第十八話 「立派な男になりなさい」

 普通の家庭に生まれ育ったと思っています。

 父は暴力の一つも振るったことはないであろう、普通の会社勤めの人でした。

 母も温厚で、普通のパートタイマー勤めの主婦でした。

 あのまま何事もなく生きていけば、僕も平々凡々とした生活を送っていたのでしょう。

 普通の人と運命が変わったとすれば、やはり交通事故でしょうか。

 私たち家族にも、相手の運転手さんにも悪い点はなかったのです。

 トラックの運転手さんは急な心臓麻痺の発作で倒れたため、ハンドル操作が利かなかったのだろうというのが後日弁護士さんから聞いた話です。

 事故の発生した際には、すでに死んでいただろうとのことでした。

 どうにもならなかったんです。

 だから、悪いことがあったとすれば、事故に巻き込まれた人全ての運が悪かったのでしょう。

 その中で幸いを僕だけが掴んで、僕自身は軽傷で済みました。

 咄嗟に抱きかかえてくれた母の身体がクッションになったのだろうと、警察官の方が仰っていました。

 母の最後の祈りを、何かが聞き届けてくれたのかもしれません。

 ここからの問題は、僕の家族はもういないということで、そもそもが家族に反対されてくっついた二人と言うことで、親族とも縁遠くなっておりまして。

 僕にはお爺さんもお婆さんもいないものと思ってね、と両親からは申し訳なさそうに言われていました。

 だから、頼りになる親族も――いえ、いました。

 一人だけ、いました。

 僕が育ったのはその方のお陰でして、少しその方について話をさせて頂きます。

 葬儀の日のことでした。

 僕は児童養護施設に預けられることになるだろうと、幼心に理解しており、今後についてぼんやりと考えていたのですが。

 親族の方に父に生前の恩義があるという方がおられまして、何もかもを面倒くさがった親族縁者の反対を押し切って、ただ一人だけ駆けつけてくれたのです。

 最初は、ただ両親の亡骸を前にぼんやりと座る小学生の僕を見ているだけだったと、近場で見ていた――今もお世話になっている弁護士さんは後日仰っています。

 ただ、どうしてか。

 「君、俺は家庭持ちの男としての、分別をとばす」と口にして、まるで瘧を起こしたかのように身体を震えさせて、僕に近づき、こう言い放ったのです。

 その時の最初の辺りの言葉はよく覚えていませんでしたが、叔父さんと親しい弁護士さんと話を突き合せて内容を照らし合わせると、こういう話でありました。


「顔を見せなさい。前を見るんだ」


 僕は言うことを聞かなかったので、叔父さんは強引に振り向かせたとのことです。


「確かに、兄の血を引く子の顔だ。兄には恩義がある。だから、俺はその恩を返さねばならん」


 何も言わぬ僕に、叔父さんは一人頷いて、苦いものを咀嚼したかのようで。

 それでいって、何もかも吹っ切った表情だったそうです。


「後悔するかもしれんし、俺は間違えているのかもしれない。自分の家庭に責任のある人間として分別をわきまえていないのかもしれん」


 ことです、だったそうです、という言い方になってしまうのは。

 その時の叔父さんの決断について、僕はあまり覚えていないのです。


「いつか、お前を邪魔に思うことがあるかもしれん。だが、この時、男一人が覚悟したことだけは覚えておいてくれ。これからの言葉を時折思い出してくれ」


 叔父さんには申し訳ありませんが、全ては覚えていなかったのです。

 そりゃあそうでしょう、両親を失ったばかりの小学生ですよ。

 気は動転していましたし、いままで会ったこともない叔父さんが急に勢いよく喋りだしたのです。

 同席した弁護士さんが、その時のことをよく覚えていなければ、時折話してくれなければ、こうして皆さんにマトモに話ができたものか。

 さて、ここからはちゃんと覚えているのですが。


「聞け、甥っ子よ。人間は誰しもが一生のうちに必ず「愛する人との死別」という喪失体験をする。愛別離苦といわれる。それは絶対だ。生まれついて天涯孤独であってさえ、人はいつか愛する人を見つけ、それを失う。お前はそれが少し早くなった。少しだけな」


 あのときの叔父さんの言葉を、なんと呼んで良い物かわかりません。


「お前は今、間違いなく不幸だ。だがそれだけだ。たったそれだけだ」


 あえて言うならば、力強い憐れみという、謎の感情がこもった言葉でしょうか。


「決して、お前が一番不幸だなんて思うな。お前より不幸な奴なんて世に腐るほど一杯いる。自分の環境を理由にして人に憎しみを放ち、卑劣を企む輩になどなるな。それはお前が低俗になるだけだ」


 人によってはただの綺麗事を並べた、上っ面の戯れ言のようにしか思われないかもしれませんが。


「お前にこうして事情が発生したように、あらゆる人には、人様には、どうしようもなく苦しんでいる背景が存在する! それを心の底から理解してやれる人間こそ立派な男と呼べるのだ!!」


 あのときは小学生の僕には意味が分からなかったのですが、あの時の最後の言葉だけは強烈な体験となって今でも記憶に残っています。 


「他人の事情に寄り添ってあげられる、立派な人間になりなさい。親がいない子だと馬鹿にされないように! 兄や、お前を産んでくれた女性が馬鹿にされないように、そのための手段は俺が教えてやる!! 俺についてこい!!」


 生涯、その言葉を忘れないと思うのです。

 立派な人間になりなさい。

 他人の事情に寄り添ってあげられる、立派な人間になりなさい、と。

 自分は今までそうなれるように生きてきましたし、これからもそうでありたいと思っています。

 話が逸れました。

 叔父さんの話の続きをしますね。

 今更思い返すまでも無く、叔父さんは立派な人でした。

 靴の磨き方からブラシのかけ方、髪の梳き方まで教えてくれました。

 物の喩えではなく、男としての見繕いのやり方から生き方まで全てを教えてくれたのです。

 誰にも侮られないように。

 立派な両親の下で生まれ、そして立派に育てられた一端の男であるようにと。

 さぞかし立派な家庭教育を施された子どもであると人様に思われるようにと。

 そもそも叔父さん自身に息子さんがいないことから、何もかも初めての事もあったでしょうに、一生懸命に育ててくれました。

 そうして時が過ぎました。

 色々な事がありました。

 両親がいないことを誰かに知られ、そのことを卑劣な輩に馬鹿にされたこともありましたが。

 僕は胸を張って堂々と言い返してきましたし、そのように生きてきました。

 その生き方で叔父さんにも多くの迷惑を掛けたと思っています。

 社交の教え方が足りなかったんだなと、苦笑されたこともあります。

 そうして小中学生としての時期が過ぎ、高校生になりました。

 令和は18歳で成人と認識される時代で、高校はその前準備に入る時期です。

 家を出て行くと宣言しました。

 叔父さんは酷く心配してくださいました。

 このまま家にいてもよいのだと。

 もうお前は俺の育てた息子のようなものだと。

 だけど、社交についてだけは、まだ完全に教え切れていないところがあると。

 お前は何だ、その、人様の感情に鈍くはないけれど、ときどき空気が全く読めない時があると。

 本当に心配そうにされました。

 ですが、向こう様にも家庭があり、年頃の娘さんもいたのです。

 随分と迷惑をかけましたし、娘さんが当然のように与えられるべき父親からの愛情の機会も、僕が居候することで随分奪ってしまったと思います。

 このままお世話になり続けているわけにはいきませんでした。

 弁護士さんに相談の上で小中学とお世話になりました生活費を計算して、精一杯の御礼を含めた相当額を支払い、家を出ることにしました。

 あまりにも遠くは駄目だと心配して許してくれないため、駅三つ遠いこの地にマンションを借り、この高校に進学したのです。

 幸いなことに両親の事故死に対して、トラックの運転手が務めていた会社から多額の慰謝料が支払われていましたので、育てて頂いたことに対する義理は果たす事が出来ました。

 だから、これでも結構お金には困っていないんですよ。

 普通の家庭よりも、むしろ裕福なくらいでしょうか。

 高校・大学とバイトせずともやっていける程度の貯蓄は軽くありますし、小遣い銭にも困っていません。

 ああ、だから本当にお金には困っていないんですよ。

 りこりせ先輩に奢るお金にも別に困ってやしないんですから、本当に気にしないで下さい。

 そもそも大した金額じゃ無かったでしょうに。

 第一、僕は本当にそのように気遣いを受け、憐れみを受ける覚えがないのです。

 僕を産んだ両親とは、それこそ小学生の時に愛別離苦の苦しみを味わいましたが、叔父さんが言ったように誰もが生涯いつかは味わうことになるのです。

 それが早かっただけのこと。

 何より、立派な教育を受けることが出来ました。

 僕は今までの環境に誇りこそ感じれども、卑屈に思ったり、他人を羨んだりしたことなど一度もありません。

 そう本心本意で感じられることが、立派な教育の賜物以外の何でありましょうか。

 僕は両親の喪失体験に対し、強いストレスを感じていません。

 その背景に、両親が僕を育ててくれた幼少の記憶と、あの叔父さんの姿があるからです。

 だから、本当に心配しないでください。

 心配するなと言われても難しいでしょうが、本当に心配は不要なのです。

 僕は何も困っていないのですから。

 ところで、こうして人と膝を詰めて話すことで、今更ながらに判ったことがあります。

 僕はあの叔父さんのように立派な男になりたいのです。

 そのように生きてきましたし、これからもそうありたいと思っています。

 ・・・・・・まだ、手を伸ばしても、全然届かないでしょうけれど。

 ああ、いつか恩返しもしないと。

 叔父さんは、お前が立派な男に育つことが一番の恩返しだと、常々言ってくれるんですけどね。

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