第十三話 「空気を読めない子」

 幼い頃から空気の読めない子だと言われてきた。

 おそらく、根っからの間抜けなのだろう。

 その反面、家族からは愛されて育っている。

 この高い身長のせいで、色々と苦労をさせていると思われたのだろう。

 我が一族は、特に有名人のように秀でた人を輩出したというわけでもないが。

 一族経営で会社を営んでいる富裕層の家庭に育ち、恵まれた環境で育った。

 代々高身長の家系であり、お父さんもお爺さんも背が高い。

 自分の背が高いのは、父方の影響なのだなあと思う。

 家族や親類はその事を気にしていた。

 女の子なのになあ、と。

 私はその点を、子供の頃はあまり気にしていなかった。

 別に、背が高い人もいるよ。

 モデルさんだって背は高い方が良いじゃないかと。

 母方の家系は美人揃いで、その血だってちゃんと受け継いでいるじゃないか。

 私は美人さんに生まれて良かったよ、この一族に生まれてきて良かったよと。

 そう自分を弁護しては、心配性の彼らを納得させるのだが。

 あれだ。

 正直、心配されたとおりか、損をしていると感じることが多い。

 どうにも守られる立場にない。

 それに尽きる。

 家族や親族は私を一人の女の子として丁重に扱ってくれるが、世間様ではそうはいかぬ。

 「女の子なんだから」で得をした覚えが、あまりないのだ。

 歳を経るにつれ、そう思うようになった。

 あれだ、男は自分より背が高い女を庇護しないように思考回路が出来ているのか?

 そう疑いを抱くことが度々あるのだ。

 菓子の取り分が少ないとか、レディースデーで優先されないとか。

 そういう目立った差別ではないが。

 小さな美人の子と比べると、明らかに庇護されない環境にある。

 席を譲るとあれば、どうしても男の人は私より小さな女の子に席を譲るし。

 いざ、という時に守ってくれる人も少ないのだ。

 困ったときは頼りにしてくれと誰かに言ってもらえる気が、この大和葵はどうにもしないのだ。

 貴女は身長が高いのだから自分でなんとかなるのではないか?

 生半可な男よりも力だって強いだろう?

 そもそも学生なのか?

 そういう目で見られる。

 女性としては見られているのだろうと思う。

 胸とお尻と太腿には、普段から無茶苦茶視線を感じる。

 そりゃもう大人から同級生の視線まで含めて、小学生の頃から感じていたさ。

 だが、それは『女』を見る目であり、『女の子』という存在を庇護する視線とは違っていた。

 なんというか、あれだ。

 私の理想とするチヤホヤのされ方と違うのだ。

 もっと、女の子として扱って欲しい。


「中学生では失敗したなあ」


 確かにチヤホヤはして貰った。

 陸上部ではエースと思われていたし、その扱いも受けていた。

 反面、嫉妬と憎しみの目で見られてもいたが。

 色々なやくたいもないことを考えて、過ごす。

 自己紹介の時をふと思い出した。

 もう少し背が低ければ良かったなあと。

 せめて、190cmではなく188cmであれば。

 あまり変わらない?

 実際、変わらないだろうな。

 それは理解している。

 だが、そのあまり変わらない2cmの逆サバくらい許してくれてもよいではないか。

 ちっぽけな女の見栄を判って欲しいのだ。

 そのようなくだらないことを考えて、自己紹介ではそう申告した。

 誰も信じてくれなかったろうが。

 そのつまらない自己紹介を終えて、座席変更が行われる。

 後ろの席には男の子がいた。

 アーモンドアイの少年で、容姿はかなり整っている。

 背は年齢としては平均身長なのだろうが、私と比べるとさすがに短躯である。

 座高も低かった。

 頭一つ座高が高い視点から視線を向けて、はた、と気づく。

 この男の子、この位置からだと正面の黒板が見えないのではないか。

 小中学と散々からかわれたのだ、葵ちゃんの後ろだから前の席が見えませんと。

 本当に嫌な思い出だ。

 先に言われる前に、自分から申告しよう。


「すいません。先生、この座席では後ろの方は黒板が見えませんので・・・・・・」


 手をぶんぶんと振る。

 声が小さいが、まさか自分がでっかいから後ろの子は席が見えないよ、とは。

 間違っても大声で言いたくなかったのだ。

 女心だ、判って欲しい。

 そうしていると、男の子が言い出した。


「ここからでも黒板が見えています。視界は遮られていません」


 嘘を吐け。

 絶対に見えてないだろ。

 今までの人生経験で、私はその事象が理解できているのだ。

 何でそんな嘘をつくのかと思ったが、そう言い張られては仕方もない。

 あまりにもキッパリとした口調で、けろりとしたアーモンドアイの眼差しで口にされたのだ。

 それだけで会話は強制的に終わってしまった。

 どうも、この男の子は奇妙な言霊の持ち主らしい。

 前を向く。

 男の子の名前を覚えていない。

 彼の自己紹介なんて、ろくに聞いてやしなかったのが悔やまれた。

 それから、それからだ。

 私は少し彼について、悩むことになった。

 彼の虚偽について。

 その理由がどうにも気になってしまったのだ。

 はて、あの男の子は、私の身長2cmの逆サバ読みに気づいたのではないか、と。

 ちっぽけな女の見栄を判ってくれたのではないかと。

 だからこそ、あんな訳も分からない不器用な気配りで、ハッキリ言えば強がりだ。

 そんな嘘をついた。

 彼が男の子で、私が――私が、女の子だから。

 少なくとも、彼だけはそう思ってくれているから。

 

「・・・・・・」


 悩んでいる。

 私は後ろの席の小さな男の子について、少し悩むことになった。

 そうこうしている間に、彼の名前を再び聞く機会もなく、慌ただしい新入生の日々が始まる。

 すぐに部活の勧誘合戦が始まった。

 中でも熱心なのが、女子バレー部と女子バスケ部であった。

 うんざりであった。 

 スポーツはもう中学で辞めたのだ。

 あんな苦しくて、自分のためにはならないことをしたくはない。

 目立つことなんて、もうしたくない。

 もっと、その、なんだ。

 女の子らしいことをしたいのだ。

 高校生らしいことをしたいのだ。

 例えば、なんだ、恋とか。

 ああ、わかっている。

 難しいのは理解しているのだ。

 中学生の頃の甘酸っぱい恋愛とは異なり、高校生ともなればどうしても肉欲めいた恋愛も混じってしまう。

 私の事なんて、女の子ではなく、肉付きの良い女として見てくれる男しかいないであろうとも。

 私は青春(アオハル)を逃した。

 はあ、と大きくため息をついた。

 中学生の頃は部活漬けで、寝る前に小説を読むことだけが楽しみであった。

 ライトノベルとか、児童書だ。

 できれば平成初期の古めかしい学園小説で、少しエッチで、甘酸っぱい恋愛がある。

 私はそんなものを好みとしていた。

 可能であれば、自分でも書きたいと思うのだ。

 笑えるか?

 笑えるだろうな。

 こんな中学生みたいに子供じみたこと、大きな声では言えない。

 だが、もういやだ。

 ハッキリと言ってやろう、女子バレー部にも女子バスケ部にも。

 主将のりこりせ姉妹とやらにも、ハッキリと口にしてやるのだ。

 口にして――駄目だった。


「お前が如何に普通に生きたいと考えても、その身長と顔じゃあ無理だよ」


 一番言われたくないことを言われてしまった。

 一族一同で心配されていることだ。

 わかってるよ。

 わかってる。

 自分が一番よく分かってるんだ。

 こんな私が、女ではなく、女の子として見られるなんて難しいって。

 身長190cmもあると、どうしても目立つって。

 自らの存在が、私を見てくれって言ってるようなもんだって。

 ふと周囲を見た。

 すると、誰もがさっと目をそらした。

 いつも通り、庇護してくれる人などいやしない!

 クラスメイトの空気が、よくないものに変わった気がしている。

 嗚呼、クラスに迷惑をかけているんだろうな。

 そんな精神遅滞めいた気分になってしまう。

 私は空気が読めない子だった。

 だから、必死に読もうとしている。

 やはり、駄目なのだろうか。

 りこりせ姉妹の言うとおり、スポーツの世界で活躍すべきなのだろうか。

 嗚呼、こんな。

 こんな状況の私を見て、例えば――。

 あの変わり者の、変な強がりを口にした、アーモンドアイの少年は何というのだろう。

 きっと目を逸らす。

 ちらりと後ろを見た。

 結論から言えば。

 男の子は目を逸らさなかったし、私を庇ってくれたのだ。

 あのときの気持ちは私以外に判らないし、判って貰いたくもない。

 あれは私だけのものだ。

 この感動は私だけのものだ。

 脳から汁が漏れ出すような快楽を、私はあの時に得られたのだ。


「有り難う」


 感謝の意を述べて。

 表面上はかろうじて微笑できたことを覚えている。

 それから、それからだ。

 私は彼と、少しだけ話すようになった。

 幼い頃から空気の読めない子だと言われてきた。

 だけど、賢明に空気を読もうとしている。

 判ったことは少しだけだ。

 彼の視線に下心はない。

 私を性欲の対象である「女」としてではなく、男として庇護すべき「女の子」として扱ってくれていること。

 私と同じで、文芸部に入りたがっているということ。

 それどころか、すでに入っていること。

 どこに行っても勧誘していないことから、顧問の先生にまで突撃して、すでに入部していたこと。

 想像は付いていたが、決断力と行動力には目を見張るものがある。

 ・・・・・・両親は気に入ってくれるだろうか、とか。

 いや、気に入るだろう、絶対、だとか。

 彼の家では、家業は何をされているんだろう。

 ウチと同じ自営業ではないといいが。

 ウチは一族経営だが経営陣不足なので婿入りが当然の希望なのだが、彼は大丈夫だろうかとか。

 どうしても想像が羽ばたいてしまう。

 自分でも変な女だと思っている。

 彼女どころか、女としても見られていないのに、何を馬鹿なと。

 だが、どうしても考えてしまうのだ。

 私は身長も高ければ体重も重く、感情まで重い女だと自覚させられた。

 このアーモンドアイの男の子に嫌というほど味わわされたのだ。

 咀嚼を何度でも繰り返そう。

 幼い頃から空気の読めない子だと言われてきた。

 おそらく、根っからの間抜けなのだろう。

 だけど、どんな間抜けでも真剣になるときはある。

 今、私は眼前の男の子が考えている心を、その空気を読みたいと考えている。

 それ以外は何もいらない。

 私を女の子として扱ってくれる、彼との会話における空気の読み方以上に知りたいことは。

 今のところ、なんにもなかった。

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