第三十六話 「谷垣の忠告」


 谷垣のタブレットから授業データを受け取っている最中。

 彼は突然に眉を顰め、こんなことを言い出した。


「お前の過去について調べている輩がいる。心当たりは?」

「うん、あるね」


 有るか無いかと問われれば、当然のようにある。

 僕は谷垣に頷いて、それを伝えた。

 

「相手はわかるのかい?」

「わかる。教えて欲しくばパン一つ寄越せ。甘い奴がいいな」


 情報料が必要らしい。

 安いものだとばかりに、僕は前の休み時間に谷垣とのじゃんけんで負けた結果として買ってきた菓子パンの内、自分の一つを谷垣に譲り渡した。

 『さくさくメロンパン』である。

 甘いものは正義であるのだ。

 おまけとばかりにコーヒー牛乳も差し出し、谷垣は何を言う話でもなく両方を受け取る。


「大変よろしい。で、まあ一々言うまでもなく推測は出来ると思うんだが、相手は柳なにがしだよ。最初の発言通り、お前さんを橘部長にふさわしいかを裁定したいらしいな。ストーカーじみているとは思うが……」


 まあ想像はついていた。

 僕が知りたいのは――


「どうやって知った?」

「知ったと言うより、お前の友人として、お前についての身辺調査を受けた。物腰丁寧な執事然とした老人からな。相手側は身分を隠す様子もなかったよ」

「なるほど。まず身近なところから調査に入ったのか」


 眉を顰める。

 心境的にはしんどいものがあるな。

 過去を調べられる覚悟はしていたが、気分的には良いものではない。


「俺はまあ身辺調査したところで柳なにがしが惨めになるだけだから止めたら? きっと彼からは何も出てこないよ? と忠告しておいたがな。実際どうかね」


 席に着席する。

 休憩時間はまだ少し残っている。

 あまり込み入った話をするには短すぎるが、谷垣と相談するには十分な時間だ。


「うん、高校に入ってはまだ良いけれど、中学生時代の頃は知られたくないな」

「頭をモヒカンにでもしてたのか?」

「その程度の過去であれば恥ではないが」


 別に不良だった過去はないし、酒も煙草も麻薬も嗜んだことはない。

 モヒカン頭にしてヒャッハーと叫んでいた過去もないのだ。

 世紀末など知らない、ごく普通の平成生まれ・令和育ちの人間である。


「誰にだって黒歴史はあるだろう?」


 まだまだ若いのだ。

 15の今でさえ確固とした自分に成れたか怪しいのに、中学生の時分なんぞ随分と若い。

 派手にやらかしている。


「あるなあ」


 谷垣がメロンパンとコーヒー牛乳を消化しながら、ふと自身の過去についても考えているようだ。

 自分で聞いといてなんだが、スパダリである谷垣なんかに恥ずかしい過去があるものだろうか?

 少なくとも僕よりは恥ずかしくないと思うが。


「どうにかするか?」

「どうにかとは?」


 谷垣が尋ねてくるが、その意図がわからないと返事をする。

 

「柳とやらをだよ。まあ、俺から見て身辺調査は度を越している。そんなことをされる覚えはない。ストーカー行為だ。理事長に話を通して親方面から攻めるという手もあるが? 所詮親に養われている立場なんだし、やろうと思えば動きを容易く潰せるぞ。やられっぱなしではよくないと――」

「放っておいてかまわないよ」


 なるほど、さすがに谷垣は賢い。

 だが、よいのだ。

 嫌は嫌だが、柳が僕を確かめたいと言うならば。


「最優先されるべきは僕についてじゃなくて、橘部長の安全であることはすでに述べておいたはずであり、その目的を違えることはない。僕の過去を知って、柳がどう反応を示すかどうかは判断ができない。やはり部長にふさわしくないのだと僕に殴り掛かってくるかもしれないが――」


 断罪しようとしてくるかもしれない。

 それは別に恐ろしいことではない。

 僕が楯になって橘部長を守れれば何のトラブルでもない。

 最終的解決を考えれば悪いルートではないのだ。

 それに――僕にも少し考えがあるのだ。


「まさか、改心する可能性も考えていると。有り得んぞ」


 その可能性は低いだろうと。

 明らかに柳の人格を見下した表情を隠さずに、谷垣が呟く。

 いや、そうではない。

 今までの経緯を踏まえれば、確かにその可能性は低いが。


「なんだ。かえって僕の過去を知って、改心というか――『人から見れば自分はこのような勘違いをした愚かものなのだ』と我に返る可能性はあるんじゃないかと思っている。人の振り見て我が振り直せってやつでね」


 僕は過去に恥をおかしている。

 一つの盛大な失敗をやらかしている。

 だから、なんだ。

 それを知られると言うのは本当に嫌だが、柳の目を覚まさせるにはちょうどよい冷や水にはなるのかもしれない。

 そう考えている。


「ふむ。お前の過去は知らんが、興味深い発言だ」

「別に谷垣には、僕の恥について話してもよいのだけれど」

「うん、聞いてやってもよいが、どうしようかな。そういう愚痴っぽいことを友人に漏らすのもよいが、その場合は俺も打ち明け話をしなければならないってことだよな」


 まあそうなる。

 僕が一方的に過去のやらかしを話してもよいが、こういった男同士の過去を話すには、やはり双方の恥を漏らしてこそだろう。

 フィフティ・フィフティという条件を成立させたいのではなく、酒の肴は双方が用意すべきなのがマナーだ。

 お酒飲んだことないけど、代わりにコーヒーと茶菓子くらいなら用意しても良い。


「まあ、谷垣の過去が僕より恥ずかしいとは思わんから一方的に話してもよいが? 多分釣り合わんぞ」

「いやあ、俺だってやらかしてはいるよ。そうでなきゃ、地元を離れてわざわざこんな高校に通ってはいない」


 おや?

 まあ、確かに疑問に思ってはいたことだ。

 谷垣ならばどんな有名進学校にだって通えたはずなので、この高校とはあまりにも偏差値が見合わない。

 地元でやらかして逃げてきたと考えれば筋は通る。

 ただ、暴力トラブル辺りをやらかす人間には思えないのだが。


「言っておくけど、俺が一方的に悪いわけじゃないからな。話せば本当に複雑な事情があって、今お前の横に座っている」

「それは信じる。僕にとっては親友との巡りあわせを歓迎すべきなんだろうが」

「歓迎してくれて嬉しいよ。親友」


 谷垣が食事を終え、自分のビニール袋に空になったコーヒー牛乳とメロンパンの袋を突っ込んだ。

 谷垣はそうだろう。

 多分、自分にはどうしようもなかった事情でこの高校に来たのだろうな。

 僕に関しては、もう何もかも僕が勘違いをしたのが悪かったのだが。

 そろそろ三時限目の授業が始まるので、クラスにいなかった大和さんが帰ってきた。

 彼女はポケットに相変わらず総菜パンを詰め込んでいる。

 相変わらずでっかいハムスターらしく、頬にご飯を詰め込んだばかりにようにニコニコとしていた。

 この会話、大和さんにはあまり聞かれたくないな。

 そう察した谷垣は会話を打ち切り、未だに電子黒板に代わる様子がない旧態依然な黒板を見つめている。

 その瞳は気怠さに満ちていた。


「うーん」


 少し思い悩む。

 決断自体はそう間違っていないと思うのだが。

 自分の過去を暴かれるのが恥ずかしいから嫌だと、谷垣に泣きつくのは御免だし。

 男としての生き方を考えるならば、今の僕の行動は何も間違っていないのだろう。

 だが、だがしかしだ。


「……」


 本当に男らしくない話だが。

 はたして、眼前の大和さんや橘部長、りこりせ先輩が僕の過去のやらかしを知った時。

 柳からのルートでそれが暴露された時。

 その時、彼女たちはどう反応するのだろう。

 僕を見下すだろうか。

 鼻で嘲笑うだろうか。

 それとも――人間、誰にだって恋により暴走することはあるのだと。

 笑いながら、言葉で慰めてくれるのだろうか。

 そんなことを考えてしまった。

 実に情けない限りだ。

 僕は僕の過去に背を追われている。

 

「うん、まあ」


 過ぎた心配だろう。

 彼女たちは本当に良い人達だ。

 僕の恥を知ったところで、それを契機に何が変わるはずもない。

 何の問題もない。

 僕からは柳に対してノーリアクションを通し、相手からアクションがあって、その時始めて動いてやればよいのだ。

 横綱相撲をするつもりである。

 こちらから何かをする必要はないのだ。

 改めてそれを確認し、僕は全てを振り切るようにタブレット画面を見つめる。

 照明のついていない画面が、僕の少し気怠げな思案顔を映し出していた。

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