第九話 「大和と焼きそばパン」

 焼きそばパン、我が命の光、我が胃にともる炎。

 我が罪(カロリー)、我が魂。

 焼きそば・パン。

 舌の先が口蓋を四歩連ねて、五歩めに破裂音。 

 両唇の間、舌先と上の歯茎の間、奥舌と軟口蓋との間を閉じて呼気をとめた状態から勢いよく叫ぶ。

 焼きそば・パン。

 朝に食べるものは厚切りシュガートースト。

 ただのカロリー爆弾。

 二時限目休憩中に食べるものはコロッケパン。

 ただの惣菜パン。

 しかし、昼休みに食べるものは焼きそばパン。

 コッペパンに焼きそばを挟んだ調理パン。

 炭水化物×炭水化物=破壊力。

 高校の購買部人気アンケートでナンバーワン。

 青春(アオハル)の味、焼きそばパン。

 そのように決めているのです。

 買えない日はちょっとガックリきます。

 そう大和葵さんは口にした。 

 売店前の自販機でコロッケパンを買いながらに、僕の隣でそう嘯いたのだ。

 僕は悩んだ。

 何故谷垣にじゃんけんで負けて、ただパンを買いに来ただけの僕にそのようなことを口にしたのか。

 そんなこと、今言わなくてもいいんじゃないのか。

 なんとなく聞き覚えがある台詞の綴りだが、何のパロディか。

 悩んで、悩んで。

 そして、ようやく気がついた。


「ウラジーミル・ナボコフ『ロリータ』冒頭のパロディかと予想しますが?」

「正解です」


 さては馬鹿だな、この人。

 僕はそのように考えた。

 疑いの余地はない。


「急に何ですか?」


 正直言って、そのようなことを急に口にされると正気を疑うのだ。

 谷垣がいなくてよかった。

 彼がいたら、狂人を避けるような目つきで大和さんを眺めるだろう。

 実際、地獄姉妹や橘部長や大和さんと言った四人には関わりたくないと平素から口にしている。 

 彼の性癖に、高身長女性は存在しないかのようにだ。

 そんなことを考えている間に、大和さんが返答をした。


「ほら、橘部長から課題を出されたじゃないですか」

「・・・・・・ああ、そろそろプロットを書けと仰っていたけれど。何か良い物語の導入を考えつければ、主題にも成り得ると」

「はい、名作を手本にするのが良いと仰っていました。名作は導入から名作であると。ジャブでもストレートでも良い、何か作品舞台に引きずり込むパンチ一発が重要であると」


 けだし名言である。

 実際、橘部長のブロマンス小説は冒頭から名文であった。

 びゅ、びゅ、と風切り音があがるパンチを大和さんは放っている。

 言葉だけでなく、実際のジェスチャーで。

 風切りの効果音も実際に口にしていた。

 それはそれとして。


「何故、物語の導入が焼きそばパンについて? 他にもあるのでは?」

「私が大好きだからです」


 さらっと言ったな。

 さては馬鹿だな、この人。 

 もう一度、そのように考えてしまったが。

 他人様をそのような目で見てはいかんと内省する。

 話をよくよく聞いてみよう。


「ついでに言えば、こういうのライトノベルの学校青春舞台における冒頭文としては良くありませんか?」


 大和さんは真剣に考えた上で、この冒頭パロディが書く小説に相応しいと考えたのだ。

 自分の「大好き」を肯定した上で前にお出ししているのは作家として相応しい行為だ。

 焼きそばパンは、確かに青春の味がするのかもしれない。

 ハッキリ言われてみれば、そのようにも思える。

 これは僕が不見識であった。


「いいと思うよ」


 だから顎を頷かせて、大賛成する。

 まあ、僕も素人だが悪くはないと思う。

 名作冒頭の原型は欠片もなく破壊されているが、それは構わなかった。


「僕は続きを読んでみたいと思った」


 お世辞ではなく、本心からそう述べる。

 少なくとも即行で読むのを中断する冒頭ではない。

 続きは期待できるだろう。


「良かった。一瞬、呆れた顔をされたので、また私何か失敗したのかと思いました」

「・・・・・・不見識でした。申し訳ない」


 素直に謝罪する。

 何の説明も為しに、いきなり冒頭会話でぶっぱなされたから混乱したのだ。

 小説についての会話だという前提が、少しもなかったのだ。


「いえいえ、よくよく考えてみれば、何の話か説明していませんでしたね」


 いや、よく考えれば、僕と大和さんの共通話題など小説についてしかない。

 平素のクラスではあまり親しくもしていないのだ。

 放課後に一緒に連れたって文芸部に出向き、橘部長から指導を受け、小説について学ぶ。

 そんな日々だけを送っている。

 彼女が僕に小説について相談するのは不自然ではないだろう。

 脳裏に描く数多の中で、会話を取捨選択する。

 このまま小説について話を続けるのが一番良いだろう。


「・・・・・・大和さんが書きたいのってライトノベルなんですか?」

「はい。中学生の青春恋愛なんか書いてみたいかなーと思っています。ライトノベルもそうですが、児童書も範疇かも知れません」


 ほう、中学生。

 大和さんなんか高身長で美人なのだから、さぞかしモテただろう。

 グラビア体型だしな。

 その恋愛経験から何か思い浮かんだのかと思うが。


「まあ、私は中一の入学時点で初日に陸上部に勧誘されて、そこからずっと部活漬けだったんですけどね。灰色の中学時代でした。恋愛も何もありませんでした」

「そうですか」


 つまり鬱屈からくる願望小説か。

 それも悪くない。

 本音を言えば、どっちかというとその方が僕は好きだ。

 共感が沸くからね。

 僕は生暖かい視線で彼女を見た。


「何も無かったんです。本当に何も無かったんです。同級生がキスしている間に、私は三年間ずっとひたすら走ってばっかりでしたよ。口はキスどころか、プロテインの味しかしませんでした」


 じゅー、と音がする。

 いつの間にか大和さんは紙パックの牛乳を買っていて、それを飲み干す音がした。

 そんなに何も無かったと強調しなくてもよかろう。

 僕だって何もない。

 中学校時代に、大した事件があった記憶はない。

 

「まあ昔と違って、今のプロテインって無茶苦茶美味しいんですけどね。殆どジュースですよ」


 話が脱線している。

 大和さんは割と空気が読めない人だ。

 というより、会話が途中で空中分解する傾向がある。


「なんであんなに美味しいんでしょうか、プロテイン・・・・・・。お父さんは昔はすっごくまずくて人間の飲み物じゃなかったって言ってました。お爺さんなんか、昭和に給食で出た脱脂粉乳の味だったのにな。今の子は恵まれているって仰ってました」


 知らないよ。

 いや、本当に知らないよ。

 プロテインの進化過程でどんな発展があったのか、僕に知識があるわけもない。

 人工甘味料の発見が関係しているのでは? と予想できるが。

 それはお父さんかお爺さんに返事をしてもらってくれ。


「波動拳風味とかあるんですよ。昔飲んでいました。もう終売で売ってませんけど」

「何味だったの、それ」


 大和さん、話は横に飛ぶけど妙に気になることを口にする癖がある。

 僕なんかよりも文芸に向いているのかもしれない。

 そんな会話を楽しんでいるが。


「100円ください」


 妖怪100円くださいが現れた。

 本日はりせ先輩である。

 高機能プロテインサーバーの前に陣取って、100円入れて下さい、はやく、間に合わないよ、小僧の行動ひとつで世界が終わっちゃうよ、とそのような世迷い事を口にしている。

 何が間に合わないのだろうか。

 ああ、休憩時間が終わるのか。

 りせ先輩は小僧の行動が止まれば世界が終わってしまうと思って、速やかに行動しろと口走っている。

 僕はしょうもないと思いながらも財布から100円を取り出し、自販機にぶち込む。

 

「有り難う、小僧。今日はバスケ部の応援に来てくれ。カステラを土産に買ってきてくれると部員からの評価が上がるぞ」

「菓子は駄目じゃなかったんですか?」

「カステラは完全栄養食だから大丈夫だぞ。知識を訂正しておく」

 

 そうなのか。

 よく知らないが、まあ言うからには売店で買って行こう。

 僕は素直に頷いて、りせ先輩から離れる。


「それで、プロテインの話でしたっけ・・・・・・」


 僕は大和さんのところに戻る。

 その時、大和さんの瞳の色が何処か良くないものにとりつかれているように思えた。

 何故か、りせ先輩を睨んでいたのだ。

 その視線の意味がよく理解できない。

 今、睨むようなことを、りせ先輩はしたか?

 ちょっと話している最中に離れただけだぞ。


「大和さん?」

「あ。は、はい。ちょっと面白くなかったので」


 むー、と口をへの字にして大和さんが素直に感情を口走る。

 いや、別にそれほど怒ることじゃなかっただろうに。

 でっかいハムスターみたいな雰囲気で、少しだけ怒った様子を見せながら。


「私と話してるときは、私だけを見つめてくださいね」


 なんとなく、重たいことを口にした。

 まあ、今のは僕が悪かった。

 会話の最中に「失礼」と言葉を挟んでから、一度離れるべきであったのだ。

 僕が悪い。

 確かにマナーに欠けていた。


「そうするよ」


 素直に首肯して、答える。

 その言葉に満足したように頷いて、でっかいハムスターのように大和さんは笑った。

 その様子には、橘部長のような重みなど欠片もないように思えた。




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