、厳格な父に咎められないように身支度を整えた。

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