第一話 「勧誘劇」


「バレー部に入れ、大和葵。私と一緒に日本一を目指そう」


 身長190cmの彼女が勧誘を受けている。

 彼女より背は低いが、数センチの差であろう。

 間違いなく大女の部類に入るバレー部の主将がクラスに訪れていた。

 ここで自己紹介の際に聞き流していた彼女の名前を知る。

 大和。

 大和葵(やまとあおい)という名前であったらしい。


「いや、バスケ部に入れ。お前の身長はバスケ部でこそ生かせる。神はそのために、貴女にその身長を与えたもうたのだ。アスリート選抜コースには今からでも変更可能だ」


 やはり彼女よりも少し背は低いが、大女の部類であるバスケの主将が声を張り上げていた。

 僕はといえば身長170cmに少し満たぬ高校一年生の痩せっぽちであるからして、失礼ながら怪獣が争っているようにしか見えない。

 後ろの席で、その様子を見守っている。

 彼女は、大和葵さんは沈黙している。

 辟易としているのであろう。

 無理もない。

 新学期が始まってからというもの、ここ毎日、同じ勧誘が繰り返されているのだ。

 バスケ部とバレー部の部員が日参して彼女の元に訪れて、部活に入れ部活に入れと声を繰り返し張り上げている。

 ついにお互いの主将がやってくる事態にまで陥った。

 そんな状況に対して、彼女はいつものように口を開くのだ。


「私に運動部は向いていません」


 もはやテンプレートとなった返事である。

 嘘をつけ。

 僕でさえ、思わずそんなことを口走りそうになった。

 ここで彼女が致命的なまでに運動音痴で「トロい」というのならば、まあ話はわかるのだが。

 小耳に挟んだ噂では全く違う。

 中学生時代では陸上部に属していて、県大会優勝に至るほど優秀な成績をはじき出していたと聞く。

 だからこそ、そこの主将二人も躍起になって勧誘をしているのだ。


「どこが向いていないというのだ。それだけの身長があって、スポーツをやらない手はない」

「神への冒涜とさえ言って良いだろう。どちらかの部活に入れ」


 まあ、そうだろうな。

 心の中で同意した。

 あれだけの身長があれば、バレーをやってもバスケをやっても圧倒的に優位であろう。

 何故入らないのだろうか。

 理由が気になる。

 そもそも、我が高校はスポーツ特待生を優遇している。

 彼女が僕と同じ、普通進学コースの一生徒であること自体がおかしかった。

 身長だけで入学できたろうに。


「お断りします。スポーツは嫌いなんです。中学で全く嫌になりました」


 だが、彼女にも事情はあるらしい。

 僕はといえば、無関係の立場でありながら後ろの席でその彼女の背景を聞く。


「陸上部にいたときに悟ったんです。周囲から放たれるプレッシャー、目眩のする距離の長さ、届かない自分の実力、積み上げた努力に対する不安、負けたことから失望を浴びせられる恐怖、スタートラインに立った時の心臓が止まるほどの緊張、走っている最中の肺と心臓が訴える辛さ、周りからの応援に応えられぬこと。いや、そんなものはまだ良いんです。あくまで自分との戦いの範疇ですから」


 彼女は、眼前の二人の大女に、本心を告白するようにして口を開いた。

 バレー部とバスケ部の主将は、神妙な面持ちでそれを聞いている。

 

「問題は、私がやると人のポジションを奪うんですよ。どれだけ努力している子がいても、どれだけそのスポーツを好きな人がいても、私が少し手を加えるだけで勝ってしまうんです。体格差と才能だけで圧倒してしまうんです。そのせいで、どれだけの人に嫉妬と憎しみの目で見つめられてきたか。もう嫌になりました」


 まあ、そうだろうな。

 何のスポーツをやろうが、その体格差だけで圧倒してしまうであろう。

 その上で才能まであるとなれば、もはや暴力的な存在と言えた。

 どれだけ努力しても、エースの座など容易く奪われてしまう。


「だから、スポーツはもう中学で辞めたんです。申し訳ありませんが、勧誘はお断りします。私は高校では文芸部を志望しています。誰もが楽しめる小説を書きたいんです。大学に入って文芸学を専攻したいと思っています」


 おや、文芸部。

 大学も、自分と全く同じ志望である。

 僕も小説を書いているのだと、彼女にシンパシーを感じながらに僕は前を見つめた。

 大和さんは凜々しい表情で横顔を見せている。

 そういう事情なら仕方ないではないか。

 彼女は競争に向いていない優しい性格をしているのだが。

 だが。


「女々しい」


 そんな大和さんの嘆きを、バレー部の主将が一言で切って捨てた。

 いや、女々しいも何も女性である。

 そう考えたが。


「所詮この世は弱肉強食。弱ければ死に、強ければ生きる。それが定めだ。スポーツの世界なんてそんなもんだろうが。ウチのバレー部でポジションを奪われて文句を言う奴など誰もいない。そうしないようにしているし、皆がそのように生きている。その覚悟をもってバレーをやっているんだ。スポーツ特待生としてやってきて、そこら辺の普通校のお遊び部活動でやっているわけじゃないんだ。これで将来食べていこうと、人生を懸けている覚悟さえあるチームメイトだっている。レギュラーを取ることはもちろん大事だが、そもそもチームとして全国で勝たねば何の意味も無いのだ」


 あまりにも言っていることが雄々しいので、思考が停止した。

 バレー部の世界ってそうなんだ・・・・・・。

 また、バスケ部の主将が追随するように口にした。


「お前、何か勘違いしとりゃあせんか」


 つっけんどんで、突き放すような口ぶりであった。


「血で血を洗う修羅共がうごめくスポーツこそ、大女の天国と呼ぶにふさわしくないか? 何処の世界に行っても競争はある。そして、大和は競争を勝ち抜くに値する才能と身長があった。それだけのことだ。嫉妬や憎しみで見つめられる? それがどうした。お前に逃げ場所などない。何処に行っても無駄だ。お前が如何に普通に生きたいと考えても、その身長と顔じゃあ無理だよ」


 まあ、わかる。

 何処に行こうと大和さんは注目されるであろう美貌の持ち主だ。

 大和さんが美人なのは救いなのか否か。

 それはまだ彼女のことを知らぬ僕には判らないが、注目を集めるという点においてはスポーツをやるやらないに関係ないだろう。

 むしろ、開き直ってスポーツをやった方が良いかもしれない。

 そう考えるが。


「・・・・・・何と言われようとお断りします」


 顔を伏せて、大和さんが悲しげに口にするのを見ると。

 どうも痛々しく見えてしまう。

 このような説得を、人生の内に何度も受けてきたのであろう。

 だが、バスケ部主将の説得は続く。


「体力や技術は身につけさすことは出来る。だが お前をでかくすることはできない。たとえオレがどんな名コーチでも、立派な才能だという台詞は聞いたことがあるか?」


 なんか無茶苦茶聞き覚えのある台詞を吐いたな、この人。

 まあバスケ部だし当然か。


「嫉妬と憎しみ、それはあるだろう。お前のその才能をどれだけの人が羨んできたかわからん。お前がどれだけ苦しんできたのか私にはわからん。だがな、ウチは全国最高クラスのバスケ部とバレー部を抱えている。全国から最高の才能が集められた。でもな、お前の素質には叶わん。そして、それを卑怯だと叫ぶような恥知らずはウチにはいないんだ! チームに加入しろ!!」


 ばあん、と平手で大きく大和さんの机が叩かれた。

 僕なら弾き飛ばされそうな強烈な平手打ちだった。

 びくっと大和さんが肩を震わせて、目を瞑る。

 やはり痛々しく見える。

 彼女はふと周囲を見た。

 すると、誰もがさっと目をそらした。

 彼女より、いや、バスケ部やバレー部主将よりも体躯の小さい連中ばかりであった。

 何せ我がクラスはそこそこ成績優秀であるものの、普通進学コースの生徒ばかりであるから仕方ない。

 学年上の身長180cm超の大女二人に凄まれて、対抗できる体躯の者などいない。

 命がけでスポーツに取り組む二人の気迫に勝てる者もいない。

 大和さんはおろおろとしている。

 彼女は助けを求めているのではない。

 助けを求めれば誰かが助けてくれるなどと、そのような希望を抱いているわけではないのだ。

 おそらくは――怖いのだ。

 自分が特別で、クラスで浮いた存在として扱われるのが。

 ずっとそうやって怯えながら生きてきたのだろう。

 そんなことを僕は考えた。

 考えて。

 考えて。

 彼女が怯えた目でチラリと僕を見たときに、もう男として耐えられなくて口を出した。


「お二人とも、大和さんが嫌がるような行為は辞めた方が良いと思いますが」


 言ってしまった。

 バレー部主将、バスケ部主将の視線がこちらに向く。

 同時に、クラスメイト全員の視線もぎょっと目を剥くようにして、こちらに向いた。

 やってしまった。

 そして、やってしまった以上は言わずにおれんのだ。

 大和さんの震える唇が視界に入っている。

 男として立ち向かわねばならぬ。


「彼女がハッキリ嫌だと拒否しているのです。無理強いはよくありません」


 机を叩いて脅すのは、すでに説得の域を超えているのだ。

 僕はそう判断した。


「・・・・・・君は大和さんの知り合いか?」


 バレー部主将が問うた。


「知り合いと言えば知り合いですね。クラスメイトですから」


 本当は名前も今知ったぐらいの関係性だが。

 クラスメイトなのは嘘ではない。


「・・・・・・ただのクラスメイト程度ならば黙っていろ」


 ここでどう言い返すべきか、しばし迷った。

 わざわざクラスまで乗り込んで騒ぐのは迷惑だから止めろと。

 そう口にすれば、むしろ迷惑をかけていると萎縮するのは大和さんであろう。

 だから、言い方を考えなければならない。


「バレー部、バスケ部、各々言い分があるでしょうし、素晴らしいスポーツであるのは理解できます。ですが、嫌がっている人間にそれを勧めるのは如何かと」

「優れた人間が優れた道を歩むのは責務であると断言してよいと考えている。それを拒否することに対し説得することは悪か?」


 バスケ部主将が言い返してきた。

 いかんな、言葉が通じるだけに生半可な言葉では退いてくれそうにない。

 考える。


「僕は違うと考えます。なるほど、ただの説得であるならばよろしい。ただの説得であるならば。しかし、現状は大和さんの面子を軽んじての脅迫ではないですか」

「私が脅迫していると?」

「私『たち』クラスメイトの意見としましては」


 ここでチラリと視線を横にくれた。

 最近友人となった谷垣君である。

 彼はイケメンであり、僕が黒板正面を見えていないことを察して、こっそりノートを貸してくれるくらいの男前である。

 ええ、俺ぇ巻き込むの!? と動揺しているようだが、キョドるな。

 普通科でベンチにも入れぬ一年とはいえ、貴様は野球部であろうが。

 スクールカースト上位として胸を張って闘え。


「大和さんがクラスに押しかけられることで周囲に迷惑をかけていると気を遣って、クラスメイトからの評判を落とすまいと本人の意に沿わぬ形で部活動に加入してしまうことを懸念しています」

「それはお前個人の意見ではないか?」

「繰り返します。私たちクラスメイトの意見です」


 そうだよな、と横の谷垣君に視線をやる。

 じっと、バレー部主将とバスケ部主将。

 大上段からの視線が彼に集中した。

 常人であれば耐えられないところであるが。


「同意します。あなた方はクラスメイトからの評判を楯に大和さんを脅迫している」


 谷垣君は胸を張って、堂々と僕に賛同した。

 さすが我が友人だ。

 男前である。

 これだけで、親友に格上げしたいほどの男ぶりだ。


「ふん、ただ君らが現状を迷惑に思っているだけではないか」

「こうも部員に日参されればそうも思いますね。ですが、それで大和さんに批難を浴びせるほど落ちぶれてもいません。あくまで勧誘してくる貴女方が迷惑だといっている」


 ここまで言わせるなよ。

 そう言いたげに、じっと二人に視線を合わせて言ってのけた。

 それにしても、二人ともデカい。

 僕ももう少し身長が欲しかったところだが、高校生活で夢の175cmに届くであろうか?

 怪しいところだ。

 益体もないことを考える。


「いいだろう。そちらの言うとおり、こちらの見識不足であった」

「意に沿わぬ形での入部は私たちも望むところではない」


 主将二人が頷く。

 どうやら上手くいったようだ。

 キチンと話が通じるマトモな相手でよかった。


「クラスまで押しかけて入部するように促すことは止めておこう。迷惑であろうしな」

「ただ、大和にはわかっていて欲しい。君の才能を食い潰すことは、私たちにとってはとても口惜しく、残念であることを。君が入部したいと一言でも口にしてくれるならば、万全の環境をこちらは整えていることを」


 ただ、完全に諦めてはいないようだが。

 これ以上は何も出来ぬ。

 事実、僕自身が彼女はスポーツの道に歩んだ方が人生明るいのではないかと思うし、そこの主将二人が半ば善意交じりに入部を促していることも理解しているのだ。

 しかし、僕はただのクラスメイトである。

 何もできない。

 俺もこれ以上は付き合いきれんぞ! と血眼で僕を見ている親友の谷垣君もこれ以上使えぬ。

 ここまでだな。

 クラス内以外の環境における勧誘は大和さんの意思に任せるしかない。


「さて、ご挨拶だったな。これにて失礼することにしよう」

「また会おう。大和よ」


 主将二人が去って行こうとする。

 その前に、こちらを見た。


「最後に一つ聞いておきたい」


 大和さんに対してではなく、僕に対しての質問であった。

 ええ、まだ何か話すことあるのと。

 気怠げに視線を返して、僕はなにか侮辱の言葉を吐かれることすら覚悟する。

 だが。


「君はタッパとケツがデカイ女がタイプか?」

「は?」


 吐き出されたのは、奇妙な問いかけであった。

 にやり、とバレー部主将が笑った。

 その言葉を聞いて、バスケ部主将も合わせるように笑った。

 何の質問だよ。


「いやあ、私たちに堂々と言い返してくるとは気に入ったよ、小僧。今度バレー部の応援に来てくれ」

「バスケ部も歓迎するぞ。男の応援があると、チームメイトが喜ぶ」


 ぽんぽん、と両方から手が伸び、肩を叩かれる。

 そうして、なんだかご機嫌でクラスから去って行った。

 なんなんだ一体。

 クラスは少々ザワつきを取り戻して、なんとなく僕の方を見ている。


「あの・・・・・・」


 椅子に座ったまま、唇の震えを止めた大和さんがこちらを見つめている。

 何を言うべきかはわからないが、何か言わなければならない。

 そんな表情で。


「有り難う」


 感謝の意を述べて。

 そうして、彼女は微笑んだ。

 僕はそれに対して会釈をして。

 とりあえず谷垣君が先ほどの友情に対する仕返しとして、強烈なボディブローを入れてきたのを甘んじて受けた。

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