第十四話 「試し行動」
『試し行動』という言葉を聞いたことがあるだろうか。
相手に対して自分自身をどの程度まで受け止めてくれるのか探る行為、らしい。
それを実行する人間の多くは子どもで――子どもは悪いことだとわかっていながらも、あえて大人を困らせるような行動を取り、周囲の反応をうかがうことがある。
子ども。
子どもか。
身長187cmの私が子ども扱いで、それを為そうとしている相手が身長170cmにも満たぬ新入生の小僧か。
馬鹿馬鹿しいにもほどがある。
だけど、私はそれをしようとしている。
相手の愛情を確認するために。
相手の反応を確認するために。
相手がどのような人間であるのかを把握するために。
そうだ、私はそれをする必要があった。
原因は私ではなかった。
最愛のりこ姉にあった。
「りこ姉は、小僧に惚れている」
それはもう誰の目にも明らかなほどに惚れていた。
誰の目にも明らかで、もう想いを打ち明けられないのであれば、さっさと諦めてしまえと言いたくなるぐらいに。
もう可哀想になるぐらいに惚れていた。
女子バレー部や女子バスケ部の連中が言うのだ、最近りこ姉の様子がおかしいと。
練習は練習でちゃんとこなしているが、時折懊悩しているかのような姿が見られると。
私は小僧に恋をしたのだろうと答えた。
まあそうでしょうね、と誰もが納得してくれるが。
同時に口にするのだ。
それで、その小僧とやらは、りこ姉を受け止めてやれるのかと。
さてなあ、と私は答えた。
どうにも、りこ姉は昔から我の強い人だった。
事実身長も高ければ体重も重く、腕力だって生半可な男よりも凄いだろう。
気も強ければ、男だって嫌っている。
そんな姉がいかに惚れたところで、その重圧に勝てる男なんてそうはいないだろう。
小僧ならば?
そう考えた瞬間もあるが、出会ってまだ短い。
新学期から、小僧が入学してから一ヶ月も経っていないのだ。
小僧にならば安心して任せられるなどと、断言できるほど詳しくない。
だから、試すのだ。
「試し行動」をするのだ。
小僧を試そうではないかという話が、りこ姉と親しい周囲で自然と発生した。
女子バレー部や女子バスケ部の顧問などはその話を横から聞いてにこやかに微笑んでおり、まあ学生時代にそういうイベントがあってもよいだろうとこれを許していた。
結構その辺りはゆるいのだ。
我々はりこ姉好き同士で密談をする。
りこ姉に小僧がふさわしいか、どう試す?
そもそもどうあればふさわしいのかと、そういう話になり。
やはり、我々女子バレー部や女子バスケ部の練習風景を観ても引かない小僧ならふさわしかろうと。
相手の愛情を確認したがる子どもに例えるならばだ。
『乱暴な言葉や態度をとり、過剰な叱責などが飛び交うが、相手はどういった反応をする?』
それに近いところはあるかもしれない。
自分たちのもっとも見せたくて、もっとも見せたくない部分を見せるとしよう。
スポーツの最前線で、どれだけ熾烈に我々が輝いているか。
モチベーションを上げるために、周囲に強烈なシャウトを響かせて、殺気をぷんぷんとさせて。
こいつらは本当に女なのか? と思わせるところを。
それこそ地獄から現れた兵士のように振る舞っているところをみせよう。
「絶対、下級生の身長低いガキなら引きますよ。男なんて9割以上が引く光景を見せますよ。いいんですか」
「引いたらそれまでだろ」
「というか、それで引くようならば、りこ主将についていけるとは思えない」
「ガキが潰れてさっさと終わりの恋愛なら、いま潰した方が良いだろ」
「それで潰れるなら潰しちまえ、こんな話。あの人に付き合える男なんてよっぽどじゃないと」
りこ姉好き同士の間でそんな会話が為される。
りこ姉に対して、見知らぬ小僧がついていけるとは誰も思っていないのだ。
本来ならば女子バレー部がやりたいと口にしていたが、まあなんだ。
小僧が応援にきたら、りこ姉は存分に普段の態度を貫けないかもしれないし、妹の私がやるということで話が収まった。
繰り返すが、「試し行動」だ。
相手がどこまでなら自分を受け止めてくれるのか、またどのような境界線があるのかを把握しよう。
これで引くようなら、りこ姉に小僧はふさわしくないのだ。
ただ。
私はどこか予感していたのだ。
多分、小僧は引かないだろうなと思う。
正直言えば、複雑な思いを抱えている。
「・・・・・・」
りこ姉の想いを無下に扱うつもりはない。
愛しているのだろう。
りこ姉は、この小僧ちょっとだけいいなあ、と感じる敷居などをあっさりと超えてしまった。
あれは支配だ。
小僧を支配したいという強烈な独占欲を、多足類のムカデが抱卵するように抱きかかえているのだ。
誰かから奪われるぐらいなら、その卵を自ら食べてしまうだろう。
そんな強烈な愛だった。
そうなる前に、妹の私がこういってやれば諦めるだろう。
あの小僧じゃ、りこ姉には耐えられないよ、姉さんと。
確実な証拠を用意できれば納得してくれるだろう。
だけど。
だけど、だ。
やっぱり、予感したとおりだった。
女子バスケ部の応援にカステラを持って現れた小僧は、確かに暴れ回る私たちを観て、少しだけ眉を顰めた。
少しだけ、少しだけだ。
ほんの少しだけ眉を顰めて、そんな練習で現代スポーツはいいのか? という疑念の視線で眺めただけであった。
練習が終わるとともに、はあ、とため息をついて、
二階から一階へと階段を降りて、顧問の先生にペコリと挨拶だけをすませて。
こちらへ近寄ってくるのだ。
普通ならば、普通の男ならば、隅にいる脆弱男子バスケ部員のように怯えるのだが。
小僧はへともしない様子で、私たち女子バスケ部に近寄ってくるのだ。
「近寄ってきたぞ」
「もう少し脅すか」
無意味だ。
私はそう思うが、それでも信じられない奴もいるのか。
女子バスケ部員の数名が近寄って、こう叫ぶのだ。
「男だぞ! おい!! 色気ねえ女子バスケ部に男がわざわざ乗り込んで来やがった!」
「スラム街へようこそ! お坊ちゃま!!」
三下芝居である。
三下とは、丁半打の仲間の内で下っ端の者を意味する言葉であったろうか。
そんなことを考えている間にも小僧は持ってきたカステラをビニール袋から取り出し、何やら口上と共にそれを差し出している。
女子バスケ部員は三下芝居を続けたいのか、それを奪い取ってムシャムシャと食べる蛮族っぷりを見せている。
駄目だよ、もう。
そんなことしたって、小僧には通じない。
ほら、目を見ろ。
ちゃんと補食とかしてるの? 大事だよ? という疑問の目で我らを見ている。
してるよ、普段は。
今回はお前を脅すためにやってないだけだよ、と。
私はため息を吐きながら、何もかもを諦めた。
私は女子バスケ部の三下芝居が続けられている様子を眺める。
眺めているが。
「主将はどこだ!!」
とうとう小僧が怒り出したので、仕方なく出て行った。
なんでこの小僧は自分たちより背の高い女に襟首を捕まれたり、囲まれたりして平然としているのだろうか。
それどころか、女子バスケ部がちゃんとしていないと、怒りさえしている。
本当によくわからないところがある。
このメンタルはどこから産まれてくるのだ?
少しだけ会話をする。
怯えた様子はまるっきり無い。
堂々と胸を張った、姿勢の良い態度でそこに立っているのだ。
これでは誰もが認めざるをえない。
りこ姉の好意に対し、小僧がふさわしいことに。
『試し行動』はこれで終わるが、それはそれ、これはこれとして。
週一ぐらいで来てくれと小僧に告げて、彼を帰らせる。
途端、女子バスケ部員が集まってきた。
「あれは何です?」
「小僧だ」
そうとしか言い様がなかった。
小僧は最初から最後まで小僧であった。
ああいう誰にも恥じぬ性格をしているのだ。
おそらく、そういう生き方をしてきたし、これからもそうなのだろう。
私はこうなるだろうと予感していた。
正直言えば、複雑な思いを抱えている。
「・・・・・・あれなら、りこ主将にふさわしいですね」
「そうだな、そうだ」
ふさわしいのだろうな。
りこ姉の支配的な愛情にも立ち向かえるだろうな、と思う。
「伝えに行きましょうか。さっさと愛を打ち明けちゃえって」
「必要ない」
思うが、それだけだ。
それだけである。
誰かが言った。
隣の芝生は青いと。
他人が持っているものがやたらと良く見えてしまうと。
『試し行動』は終わりだ。
確かに、小僧はりこ姉にふさわしい性格をしているし、実際ふさわしいのだろう。
だから。
だからといってだ。
「りこ姉は愛を打ち明けない」
りこ姉はおそらく、愛を打ち明けられないだろう。
諦めろ、なら口にすることができたが。
ふさわしいから、さっさと告白して襲っちまえ、と言われて実行できる人でもない。
それは初恋だった。
りこ姉にとって純粋で崇高な、初めて眼前に顕在した神事のようなものである。
穢すには恐れ多い代物であった。
「・・・・・・」
だから、だからだ。
私はそれをしばらく見守ることにするよ。
黙って、りこ姉がどうするかをそっと見守るよ。
りこ姉、私は貴女ほどに小僧を愛しているとは言えないよ。
だけどさ。
ちょっといいなあ、と思う程度の好意はあるんだよ。
隣の芝生が青く見えてしまう程度の好意はあるんだ。
貴女が小僧に注ぐ好意を、私も持てればいいなと羨ましく思ってしまうんだ。
だからだ。
「姉さんが愛を打ち明けないなら、私が取っちゃってもいいよな」
それくらいの野望はあっても許してくれるよな。
そんなことを考えて、あの小僧はりこ姉にふさわしいと盛り上がる女子バスケ部員を眺めて。
私は大きなため息を吐いた。
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