第六話 「文芸部継続の決定」
開口一番、橘部長は謝罪から始めた。
「私は君たち姉妹について、酷い誤解をしていたようだ」
五月初旬。
五月病の一年生が出始める時期であるが、文芸部にとって、とくに橘部長にとっては吉日であった。
部活合同会議にて文芸部への絶縁状が撤回され、おまけに部員が五人揃ったことで同好会落ちが回避された。
部室はそのまま残り、橘部長が孤独飯を嗜むダイニングが確保されることになったのだ。
「なんというか、すまない。本当に誤解があった。君たち地獄姉妹は、犬畜生外道にも劣る鬼畜であると私は認識していたのだ。あいつら死なないかなって、流れるお星様に祈ったこともある。許してくれ」
「酷い言われようだな。流れるお星様にはもっと素敵な願い事をしろ」
りこ先輩が難渋を示す。
まるで見当違いのことを言われたという表情である。
「だって私をもう無視しようぜ、それでとりあえず解決だろうに。絶縁状送ろうぜって最初に提案したの地獄姉妹だって聞いてたし。そうだよね? そういうことする二人だよね?」
「それは認める。もう面倒臭かったからな」
りせ先輩がこくりと頷いた。
小鳥の頷きが如き仕草だが、僕にはハシビロコウが肺魚を食べるシーンしか脳裏に思い出せなかった。
絶縁状提案したのアンタらかよ。
ということは二人が提案した絶縁状を、自ら撤回した形になるのか。
「だが、日本一目指して練習中の最中に『校内で暴力事件が起きた』と聞かされて血の気が引いた連中の立場にもなって欲しいと思うんだ。皆が焦りに焦ったよ。何処の馬鹿どもがしでかしやがったと」
「どれだけの人間が大騒動に巻き込まれたか。部内の暴力事件一つで大会辞退もあり得る時代だぞ。下手すりゃ自分の進路も左右される。結局文化部の連中が起こした事件と知ってグレープフルーツジュース吹いたよ。少し様子を見る姿勢をとっていたけど、結局最後はサークルクラッシュではないか。そりゃあ縁切りして当然だろう」
地獄姉妹が、僕が入学もしてない頃の騒動を思い出しながらに、あれに難渋した、これに難渋したと繰り言のように口走る。
大山鳴いて鼠一匹。
まあ暴力事件を起こしたと聞けば、偏見ではないが力自慢の体育会系での事件とまず思うだろう。
文化系も文化系の、文芸部が起こした事件であったのだがな。
そして、取るに足らないことかと思えば、最終的に文芸部はサークルクラッシュに至ったのだ。
まあ縁切りだろうな。
どうにもならん。
「絶縁は橘にとって、文芸部にとって、必要な禊だったと考えろ」
「こちらにだって羞恥心はある。代わりに我ら地獄姉妹二人が文芸部に加入してやろうというのだ。幽霊部員だがな」
まあ、色々考えると良い落とし所なんだろう。
校内でも強豪のバレー部主将とバスケ部主将が背後にいると知れば、橘部長の学内での扱いも変わるのだろう。
そういう意味では、幽霊部員がこの二人でよかった。
「うむ、そういう意味では感謝している。これで私の風評も少しはマシになるだろう。トモダチなんていないけど。もう高校生活では出来ないだろうけど」
橘部長はぼっちである。
僕が友達に名乗り出ても良いが、まあ部内の先輩後輩で今後指導を受ける立場は友達と言えるだろうか?
多分いわない。
繰り返すが、橘部長はぼっちである。
少し切なかった。
「私たち姉妹がなってやるさ。その代わりバナナ奢ってくれ」
「プロテインシェイクもだ。要求は厳しいぞ」
どっちも学校の売店で100円で売っている品である。
安いな地獄姉妹。
橘部長は冷たい視線を浴びせながら、不思議そうに尋ねた。
「友達費用を払ってまで友達なんぞいらん。第一、なんでそんなに金無いんだオマエラ?」
「そりゃあ母子家庭だからだよ」
「父ちゃんが死んでるのに、母ちゃんってば二卵性双生児でデカい双子を産んじまった。金なくて当たり前だろう」
はっ、と地獄姉妹が二人揃って鼻で笑う。
アッハッハ、イエーとばかりに外人笑いをして、手まで大げさに叩き合っている。
二人のハイタッチが文芸部に鳴り響いた。
いや、笑い話ではないと思うんだが。
随分重いぞ。
これを笑い事にできるから地獄姉妹なんだろうが。
「確か地獄姉妹は特待生で学校に招かれたんだっけか?」
「学費免除・寮費免除・学食費免除・遠征費(交通費・宿泊費)無料だな。お陰様でようやく親孝行が出来る段階の手前だよ」
「デカイ双子が家を出て寮生活してるしな。母ちゃんも大分楽になった」
うわあ、凄い好待遇。
思わず地獄姉妹を見つめる。
まあ、それだけの実力者だと聞いてはいる。
二年で主将だもんな。
そうだよ、凄いんだよ私たちとでも言いたげに鼻高々に、僕を見下ろしている。
感情的に見下ろしているわけではないだろうが、身長的にどうしてもそうなるのだ。
不思議そうに、橘部長が再び問うた。
「二人なら企業や大学から、多額の金銭の授受が。なんだ、いわゆる栄養費がもらえるのでは? 私にタカる必要もあるまいに」
「いつの時代の話してんだよ・・・・・・。令和の今にそんなことしたら怒られるだけじゃすまんぞ」
そうなの? と横の大和さんに尋ねる。
彼女も元は陸上部であるから、スポーツ業界には詳しい。
大和さんもこくりと頷いた。
ついでとばかりに、大和さんが「んー」と呟き、よもやま話をする。
「まあ、昔は陸上で有名な学生選手が札束でハチ切れそうな財布を渡されて、プロレスラーにならないかと勧誘されてたりもしたそうですが。爽快な話ですよね」
「昭和か」
キラキラした目の大和さんにツッコミを入れる。
さすがにその無茶苦茶が通った昭和スポーツの時代が過ぎたことは、僕でもわかる。
『栄養費』なんて言葉、今の令和には通用しないんだろう。
いかんな、小説を書くつもりだというのに知識が古い。
橘部長も僕も、古い小説を読みすぎたんだろうな。
まあスポーツ小説なんて書く予定はないけどさ。
「で、小遣いがほぼないからな。間食する100円にすら困ってるぞ。小僧」
「時々、休み時間に売店で奢ってくれると助かるぞ、小僧」
別にいいけどさあ。
なんで僕にタカるのか。
下世話な話であるが、金といえばと僕はあることが思い浮かんだ。
「橘部長、新人賞の賞金があるんでしょう。いくらだったんです?」
「100万」
橘部長は指一本を立て、端的に答えた。
もっと金持ちが眼前にいるではないか。
これからは部長にタカってくれよ。
だが、まあ部長は学食まで来ないだろうな。
平素はかなり内向的な性格をしていることが、先日の一件で判明している。
今後も部室で一人飯だろう。
・・・・・・たまには昼休みに遊びに来るべきだろうか?
嫌がられないとよいのだが。
「まあ、菓子代くらいなら出して部室に用意してやってもよいが・・・・・・部にくるのか?」
「アスリート選抜コース生徒は菓子類なんて食べるのほぼ禁止だよ。新鮮なフルーツでも用意してくれ。どうせ寮生活だから、門限までやってるなら普通に来てもいいぞ? 練習終わりにだけど」
まあ、小説を一本書けだなんて面倒くさいことは、死んでもやんないぞ。
そう地獄姉妹は吐き捨てて、机に置いてあったバナナを食べ始めた。
まだ話の途中なのだが。
「それ私のバナナなんですけど」
大和さん、それは僕が地獄姉妹への供応用に買ってきたバナナだよ。
勝手に所有権を主張しちゃ駄目だよ。
いや、別に食べちゃ駄目ってわけじゃないけど、今は部活の話をして欲しい。
「まあ、りこりせ先輩はたまに遊びにくる幽霊部員でいいとして。文芸部の部活動の内容って具体的にはどうなんですか? いや、具体的な活動内容や小説の指導をして下さることは聞きましたが」
尋ねたいのは、時間的な内容だ。
部活動の活動曜日、活動時間と言ったところ。
それにより文芸部内を地獄姉妹が「うろつく」かどうかも決まるだろう。
その意図を汲んで、橘部長が銀縁眼鏡を光らせながらに答える。
「ああ、部活をやる日とか何時間やるとかの説明はしていなかったが。まあ、説明しなかったのはそもそも存在しないからだ」
「存在しない?」
「個人の自由と言うことだ。校内の活動制限基準というものがあるので、日曜日を休養日としているが。まあ私は鍵を預かっているので日曜日以外はいつでも部室にいる。で、ずっと小説を書いているよ。だが君たちにそれを強要しても仕方ないだろう? 小説を書くという目標にあたって、好きな日、好きな時間に参加してよい」
昔は部活動の活動基準制限なんてなかったらしいがな。
時代も変わったものだ、と。
その言葉を聞きとめて、バナナを食べ終えたりせ先輩が発言した。
「え、文部科学省のガイドラインなんか少しでも守ろうとしてるの? 真面目か?」
まあ、明らかにウチのアスリート選抜コースはスポーツ庁のガイドラインを守っていないだろう。
「闇部活」とも呼ばれる自主練行為を行っているのだ。
そうしなければ勝てないと、学校側も顧問も生徒も保護者も、あらゆる誰もが考えているのだ。
全員が望んでやっている状況では、誰も止めることができない。
「なんでもかんでも時間をかけたら良いという問題でもあるまいに。要は集中力の問題さ。私は時間をかけないと小説を書けないが、彼や大和さんがそうとは限るまい?」
険のある声で、橘部長が反論を示した。
まあやってみないとわからんが、個人的には時間をかけて橘部長の指導を受けたいぞ。
すでにプロ新人作家で、それなりに執筆方法論を持つであろう先輩の指導だ。
受けなくては損である。
「基本的には部活が行われる全ての時間に参加したいと考えています。用事があるときは別ですが」
まあ僕に用事なんてないけどな。
恋人がいるわけでもあるまいし、高校生活で出来ることもないだろう。
せいぜい、日曜に谷垣と遊びに行くことぐらいであろうか?
「私も。先輩の御指導を楽しみにしています」
大和さんも楽しそうに微笑んでいる。
中学時代に苦しんだ彼女は、ようやく高校になってやりたいことが出来るのだ。
そりゃ楽しかろう。
微笑ましく思う。
「まあ、何はともあれ文芸部継続が決定した。皆、有り難う」
橘部長は相変わらず厭世的な雰囲気を漂わせているが、本日ばかりは本当に楽しそうに。
謝罪ではなく心からの御礼として、全員に頭を下げている。
実にめでたいと綺麗に言葉を締めて、その日の会合は終わった。
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