第十七話 「空回りオーケストラ」
部屋に入って開口一番、りこ先輩は何やら確認を始めた。
カラオケに来るのは初めてのようで、周囲を見渡しながら――興味深げにぺたぺたと壁などを触って、最後に天井を見た。
景観を乱さぬよう、美術館施設などによくありがちなドーム型のカメラなどはない。
「監視カメラは無いようだな」
「そんな予算掛けてるカラオケ店なんて少ないですよ」
まあカラオケ機材の窃盗などに注意しなければならない、治安の悪いところではあるかもしれないが。
治安の良い学生街のカラオケ店に、そのような物に予算を掛ける理由はない。
「そうか、監視カメラが無いのならば良いのだ」
「人に見られるのは苦手ですか?」
りこ先輩らしくもない。
ここ一ヶ月ほどの付き合いだが、彼女の性格は理解しているつもりだ。
そのような些細なことを気にする性質ではあるまい。
「いや? まあスポーツは見られること前提の競技だから良いが、プライベートな所までは人に見られたくもあるまい? 私は露出狂でも変質者でも無いのでな。そこのところを理解してくれ」
そういうものか。
まあ、ともあれ監視カメラなどは無いから気にしなくてもよいのだ。
そう告げて、終える。
さて、デンモクを触ろうと思ったが。
その前に聞くべき言葉があった。
「はて、誰から歌います?」
りこりせ先輩は初めてのカラオケだと聞いた。
色々と気遣いをせねばならぬし、エスコートするように事前に言われているのだ。
緊張を和らげるために、まずは自分が少し『わざと外した』歌を歌っても良い。
逆に、初めてと言うことで、彼女たちにまず歌って貰っても良い。
「・・・・・・まあ、なんだ。まずは落ち着いてドリンクでも注文しようじゃないか」
「・・・・・・腹が減っては戦ができぬと言うしな。まず食事の注文をしよう」
りこりせ先輩が言う。
何やらアイコンタクトを交わしたようで、その意図はさっぱりわからぬが。
緊張しているのか? と素直に思った。
まあ、エスコートする立場であるのだから彼女たちの意思が最優先である。
「よろしいですか?」
スポンサーである橘部長に尋ねる。
「かまわんよ。今のうちに喉を潤しておくとよい。乾燥したままだと傷めるしな。よく濡らしておかないと」
橘部長もまた、何やらアイコンタクトを大和さんに送った。
大和さんはこくりと頷いて、拾い上げていたデンモクをテーブルに置いた。
どうやら勝手に歌おうとしていたらしい。
本当に空気読まないな、この人。
「パンケーキ。りせ、これバター付いてないよな」
「同じくパンケーキ。りこ姉、メープルシロップのみらしいよ。写真を見るに」
りこりせ先輩はすかさず注文を入れた。
ホットケーキはアスリートのおやつにぴったりだという知識が僕にもあった。
本当にスポーツウーマンなんだな、この人達。
いや、たまには甘い物が食べたいだけか?
そんな益体もないことを考える。
「・・・・・・私が子どもの頃と比べると、妙にカラオケに出てくる料理の質が上がったような? お父さんやお爺さんも同じ事を口にしていましたが」
「冷凍技術と調理工程技術の総合進化じゃ無いですか? セントラルキッチンになってからファミレスの料理の質だって上がりましたよ」
ふと、疑問に思ったような大和さんに適当な返事をしながら、僕も何か頼もうかと考える。
炒飯で良いだろう。
「とりあえず全員で食べられるものも注文しませんか、このページに載ってるもの全部とか」
奢りだからって、どんだけ食うんだ大和さん。
食事に来たんじゃ無いんだぞ。
ここはカラオケだ。
「・・・・・・好きにしてくれ」
橘部長が頭を痛そうに抑えている。
金銭面のダメージについて、いちいち気にする人格のようには思えない。
大和さんが言うこと聞かないのは計画と違う、とでも言いたげな顔をしているが。
・・・・・・何か事前に話でもしていたのだろうか?
気になるが、気にしても仕方ない。
僕も炒飯を頼む。
あとは大和さんが注文したものでも、適当に摘まむとしよう。
・・・・・・少しでも譲ってくれるタイプだろうか?
どうも独占欲が強いタイプのように思えるのだが。
フシャー、と鳴き声を上げる野良猫のように餌場を独占するタイプである。
「乾杯しよう、乾杯」
「色々とめでたい日なので、まあ乾杯ぐらいはしておくか」
りこりせ先輩が言う。
何がめでたいのだろうか。
初めてか。
初めてのカラオケの日か。
祝うほどでもない気がするが、りこりせ先輩も家庭環境から娯楽など少なかっただろうし、初カラオケとあっては祝ってもよいかもしれない。
「貴様らにとって、そうめでたい日になるとは思えないのだがね」
何故か妙に反発心を剥き出しにして、橘部長が言う。
そんなことを言わず祝ってあげて欲しい。
先輩だって、カラオケの最初の日ぐらいはちょっとはしゃいだであろう。
懐かしいな。
僕も、小学生の頃に親に連れてきて貰った時ははしゃいだものだ。
もう二度と機会の無い大切な思い出だ。
僕はカラオケに複雑な感情を抱いている。
それ自体が憎いというわけでは無い。
だが――止めておこう。
エスコートを約束した、りこりせ先輩には楽しんで貰わなければ。
すぐにドリンクが届けられて、ジョッキ姿のドリンクで全員が乾杯。
しばらくすると、セントラルキッチンで調理工程を踏んだ、ただ温められただけの料理がテーブルに並べられる。
大和さんが「いただきます!」と少し大きめの声で口にして、料理にぱくついている。
僕も炒飯を食べようと思うが。
「誰も歌わないんですか?」
疑問符を頭に浮かべる。
誰も歌おうとしないのだ。
りこりせ先輩はチラチラと視線を流し、僕と橘部長の間を行ったり来たりしているし。
橘部長はずっとりこ先輩を睨んでいる。
大和さんは何もかもをガン無視で、ただひたすら料理を楽しんでいる。
自由だなあ、大和さんは。
「あれ、どうかしたんですか?」
「どうしたもこうしたも、カラオケに来たんですよ?」
歌を歌いに来たんだよ。
りこりせ先輩も、橘部長も、お見合いをしに来たんじゃ無い。
何の緊迫感を持ってにらみ合いをしているんだ。
一番空気を読めていないのが大和さんだが、もう彼女については最初から諦めているから好きにして欲しい。
彼女のセトリ(選曲)は気になるが、歌いもせずに食事ばかりしている可能性も考えていた。
「・・・・・・小僧が歌えよ。何歌う?」
「『筋肉少女帯』です」
「知らない。いつのバンド?」
「この間、結成35周年だった記憶が」
昭和じゃねえか! と、りこ先輩はハッキリと切り捨てた。
まあ令和だと知らんだろうな。
平成後半だと、アニメの歌も結構歌っていたのだが。
ちょうど僕が5,6歳ぐらいの頃であろうか?
「父が好きだったバンドなんですよ。父はもう死にましたが」
その父も、今はもういないが。
昔連れて行ってもらったカラオケで、家族の空気を全く読まずに声を張り上げ歌っていたのを思い出す。
結局、父の好きだったバンドのファンを僕が受け継いだのは中学生の頃だったろうか?
父が残した遺品のCDの全てと、古ぼけたCDラジカセは、今でも捨てられないでいるのだ。
「おやおや、小僧は父無し子だったのかい。そりゃ苦労しただろう」
「私たちと同じだな」
全く不憫じみた様子も無く、りこりせ先輩が口にする。
いや、苦労した覚えは無い。
僕などよりも、産まれたときには死んでいた地獄姉妹の方がよほど苦労したであろう。
僕の父は小学生までは生きていて、沢山の思い出を残してくれた。
だから、寂しくは無い。
「逆に歌って欲しい曲はないのかね? 私は古い歌も知っているぞ」
橘部長が、ちょっと困った様子で眉を顰めて、僕に尋ねてくる。
彼女もセトリを用意してきただろうに、気を遣ってくれたのだろう。
「『倉橋ヨエコ』さんはどうでしょう」
「最近復帰していたな。私も好きだが――やはり、私たちの世代曲ではないな。筋肉少女帯が君のお父様の趣味なら、こちらはお母様の趣味か?」
橘部長は察しが良い。
「ええ。仰るとおり、母が好きだったアーティストなんですよ。カラオケの十八番でした。まあ、母も亡くなってしまいましたが――」
一瞬、空気が停止する。
お前、何を今口にした、という目でりこ先輩が僕を見る。
なんだろうか。
「すいません」
大和さんが、ひらひらと手を上げて、こちらに尋ねてくる。
どうしたのだろうか。
「あの、ご両親を亡くされているということですか?」
「はい、小学生の頃に両方とも」
家族でいつものカラオケの帰りに。
交通事故で、家族の乗っている軽自動車がトラックにぶつけられて、ペチャンコになってしまったのだ。
父も母も、そのまま事故死。
警察の方からは、母が身を挺して僕を庇ってくれたから助かったのだと教えてくれた。
そういうことを口にする。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
四者、黙り込む。
先ほどまでお互いがにらみ合っていたのも忘れて、りこりせ先輩と橘部長は目を丸くして僕を見つめている。
大和さんも、食事の手を止めていた。
「歌わないんですか?」
別に僕のことはどうでもいいんだよ。
誰か歌えよ。
今日はカラオケに来たんだよ。
話の取捨選択を間違えたか?
うんざりしながらも、仕方なく僕はデンモクを取ろうとして――大和さんに取り上げられた。
「ちょっと、お話しをしましょう?」
身長190cmの上背で取り上げられたら、僕にデンモクを取り返すことはできない。
なんだか変な空気になった。
この場で一番空気を読めてないのはお前だと言いたげな視線で、上背の女子四人に囲まれる。
本当に嫌だが、膝を詰めて――僕は身の上話をすることになったのだ。
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