第十二話 「夢見る乙女」


 夢を見る。

 脱水症状で身体的な負担がかかった時に生じる「意識の混乱」に近い夢だ。

 スポーツで極限状態に陥った際に何度も経験がある、一種のせん妄状態のような夢を見る。

 小僧の出てくる夢だ。

 混濁した意識の中で、なんとか目覚まし時計を見た。

 まだ朝の四時であり、寮の起床まで一時間の余裕がある。

 私自身も、時間こそ確認できたが目覚めているわけではない。

 薄目をあけて、意識を取り戻そうとしても完全に目覚めることは出来ない。

 その薄目もぷっつりと糸が切れたように、閉じた。

 身体が部活で疲れ切っているのだ。

 睡眠を明確に求めている。

 だから、浅い夢を見る。

 意識がぼやっとした、まるで悪夢のような。

 いや、私は嫌悪を抱いているわけではないから、悪夢ではないのか。


「・・・・・・」


 あれだ、酷い夢だ。

 小僧に酷いことをする夢だ。

 その、卑猥な、なんというか。

 あのとき、小僧にはとても言えなかったが、あのちっぽけな小僧を押し倒す夢を見る。

 馬乗りでのし掛かり、殴りつけ、暴力的に支配するのだ。

 性的異常行為を、興奮を、とても卑猥なことを夢で口にしている。

 性的幻覚を見ることや、異性の身体を触るなどの行動は、認知症中期のせん妄状態でよくあるそうな。

 「自分はもっと愛されたい」という行動原理から発生するものらしい。

 自分が愛されたいと考えている?

 異常な夢を見る理由を調べて、私は自分をそう分析したが。

 まさかな、と考えて。

 そのまさかだ、とも認識している。


「・・・・・・」


 先日の自分の行為を思い出す。

 座っている小僧の肩を揉み、頭に胸を押しつけた。

 破廉恥な行為だ。

 とても恥ずかしくて、緊張をした。

 だがやりたくてやった。

 誰にでもこんな真似をしているのではないと口にしたし、事実したこともない。

 私にとって男性とは嫌悪の対象であった。

 子供の頃からだ。

 子供の頃から、男が嫌いであった。

 父親などは、私やりせが産まれる前に死んでしまったため父性愛など知らん。

 思春期にある父への反抗期を覚える機会さえ与えられなかった。

 代わりに生じたのが、周囲の男性への反発と嫌悪であった。

 子供の頃から、発育が良かった。

 どうしても周囲の女性よりも頭一つ分背が高く、小学生高学年の時には高校生と勘違いされたこともある。

 その頃から、大人の男性からすら性的な目で見られることが多々あった。

 りせなどは割とあっさりとした性格のためか「男ってそういうものでしょう。幻想なんて抱いちゃ駄目だよ姉さん」などと口にして、あまり気にしていなかったようだが。

 私などは明確に不快な視線であると感じたし、その視線に憎悪をした。

 激しく睨み付ける。

 悪心を抱いていた男性は私の剣幕に目を逸らして、逃げ散る。

 そういうものだ。

 小学生高学年からすでに私はそうやって生きてきたし、中学生でもそうだった。

 高校生一年の時もそうであったよ。

 どいつもこいつも臆病者で、自分の視線に羞恥心が僅かながらもあるのか、目を逸らす。

 小物風情が。

 逸らすくらいならば最初から、そういう目で見なければよいものを。

 侮蔑して切って捨てる。

 初めて視線をじっと合わせてきたのは、母やりせ以外には我が高校のバレー部の顧問であっただろう。

 男性であるが老人であり、若い頃にはバレー狂いであったらしく、今でもバレー狂いであった。

 その視線には女性的価値を検分する視線などは含まれておらず、ただバレー部員としての査閲のみがあった。

 お前はバレーが出来るのか?

 バレーを愛しているのか?

 バレーに忠誠を誓えるか?

 そういった視線である。

 私は黙ってにらみ返した記憶がある。

 顧問は何も気にした様子もなく、視線を逸らさなかった。

 無言の会話である。

 ああ、あれが初めてであったな。

 だが、それはどうでもいい。

 私は老人に懸想する異常性癖者ではないからだ。

 問題は次だ。

 小僧が出てきた。


「・・・・・・」


 出会ったのは、一年の教室であった。

 大和葵が発端である。

 あの身長190cmの大型新人をどうしてもスカウトして、我がバレー部の強化をしたかった。

 いや、女子バレー部の全国優勝なんてチャチな理由だけじゃない。 

 もう半世紀近くも日本が獲得できていないオリンピックの金メダルを目指しての勧誘だ。

 大きな才能の持ち主が、競技者に多ければ多いほど良かった。

 卑怯なやり口ではあるが、まず部員を差し向けて、最後に主将の私が出向いて反論しにくい状況を作って彼女を追い込む。

 そこまで考えて、いざ実行したところで、堂々と邪魔してくる男がいた。

 小僧だ。

 私とじっと目を見据えて、逸らさない下級生の短躯だ。

 結局、小僧は最初から最後まで一秒足りとて視線を外さなかった。

 

「・・・・・・」


 ああ、小僧は堂々としていた。

 私に張り手一つでもされたら吹き飛びそうな少年の容姿をしている癖に、視線をずっと合わせていた。

 アーモンドアイの茶色い瞳で、じっと私を見つめてきたのだ。

 あのとき、私は何を考えていたのだろうか?

 ただ邪魔をされて不快であった?

 いや、いっそ爽快でありさえした。

 私は不快感など、欠片も感じていなかった。

 大和が手に入らなかったのは残念だが、それは別としておくべきであった。

 そうだ、そうだよ。

 私はあの時、それだけの行為で小僧が気に入ったのだ。

 私への性的な視線はなく、大和への下心なども欠片もなかったのだと理解していた。

 だから、思わず聞いてしまったのだ。


「君はタッパとケツがデカイ女がタイプか?」


 と。

 あの時、返答はなかったな。

 はっきり「そうだ」と口にしてくれれば良いものを。

 少しくらい、私を性的な目で見てくれてもよいのにと。

 幻覚が。

 どろりと、脳みそが抑うつ気味な圧迫から解放されていくのを感じる。

 夢から醒める前兆である。


「・・・・・・」


 心臓の鼓動音が低量になり、呼吸が安定していくのを感じる。

 夢から覚め、意識が明瞭になってきた。

 唇から言葉が漏れる。


「小僧は平然と見つめ返してきたな」


 自分でも驚くほど、優しい声が出た。

 これは夢ではない。

 女性的な慈愛に満ちた声である。

 まさか、自分のような人間がこのような声を出せるとは思わなかった。

 起床の五時まで、若干の時間がある。

 体をごろりと動かして、ベッドの上で横たえる。

 

「思想および良心の自由とは、心の中で何を考え、何を思うかは、他人から一切干渉されない自由と聞いた覚えがあります。夢も同じではないかと」


 脳裏に小僧の言葉が浮かんだ。

 そうだ、自由だ。

 私が何を考え、何の夢を見ようと自由だ。

 本来は一切干渉される覚えはない。

 だが、私は暴力的なまでに支配的な夢を、支配してまで愛情を求めることを、罪に思えた。

 だから、小僧に聞いたのだ。

 嫌ではないかと。

 小僧は言葉を一度濁そうとしたが、それは許さず、はっきりと答えさせた。

 嫌じゃない、光栄だと思っていると。

 光栄?

 私がどんな夢を見ているのかも知らない癖に、よく言えたものだと笑いそうになる。

 馬乗りになって、私の好意を拒否して抵抗するから殴っている。

 服を剥ぎ、卑猥な言葉を口にし、お前を襲っている。 

 そんな夢であることを知らんから、適当なことをほざけるのだ。

 だが、そんなこと小僧に言えたもんじゃない。


「・・・・・・」


 目を閉じる。

 起床時間まではベッドから出てはならないのが寮のルールであった。

 はて、小僧は押し倒したら、本当に嫌がるのだろうか。

 あれでも男だろう。

 私は確かに大女だが、発育の良さに関しては多少の自信があるのだ。

 グラビアアイドルのような大和には負けるが。

 高身長の女が嫌というわけではないだろう。

 それならば、ただのクラスメイトに過ぎない大和をあそこまで擁護しなかったはずだ。

 性癖――というには遠いかもしれないが。

 少なくとも、駄目ということはないだろう。

 そんな期待をするが、それも虚しい。

 あの小僧に下心を期待しても無駄だ。

 色々なことを考える。

 自分の弱さについて考える。

 どこか、弱い部分が私の中にも存在し、愛されたいと考えている。

 夢ではどこまでも暴力的になれる癖に、現実となると弱気なものだ。

 だから、小僧の夢を見てもいいかなんて発言が飛び出した。

 小僧から、私の事が嫌いだなんて言葉、現実では間違っても聞きたくはなかったのに。

 

「・・・・・・」


 そろそろ起床のベルが鳴る。

 鳴れば、身支度を調えて、朝食を済ませて、バレー部の服装に着替えて。

 すぐに朝練が始まるのだ。

 余計なことを考える暇はなくなるし、逆に考えなくてもよくなる。

 それは一種の救いでもあった。

 私は今日も小僧の夢を見た。

 きっと明日も夢を見るだろう。

 そんなことを考えて、これは見てもいい夢なのだと、すでに許可も取った夢なのだと考えて。

 私は自分の弱さを、自分に許した。

 そして、それだけだ。

 今、現実には、そんなことを考えている余裕があるか?


「恋をしている暇などないのだ、小僧。お前とはきっと、夢の中での関係だけで終わるだろう。お前は別な誰かにくれてやるさ」


 私は唾棄すべきものとして、愛情を吐き捨てた。 

 きっと、私なんか小僧にはふさわしくないのだと。

 朝練バレー部のモードにスイッチを切り替え、私は主将として為すべき立場に戻った。

 それで何もかもいいはずだと、無理矢理に自分を納得させて。

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