第十話 「りせ先輩と部活」
そうだ。
たちあがってゆくのだ。
あしが動かなければ手でゆけ。
手が動かなければ、ゆびを立てろ。
ゆびがうごかなければ歯で土をかんで、そうして歩け。
歯もだめになったら、目でゆけ。
目でゆくんだ。
いいか。
わたしはおまえたちがやすむなんてゆるさないぞ。
やすんだら、それまでだ。
せかいがおわってしまうのだ。
せかいがおわるまでは、このバスケコートからはなれることはゆるされない。
なぜ、女子バスケをやるんだ。
なぜ、はしるんだ。
こんなことをやって、有名になれるわけじゃない。
金にもならない。
女子バスケなんて金にはならない。
オリンピックの頂きに立ったって、答えなんかない。
金も、男も、落ちていないよ。
なら、なぜ、おまえはあそこへゆこうとするのだと。
さあな。
でも、おまえらだって、それをしっててやってるんだろう。
すきでやってるんだろう。
そうさ、おまえらはすきでやってるんだ。
だから、ようしゃなんてしないぞ。
ちにくをわきたせ、はらから、こえだせ。
「アーーー!」
「サーーー!」
叫び声。
狂ったような、それを発する人間の正気を疑う絶叫であった。
女子バスケ部のシャウトである。
全国最強クラスの女子バスケ部、全身全霊のシャウトが響いている。
僕は女子バスケ部顧問の許可を得て、彼女たちの練習試合を見守っているのだ。
1ゲーム、10分のクォーターを4つ重ねる40分の試合であった。
その間に、女子バスケ部の主将であらせられる、りせ先輩が口にした言葉は何故か夢枕獏先生文体であった。
文字通り、何故か平仮名と、小学生でも読み書きできる漢字だけで聞こえるのだ。
野獣のような叫びが、罵倒が、女子バスケ部の部員に浴びせられている。
それに対する部員の回答は、シャウトのみである。
自衛隊のレンジャー部隊は教育課程の期間中において、レンジャー以外の返事が許されていないように。
いや、事実。
彼女たちは口答えなどが許される立場にないと受け止めているのだ。
「アーーー!」
「サーーー!」
そのシャウトを聞くと、背筋がビリビリとする。
正直言うと、谷垣に「貴様の心臓はどれだけ大きいんだ」と言われるぐらいに度胸のある僕でさえ、ちょっとビビってるぐらいのシャウトである。
体育会系による腹からの絶叫が怖いのではない。
純粋に、あの野獣のような人たちが怖いのだ。
女子バスケ部の怒りと憎しみと愛情が綯い交ぜになったようなシャウトが怖いのだ。
りせ先輩に対して、彼女たちは何もかもを綯い交ぜにしている。
隙あらば、その主将の地位を奪ってやるといった表情。
隙あらば、ぶちのめしてコートに転がして嘲笑ってやるといった表情。
隙あらば、繰り返すが隙あらば一度でいいからナイフで刺してやりたいという表情。
多分、彼女に刺されたら僕はナイフを奪い取るどころか、抵抗すらできない。
そんな憎愛が入り混じっている。
顧問の先生はそれら全てを見守ってニコニコとしていた。
監督としては、この状況を是としているのだ。
りせ先輩は以下のような言葉を叫んでいる。
この女子バスケ部のコートから出ることは許さないのだ。
死ぬときは死ぬんだ!
笑いながら死ぬんだよ!
だったら、死ぬまで一生懸命やるんだよ!
そのような叱咤激励が体育館に鳴り響いているのだ。
僕はその様子を遠巻きに見ながら、眉を顰めて、ひとつの感想を抱いた。
「きみらは旧日本軍か? 精神論で何もかも解決できると誤解している類の生き物か?」
それくらい酷い有様であるのだ。
現代スポーツ学はどうなっているのだろうか。
毎日練習試合をやっているのはアウトプットとして良いとして、まあ練習は練習でやらねば。
それに、補食も大事だよと。
試合が完全に終了して、りせ先輩や女バス部員の表情が尋常でない獣から人間のものへと戻ったあと。
僕は二階から一階へと階段を降りて、顧問の先生にペコリと挨拶だけを済ませて。
りせ先輩に挨拶をするべく近寄っていった。
お土産を渡すだけ渡して帰ろう。
「男だ」
「男だぞ」
ざわついた。
何故、ざわつく。
男なら男子バスケ部員だっているだろうに。
僕は、別なコートで練習を続けている男子バスケ部部員を見た。
怯えている。
彼らは、女子バスケ部員の壮絶なシャウトに怯えていた。
近寄りたくないとばかりに、小さなサークルを作って「ディーフェンス! ディーフェンス!」と叫んでいる。
駄目だ、あまりにも迫力がない。
アレでは女子バスケ部員には男として看做してもらえないだろう。
僕よりも背が高いのになあ。
どうにかならんものかなあと思いつつ、女子バスケ部員に近寄った。
「すいません、りせ先輩に言われて応援に来ました。お土産に・・・・・・」
「男だぞ! おい!! 色気ねえ女子バスケ部に男がわざわざ乗り込んで来やがった!」
「スラム街へようこそ! お坊ちゃま!!」
僕の挨拶にかぶせるように、女子バスケ部員の声が浴びせられる。
スラム街だったんだ、ここ。
女子バスケ部だとばかり思っていた。
そうこうしている間に、彼女たちはお互いに手を繋いで、僕を包囲し出す。
「囲め! 囲め!」
「お触り禁止だぞ! 主将命令だからな!」
あ、お触り禁止なんだ。
というか、主将命令で禁止されているって何やらかしたんだか。
僕は疑問に思いながら、ぶら下げているビニール袋から中身を取り出す。
カステラである。
我が高校の売店で何故か大量に格安で売られている、何の変哲もないカステラでとても美味しい。
ちょっと来るまでに様子見で食べたが、これは良いものだ。
りせ先輩にもお届けしたい。
「コイツ何持ってた! 何か食べ物もってるのか!!」
「あったよ! 行動食(カステラ)が!!」
登山家でもないと『行動食』なんて言葉自体を普通は知らんだろうに。
僕は夢枕獏先生の「神々の山嶺」でそれを知ったが、このバスケ部連中はどこで知ったのか。
「ちょうど動きすぎでハンガーノックが起きそうなところだった」
「偉いぞ少年。バスケ部好感度ポイントが+1されたぞ。それをよこせ!」
雪中登山でもしてるのだろうか、この方々は。
ちゃんと補食しろよ。
いや、女子バスケ部だよな。
そうだよな。
念のために確認する。
確かにここは女子バスケ部である。
体育館のバスケコートの中であり、あまりウチでは強豪ではない男子バスケ部は「なんだろう、あの少年」と遠巻きに僕を見守っている。
哀れみの目であった。
見守ってないで、こっちこいや。
そう睨み付けるが、さっと視線をそらして約10名ほどが逃げていった。
そのままジョギングに行くような風情でさえある。
いや、助けろや。
バスケコートで練習しろ貴様ら。
逃げるんじゃあない。
「もっと何か持ってないのか!」
「ジャンプさせろ! 小銭を持っているかも知らん」
なんで僕は、わざわざ応援に来てやった女子バスケ部にカツアゲを受けているのだろう。
ばし、と僕の襟首を掴む手をはたき、ハッキリ言ってやる。
「主将はどこだ!!」
何か言ってやらんと気が済まん。
僕は怒鳴りつける。
「ここだぞ、小僧! すまん、後輩に説教してて遅れた!!」
りせ先輩が、堂々とこちらにドスドスと走ってきた。
うん、明らかに僕よりも体重が重たいからな、りせ先輩。
そりゃ足音も鳴るわ。
りこ先輩と同じく、世紀末覇者のような雰囲気を漂わせてこちらに向かってきた。
「主将! この者、カステラを献上してきましたが!!」
僕のカステラは差し出す間もなく奪われている。
しかもすでに何人か食べ始めている。
いや、せめて贈答の口上ぐらい言わせろや。
色々と決まり文句を考えてきたのになあ、と眉を顰める。
食べて貰うこと自体に文句はないのだが。
「うむ、大義である。この男、昼にはプロテインを奢ってくれたぞ」
「主将にプロテインを? カツアゲしてるんですか」
一応、カツアゲではなく僕が自発的に奢っているのではある。
脅されているのではなく、乞われたから奢っているのだ。
そこを勘違いされては困るのだが。
「違うぞ、誤解だ。私が乞うて、彼に奢って貰っているのだ」
あ、言いたいことをハッキリと言ってくれた。
そこのところは好感が持てるのだけどな、りせ先輩。
「おまえらも礼を言え。今後もカステラを奢ってくれる相手だぞ」
いや、僕はそう何度も応援に来るつもりはないのだけれど。
そう言いたいが、ふへほへ、ほへんと言いながら頭を下げてくる女子バスケ部。
カステラを口に含んだまま、頭を下げるなよ。
ちゃんと噛んで食べなさいと言いたくなる。
「・・・・・・今回限りでいいですか?」
僕はりせ先輩に聞いた。
彼女は答えた。
「週一ぐらいで来てくれ」
ええ、いやだよ。
僕はハッキリそう言いそうになって。
じーと、何故か僕を見つめるバスケ部女子の視線を受けて。
はあ、とため息をついた。
「・・・・・・一試合だけ見て、カステラ差し入れたらさっさと帰りますからね」
「それでよい! あっぱれ!!」
何があっぱれなのか。
それはわからないが、何処かりこ先輩の様子とも違う。
部活に熱心に打ち込んで、女子バスケ部なんてプロの世界でも金にはあまりならない世界に挑んでいる。
りせ先輩に対して、僕は少し考えた。
そうして、考えを口にした。
「僕はエサですか?」
「まあ、エサである。男子からの視線と応援、それに差し入れがあると、我が部員のやる気も違うであろう?」
りせ先輩は自慢げに腕組みをして、頷いた。
まあ、わかっていたけどさ。
この人、なんか、りこ先輩とは二卵双生児なのに、また違う生き方をしているな。
うん。
そう頷いて、僕は口を閉じ、諦めたように小さくため息を吐いた。
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