第十五話 「カラオケ行こ!」

「カラオケに行きませんか?」


 夜歩く、君と。

 今日も今日とて部活動が遅くなり、少年が夜道を送ってくれる際に。

 表通りから少し外れた街灯。

 その殺虫灯がパチパチと小さな羽虫を焼き殺す音が聞こえる中で、少年はそう口にした。


「カラオケというと? 私と君とでか?」


 望むところである。

 行こう。

 そういうことになった。

 とはいかんだろうな。


「男と二人、密室に入るのは怖いな。これでも身持ちは堅い方だぞ?」


 からかい気味に口にしたが、そうではないことぐらいわかっている。

 本心では、少年とならば二人でカラオケも悪くない。

 もちろん密室で睦み合うというわけではなく、純粋にカラオケを楽しむ意味でだ。

 私のりっぱな初恋という感情にも、羞恥心というものがある。

 まだ早いという想いがあるのだ。 

 だが、まあそもそも、それ以前の話である。

 どうせ五人でと言うのだろう?


「いえいえ。文芸部の親睦を深めるという意味の集いで、部員五人全員です。りこりせ姉妹も日曜は完全にオフだということなので、たまには良いかと。大和さんも行くと言ってましたよ」

「なるほど。予想通りだ」


 確かに良い機会であった。

 りこりせ姉妹はたまに放課後練習の暇を見ては文芸部の部室に現れ、予告通り私が供応に用意した新鮮なフルーツなどを貪って、少年が書いた小説をからかっては去って行く。

 腹を割って話せる関係とは言いがたい。

 あの二人とは友人にはなれないかもしれないが、まあ一緒にカラオケに行くぐらいの関係になるのもよかろう。

 私は了承する。


「かまわんよ。何、金は全部私が出そう」

「よろしいのですか?」

「どうせ、りこりせ姉妹は金など持っていない。君にタカるつもりだったろうに。そうなるぐらいなら私が出す」


 金には困っていない。

 両親は共働きで裕福だし、新人賞の賞金で何か良い物を贈ろうとしても「それは美紀子自身のために使いなさい」と固辞されたぐらいだ。

 さすがにささやかなプレゼントぐらいは受け取ってもらえたが。

 立派な親に養われている立場を振り返ってみれば、りこりせ姉妹はやはり立派なものだなと思う。

 すでにほぼ自活した生活を送っている。

 私とは全く逆で、親がなんとか小遣いを工面しようとしても「それは母さん自身のために使ってくれ。私たちは産んで育ててくれたことに感謝しかないんだ」と全部突っ返しているのだという。

 その反面、少年にタカるのは少しだけ許せんが、まあ少年が全く気にしていないのだから仕方ない。

 はて、そういえば、りこりせ姉妹の家庭環境や、大和さんの実家が地元ではかなり大きな会社を経営していることは知っているが。

 少年の家庭環境をまるで知らないな。

 謎が多い。

 小遣いは足りているのだろうか?

 まあ、困った様子はないし、革靴の靴磨きを含めた身繕いもしっかりしている少年のことだ。

 制服のブレザーに毎日ブラシをかけているであろう、男にしては珍しいピシっとした生徒である。

 親の行儀作法が厳しい、裕福な家庭出身だとは予想するのだが。

 ・・・・・・よい機会だし、カラオケで聞いてみるか?

 何分、夜道で聞くには時間が短い。

 僅か10分ばかしの逢瀬であった。

 もっとも、少年にその気はないのだけれどね。


「しかし、カラオケか。りこりせ姉妹は何を歌うのだろうね?」

「カラオケ自体が初めてだと発言していました。今回のために勉強してくるのではないかと」


 初めてか。

 初めてのエスコートを少年に頼んだのか。

 ・・・・・・やや破廉恥な意味に聞こえてしまうが、別に私に悪意だけがあって、こう感じるのではない。


「りこりせ姉妹は、最初は三人を希望していたか?」

「はい、そうですが。りこ先輩から聞いたんですか?」


 聞いていない。

 大体、予想がつくというだけだ。

 少年は純粋に親睦を深めたいだけだろう。

 カラオケなんて行ったこともないという、りこりせ姉妹を本当に純粋な意味でエスコートぐらいはしてやりたい、男としての儀礼的な意味のそれで考えているのだろうが。

 まあ、りせの奴はともかく、りこは違うだろうな。

 最近、目つきがヤバイ。

 欲しくて、欲しくて、どうしても手に入らないものに手を伸ばしているような。

 それでいて、届かないから諦めているような。

 貧乏な少年が楽器店のトランペットをガラス越しに眺めているような、そんな願望と諦念に溢れた目つきをしているのだ。

 そんな眼光で少年を見つめているのだ。


「・・・・・・うん、まあ」


 りこりせ姉妹と、密室に行くなんてよくない。

 下手したら、そのまま両手両足縛られて、襲われるぞ少年。

 とは口に出来なかった。

 口に出来ないのには、様々な理由がある。

 まず、これは私の個人的な意見にすぎないということだ。

 いくら何でも、密室に入ったぐらいで襲われるなんて。

 ほら、防犯カメラのついているカラオケだってあるし。

 ――いや、無いな。

 少なくとも近隣のカラオケには無かった。

 治安の良い学生街のカラオケ店に、そのような物に予算を掛ける理由もないのだろう。

 完全な密室であった。

 私はその事実に震えている。


「なんだ、その、なんだ」


 言葉も震えている。

 繰り返そう、口に出来ないのには、様々な理由がある。

 私の個人的な予想にすぎないのだ。

 りこりせ姉妹とカラオケに行けば、密室に入った段階でしばらく話した後、突然顎を強打されるだなんて。

 お前が悪いんだ!なんてシャウトをされて、りせに身体を抑えられて。

 りこの奴に、そのまま――そのまま。

 破廉恥すぎて、とても口に出来ぬと考える。

 私の妄想にすぎぬ。

 その妄想を、思わず口にしてしまった。


「りこりせ姉妹が如何に君より強くても、破廉恥だぞ少年。襲われる側にも原因がある」


 無茶苦茶な言葉である。

 言葉の意味は全く通じていないに違いない。


「?」


 少年は言葉を発さずに、訝しげに眉を顰めた。

 いや、通じないんだろうな。

 通じるはずがない。

 まさか、女に襲われるとは思ってないんだろうな。

 だろうさ。

 私の妄想が変なのだ。

 だが、りこの奴は傍から見て明らかにヤバイ段階に来ているのだ。

 それに少年は気づいていない。


「・・・・・・」


 何と言えばよいのかわからない。

 私は最初、このような妄想を吐けば、少年に軽蔑をされると考えていた。

 馬鹿かと。

 阿呆かと。

 りこ先輩がそのような事をするわけが無いと、吐き捨てられるに違いないと考えていたのだ。

 だから、口にはしなかった。

 だが、冷静になればなるほど、危険であった。

 りこは危険だ。

 明らかに少年を襲おうとしているのだ。

 守らねば。

 守護らねばならぬ、この少年を。

 私のために。

 そして、りこの世間体のために。


「オーケー!」


 私は叫んだ。

 突然、英語で全力全開了承をかました私にビックリとしたのだ。

 それはそれでいい。

 少年は良識的なままでよい。


「よし、カラオケに行こうか、少年。君は何を歌う? セトリ(選曲)はもう決めたか?」

「昭和の歌だけを歌い続けるのはやはり不味いんでしょうか。僕は好きなんですが」

「身内の宴だ。何を歌おうが自由だぞ!」


 むしろ、ちょっと引かれた方が良い。

 文学系ヲタクとしてドン引きされる歌だけを歌え、少年。

 その方が身を守れるぞ!


「ようし、私も何か選曲を考えるぞ!」

「おや、意外と乗り気ですね、橘先輩」


 乗り気だよ。

 いや、厳密に言えば、りこの行動を阻害することに乗り気だよ。

 私が少年を守護らねばならぬ。

 そうしなければ、この五月を童貞で越せないぞ、少年よ。


「皆で集まるのに、極端に暗い歌とか歌っちゃうぞ、少年よ」

「僕はその方が好きですよ!」


 少年は明るい。

 まっすぐな文学系ヲタクとしての笑顔でそう口にした。

 私は少年の、そんなところが大好きだった。

 惚れていた。

 だからこそ、守護らねばならぬのだ。

 私が惚れた男を。


「学校の誰も知らないマイナーなバラードとか歌っちゃうぞ」

「僕はその方が好きですよ! 多分理解は出来ないだろうけど!!」


 理解はしてくれないんだ。

 平成生まれ、中高は令和育ち。

 そんな彼と私のバラードを奏でるのはカラオケであった。

 ともかく、邪魔をしよう。

 もはや友人となることなど諦めた、時透りことか名乗る女郎の邪魔をだ。


「・・・・・・」


 夜道を沈黙しながら、考える。

 少年との夜道を歩きながら、心浮き立つ会話を交わす私にしては珍しい仕草であった。

 少年は空気を読み、沈黙しながら横で歩いている。

 私は少年の全てを守護る。

 愛しても愛してもまだ余る、少年の全てを守護ってみせよう。

 だから力を貸してくれ。

 世界の全てよ、少年をりこから護るための力を貸してくれ。

 そう祈りながら、私は耳を澄ます。

 令和の世では存在しない野良犬はワンワンと吠えず。

 下手な家猫より保護され可愛がられている地域猫はニャーニャーと鳴き。

 逃げ出したペットから野生化したオウムが、何やら卑猥な言葉を叫んでいるように感じた。

 おそらくは全て私の妄想に過ぎなかった。


「私は君を守護るよ、少年。安心してくれ!」

「さっきから何を言ってるんですか?」


 私の妄想と現実の区別が定かで無い中で。

 少年はぽつりと、本当に不思議そうに疑問を口にした。

 私には返答する術がなかった。

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