第十一話 「夜歩く、君と」


 『夜歩く』、君と。

 横溝正史の小説だったろうか。

 半世紀前の長編推理小説『金田一耕助』シリーズのタイトルを思い出しながら、私はふわふわと奇妙な魅力に取り憑かれていた。

 少年という15歳の魅力に取り憑かれているのだ。

 二人して、商店街から少し離れた脇道を歩いている。

 別に商店街を堂々と練り歩けばよいではないか?

 帰路まではそのほうが近いであろう?

 仰る通りだが、なんだ。

 あまり表を出歩きたくないのだ。

 というのも、商店街の道はウチの学生も使っているものだから、なんだ。

 たまに私が振った元文芸部の男子と道をすれ違うことがある。

 そんなときも、別に粘着質にストーカーのように付き纏われるのではない。

 お互いに顔を逸らす。

 単純に気まずいのだ。

 であるから、私は商店街から少し離れた脇道を歩くことを望んだ。

 この道は誰も歩かない。

 闇の底を照らす街灯がまるでなくて、代わりに商店街から漏れ出る光があり。

 その光が天井に感じられて、まるで海の底にいるみたいだった。

 露悪的で陰湿な、ジメジメとした湿気を地面から感じる。

 そんな道を夜歩く。

 君と共に。


「やはり商店街の中を堂々と歩くべきでは?」


 君が言う。

 治安を懸念しているのだろうが、理由はすでに説明したとおりだ。

 気まずい思いをするぐらいならば、暗がりを歩いた方がマシだし。

 なんだ、商店街の脇道など、そう治安の悪いものではない。


「・・・・・・駄目だ、顔合わせすると今は気まずい。それにだ、堂々と君を連れて歩くと、彼らに変な誤解を招く恐れがある」

「橘先輩が振った男どもが、過剰反応をすると?」

「君が絡まれたりでもすると、よくないだろう?」


 少年と夜を歩く。

 今日も今日とて、文芸部に入ってくれた男子部員である少年と、夜を歩いている。

 指導に熱が入ってしまい、夜の8時を過ぎてしまった。

 両親は夕食を用意して待っているであろうか。

 父は残業で夜が遅いため、おそらくは定時帰りである母が待ってくれているだろう。

 ふと、少年を家に招こうか迷うときがある。

 両親は歓迎してくれるだろうか。

 多分してくれるであろう。

 事前に連絡さえしていれば、夕食だって共にしてくれるであろう。

 高校二年で男の影も見えない方が、気にするタイプの親だ。

 いや、駄目だな。

 まだ早い。

 少年が入部してくれてから、まだ一ヶ月も経過していない。

 親密な関係になるのはまだ早かった。

 私の両親側ではなく、私ではなく、少年が気にするであろう。


「何も気にすることはないと思いますが。冷静に諭して追い返すだけです。君らのせいでこんなことになっているのだと」


 少年が言う。

 内心の当意を得ているようで、実は得ていない会話。

 彼は純粋に私の身の安全にしか気を配っていないのだろう。

 この「少年」という呼び方は、彼にはしていない。

 我が心中のみで呼ぶ名前だった。

 はて、少年という呼び方が正しいのか、ふと気になった。

 高校一年の彼はまだ誕生日に辿り着いてはおらず、15歳である。

 だが、身長が168cmに辿り着いているのだから、決して背が低いわけでもない。

 身長183cmの大女である私と比べると、どうしても低いが。

 ああ、そうだなあ。

 ちと悩んだが、きっと背の高低が問題ではないのだろう。

 青年期と少年期の差異は身長の高低にあるべきではないのだ。

 目だ。

 銀色の目だ。

 少年の瞳の色は、典型的日本人の茶色の瞳である。

 美形の条件と言われるアーモンドアイであった。

 だが、夜歩いていると、時々彼の目は銀色に光ることがある。

 我ら日本人の目の色(虹彩)が、銀に見えることなどあり得ないのだが。

 何故か、私には夜歩く彼の瞳が銀色に見えた。

 理由はわからない。


「まあ、危険ならば君が守ってくれ」


 わからないが、私はそれが少年の瞳に思えた。

 青年のものではないのだ。

 私にはそれが好ましかった。

 アレだ、純情なんだろうな。

 性的な意味で純潔を切っていないとか、そういう意味ではない。

 真実そのままの意味で、純情であるのだ。

 純真で邪心のない心。

 その心をもっているさま。

 そのままの意味で彼はまさしく純情であった。


「そのために一緒に帰ってくれてるんだろう」


 私はこのような男に生まれて初めて出会った。

 色々な男を見たことがある。

 それは多分生まれて初めてすぐに、涙を流しながら私を優しく抱きしめてくれた父であったし。

 一つ分背の高い文学少女であった私を馬鹿にして、おちょくってくる小学校の男子であった。

 それ以外は――記憶に乏しいな。

 あれだな。

 色々な男はいたけれど、私が特に意識したのは、その二つだけだったのだろう。

 父は単純な父性愛を私に投げかけてくるものだと理解している。

 小学生の頃の男子は、思えば私に対して多少の好意があったのだろうと考察する。

 好きな女子にちょっかいをかける、あれだ。

 思えば、あの頃の男子の顔はちょっと赤かった。

 それに気づいたのは高校生になってからであった。

 なんというか、その。

 もっと早く気づけよと言われそうであるが、認識したのは全てを間違えた後であった。

 私が『サークルクラッシャー橘』の汚名を背負ったときであるのだ。

 中学生時代は文芸部に所属していたが、男子との接触自体がほぼなかった。

 文学で純粋培養じみた私である。

 私には気づけなかったのだ。


「私は君と夜道が歩けて嬉しいよ。二人連れとは楽しいものだね」


 彼らが私に好意があるなどとは、まるで気づかなかったのだ。

 それこそ暴力事件を起こすほどに好意を籠めているなど気づかなかった。

 その不理解に対する結果は、惨憺たる有り様であったが。

 信じられない?

 その話は、すでにりこりせ地獄姉妹が弁護してくれた。

 気づかなかったんだよ。

 私は肉付きに乏しい。

 それこそグラビアアイドルのような、我が文芸部の後輩となった大和葵や。

 スポーツウーマンであり、隠れ巨乳である地獄姉妹のような生き物ではない。

 痩身である。

 自分は悪くない見た目だと思うし、醜女ではないという自信がある。

 だが。


「喜んでないで、周囲に気を配ってくださいよ。先輩は貴女が思っているより美人ですからね」


 人にこうして褒められたなどは少ない。

 暴力事件があって、初めて自分が人目を引く容姿だと知った。

 次に、君に褒められて自分に自信を持った。

 高校の友人など一人もいない、ぼっちである私が美人であると認識した。

 だから、気をつけないといけないんだろうが。


「暗がりと言えど、僅か10分の道のりだよ。何もないさ。まして君がいる」


 僅か10分である。

 自宅のマンションから、学校まで徒歩10分。

 その道程を毎日のように、君と歩いている。

 まだ深い関係ではない少年とともに。

 だが、何を隠そうか。

 何も考えず、ただ一人の不遇な女性を送り迎えしているだけと考えている少年に対して。

 私はと言えば、すっかりこの少年に魅了されているのだ。

 そこを隠そうとしても、自分にだけは隠し通せるものでは無かった。

 物憂さと甘さがつきまとって離れない、この見知らぬ感情を何に例えよう。

 そんな表現がどこかの小説にあった気がするが、どの作品か思い出せない。

 私は少年を知った。

 だが、この不思議な感情に理屈をつけられないでいるのだ。

 甘い躊躇いを持っている。


「はあ、ですが、僕はそもそも先輩の安全を守るために送り迎えをしているわけでありまして。僕がいますから、誰か元文芸部の連中に出くわしても、顔を逸らさずに堂々と歩いたらいいんですよ。何を恥じ入る必要もありません」


 君が私の目を見る。

 夜の、銀色の瞳であった。

 そうして、私と夜歩いている理由を口にした。

 嗚呼。

 たまらない。

 私は厭世的な笑みを浮かべ、囁くように口にした。


「そうか、そうか、つまりきみはそんなやつなんだな、と。一度口にしたが、再度口にしておこう。君、注意しておくが、そのように何の欲得もなしに優しさを不用意にふりまくものではない。人は皆、勘違いをする」

「はあ」


 勘違いをしてはいけない。

 彼は、私のことを美人だと思ってくれているし、その容姿を褒め称えてくれてもいる。

 一応という理由は付くが、女性だと認識してくれてはいる。

 だからチャンスはあるのだろう。

 機会はあるのだろうと思う。

 だけど、焦ってはいけないのだ。

 繰り返すが、勘違いをしてはいけない。

 今の私は、彼にとっては僅かに憐憫さえ感じられる環境にある人間で。

 暴力事件の被害者と看做して良い環境の人間であり。

 ぼっちな私に対して、多分に哀れみを含んでいるからこそ、送り迎えをしてくれているのであって。

 私に対して、女性的な魅力を感じて、下心を含めての行動ではないのだ。

 そこに、私は妙な女心を刺激されているのだが――。


「・・・・・・そうだな、商店街の表に出るというならば、何か買い食いするか。奢ってやるぞ。君も先輩は後輩に奢らせるだけの存在という、変な価値観を抱くのも不味かろう」

「りこりせ姉妹のことですか? 別に小遣い銭には困ってないのですが」


 あの地獄姉妹の名を出す。

 彼女らには借りがある。

 文芸部を潰さずに済んだ借りだ。

 だが、そこのところと少年の存在を左右するかどうかは別だった。

 連中にはくれてやらん。

 

「私も金には困っていない。鯛焼きでも食べようじゃないか。カスタードなんてどうだ?」


 夕食前だが。

 私はこの大女の姿形の分、腹にはカスタードの詰まった魚一匹分の余裕があるのだ。

 少年もよくお腹が空いて、休み時間に買い食いをしていると口にしている。

 たまにはよかろう。

 用心棒代だ。

 そのような言い訳を口にして、買い食いの理由を作る。


「・・・・・・まあ、商店街の表道を歩くというならいいですが」


 あくまで少年は、私の身が心配だという体で応じた。

 それでよい。

 今は、少年に私の気持ちを悟られてはいけない。

 なにせ、私の側ですらも僅かな躊躇いがある状況なのだ。

 少しずつ、少しずつお互いを知っていければ良いと思う。

 だが、だが。

 迫り立ててくる感情があることも事実である。

 この少年は、りこりせ姉妹に狙われているのだ。

 あれは本気だと感じているし、その理由もわかる。

 眼前の少年は、どこか奇妙な魅力に溢れていた。

 思考を繰り返そう。

 物憂さと甘さがつきまとって離れない、この見知らぬ感情を何に例えよう。

 愛という重々しい、りっぱな名をつけようか、私は迷っている。

 どの作品にあった表現か、いまだに私には思い出せない。

 タイトルがあるとすれば――きっと「初恋」だろう。

 この感情はあまりにも自分のことだけにかまけ、利己主義的な感情であり、私はそれを全くほとんど恥じている。

 嗚呼、そうか。

 私はこのように重たい女であったのだ、と。

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