第三話 「入部届」
「あうち」と身長190cmの彼女が呟いた。
英語で言うとouch!である。
彼女が英語のそれを意図して口にしたのかどうかは知らないが、ともかく呟いた。
クラスへの入室の際、入り口にて身長が高すぎて額を打った。
頭部打撲である。
とはいっても、大した痛みなどないのか、彼女はそのまま入室して僕の前に座った。
相変わらず、彼女に遮られて黒板正面は見えない。
だがまあ、谷垣がノートを貸してくれるから支障は無い。
無いのだ。
それはそれとして、別に鈍くさいわけではない彼女が、何度も入り口にて額を打ち付けるのは何故か。
その点は気になった。
「いい加減慣れませんか?」
「ふぁい?」
ふぁい、ではない。
売店の自動販売機から買ってきたと思われるコロッケパンを口に頬張っている。
ハムスターか何かかな?
そんな彼女をのんびりと眺め、咀嚼が終わるまで待った。
彼女は答えた。
「私の家の入り口はあんなに小さくないので。バリアフリーがなってないんじゃないですか」
「バリアフリーときたか」
別に障害を抱えているわけではあるまいに。
ただ背が高すぎるだけである。
「日本の設計は背の高い人に優しくないんですよ。190cmを超えると頭をそこかしこで打つようになります」
「・・・・・・」
公称188cmではなかったのか。
そう思ったが、それは口にしない。
可哀想であるからだ。
「もっと背が低く産まれたかったです」
「僕は逆に背が欲しいんだけどね」
いらないというなら、もらえればよかったのに。
僕の身長は低くもないが高くもない。
全く以て平凡な数値だ。
「今、何cmでしたっけ?」
「168cmだよ。男子の高校一年生における平均身長と一緒。一応まだ伸びてはいるみたいだけど・・・・・・」
多分駄目だろう。
夢の175cmには届かない。
「何かスポーツでもやってみてはいかがですか? 背が伸びますよ」
「いや、文芸部志望だから。小説を書きたいんだ」
あら意外、という目で彼女は僕を見た。
「もう入部届けはだしたんですか?」
「もう入部済みですよ。大和さんは? 勧誘への対応で忙しかったみたいだけど」
「いえ、まだ・・・・・・というよりも、提出先がよくわからなくて」
そうだろう。
僕も最初よくわからなかったのだ。
新歓用のチラシを貰った覚えもなければ、部活勧誘のポスターも貼り出されていない。
先生に部活の顧問を尋ねて、ようやくだ。
「・・・・・・よろしければ、案内して頂けると助かるんですが」
「構わないよ。そのつもりだったし。今日の放課後でもいいかな?」
「そうして頂ければ」
またコロッケパンを頬張り、咀嚼しながら彼女は頷いた。
ニコニコと微笑んでいる。
本当にデカいハムスターみたいな顔してんな、この人。
さて、今の文芸部にこの人を誘って良いものか。
色々と問題があるんだけどな。
僕はそんなことを考えながら、次の授業のチャイムを待った。
※
「我が文芸部に入部したいと。歓迎するよ。それにしても大和さんは大きいね」
「いえ、先輩も大概だと思いますが」
鴉の濡れ羽色のロングヘアーを、雑にヘアバンドでまとめている。
そんな文芸部の部長は身長180cmほどの長身であった。
大和さんとの最大の違いは、肉付きの良い彼女とは違い、かなりの痩身であることだろうか。
銀縁眼鏡をかけていて、目つきは鋭い。
どことなく厭世的な雰囲気を漂わせている女性だった。
「さて、ウチの文芸部の活動内容を紹介をしておこう。詩・小説、随筆、論評などの執筆を主な活動としており、この辺りは世間一般のイメージと変わらないが、まあ違いとして一つ。なんでも良いから最低でも年に小説を一本仕上げることを前提に活動してもらう」
「小説を一本というと、具体的には?」
「まあ10~15万字という文庫本サイズの長編を一本というところだ。強制ではないが、今まで書き上げた全ての部員が新人賞の公募に出しているよ。恥ずかしながら、私もこれで昨年新人賞を取っている」
まだ本にはなっていないのだけれどね。
そういって、少しだけ部長は下を向いてはにかんだ。
高校で新人賞を取ったなんて立派なことこの上ないので、胸を張って良いと思うのだが。
「失礼ながら、部長の創作ジャンルは?」
「ブロマンスだ。ラブロマンスではなくブロマンス。男同士のバディものだな。入部してくれたら読ませるよ」
すっ、と部長が立ち上がり、そのまま手を伸ばす。
大和さんは手を握り返して、互いに挨拶を交わした。
「自己紹介が遅れた。橘美紀子だ。今後ともよろしく」
「大和葵です。今後とも宜しくお願いします」
こうして横から眺めると、長身女子同士の挨拶は絵になるな。
僕など背が小さいので、橘部長からは握手を求められても圧迫感しか感じられなかった。
切実に身長が欲しい。
「さて・・・・・・なんだ。君、こうして新入部員を連れてきてくれたことには感謝しかないのだがね」
「はい」
「本当に申し訳ないのだが、もっと連れてくることは可能か? このままでは部が潰れてしまうのだよ」
橘部長が、本当に申し訳なさそうに切実な状況を口にした。
そうなのだ。
新歓用のチラシを貰った覚えもなければ、部活勧誘のポスターも貼り出されていない理由。
その事情を知らない大和さんが、手を小さくあげて尋ねた。
「あの・・・・・・部が潰れてしまうとは」
「言葉通りだ。人数が足らんから、このままだと文芸部が潰れてしまう。卒業で先輩方が抜けたのと、小説を1本書くというラインに耐えきれずに、ただでさえ少ない同年代の部員が辞めてしまったのだ。嘆かわしい話だが」
理由は文芸部が橘部長一人しかいない上に、彼女自身は新人賞をとったことによる書籍化作業で忙しかった。
要するに、もう勧誘なんてやっている暇はなく、半ば諦めていたと言うことらしい。
廃部を良しとし、同好会落ちになることまで覚悟したのだ。
「正直、彼が入部したいと言ってきたこと自体に驚いたよ。何の宣伝もしていなかったからね。さて、一度は何もかも諦めかけていた私だが、いざ本当に廃部となると創立以来続けて来た文芸部がなくなるのは、先輩方に申し訳ない気がしている。大和さんが入部してきたとなると、尚更だ。希望が少し見えてしまった」
橘部長が掌を開いた。
おそらくは指の数だけ、数字の5を表現している。
「5人だ。部の継続には部員が5名必要で、今は大和さんを加えて3名だ。あと2名どうにか都合がつかないか」
「あの、恥ずかしながら、高校ではまだ友達といえる友達がおりませんので」
大和さんが本当に困ったように答える。
橘部長が不思議そうに彼女を見た。
「おや、彼とは友達ではなかったのかね? わざわざ連れてくるぐらいだから、てっきりそうかと」
「あ、いえ、あの、私はそうだと嬉しいのですが・・・・・・」
大和さんがチラリと僕の表情を伺った。
クラスメイトで、これからは同じ部活動をやるのだ。
友達であろう。
「僕はすでに友達のつもりです。大和さんには釣り合わないところもあり、お恥ずかしいですが」
「あ、はい、友達ですね」
ニコリと、大和さんが微笑んで頷いた。
よろしい、と橘部長が腕組みをする。
厭世的な雰囲気を漂わせながら、あごで僕の返事を促した。
「で、僕ですか。友人は多少いますが、条件が厳しすぎます」
「条件が厳しい? 一年に一冊の小説を書くだけだぞ。誰でもできる・・・・・・と言いたいところだが」
橘部長が頭を抱えた。
言っていることが難しいことを理解しているらしい。
「昨年も、簡単な条件だと思って入部して、それで辞めてしまう人が多かった。認めるよ。一本の小説を仕上げるというのは書きたいものがないと存外に難しい。文章を書くだけなら誰でもできるはずなのにな」
文芸部に入った以上は、それなりにやる気があって入ったはずなのに。
難しいところだと鼻筋を指で撫ぜながら。
橘部長は決断した。
「・・・・・・本当に、本当に大切に守ってきた伝統を破るというのは嫌な話だが。妥協をしよう。この際、幽霊部員でもかまわんから人を集めてくれ」
「それでよろしければ。というより、その条件で辞めた部員を引っ張ってくることは?」
「ちょっと難しいな。すでに他の文化部に入ってしまっている者が多いし。それに・・・・・・」
それに?
少し躊躇い気味に、黙り込むが。
「なんだ、一人だけ新人賞をとるとな。私に対するやっかみもある。ちゃんと一冊の小説を仕上げて、一緒に投稿してくれた子もいたんだが。彼女は一次選考で落ちて、私は新人賞を取ってしまった。あてつけのようにその日に部を辞められたよ。私には橘さんみたいな才能がないって吐き捨てられてな。私は同年代の子達からは嫌われているよ」
はあ、と厭世的なため息を彼女は吐きだした。
「あれだ、なんだ。繰り返すが、私はもう疲れてしまっていた。部活が潰れてしまっても良いと思っていたのだが、君だ。君が私のところに訪れた。何の募集もしていないのに、わざわざ顧問の先生に連れられて、私のところに君が現れたときに思ったのだ。先輩に任された文芸部部長としての責任を最後まで果たそうと」
橘部長が、銀縁眼鏡を光らせながらに僕を見た。
何か告白をしたように、頬を軽く紅潮させている。
いや、重い。
重いよ、橘部長。
そんなことを聞かされても困るんだけどな。
「君を一人前の小説書きにして見せよう。もちろん大和さんもだ。覚悟したまえ」
だが、橘部長の厚意を拒否するわけにもいかん。
元より、小説を書くことを目的として文芸部に入ったのだから、厚意を有り難く受け取ろう。
「で、部員だ。幽霊部員で構わんから心当たりはないかね」
「掛け持ちでも大丈夫ですか?」
「・・・・・・所属している部が許すならば構わん」
うん?
橘部長は何か含みのある言い方をするな。
ともあれ、谷垣なら掛け持ちをしてくれるだろう。
彼は野球部だが、ベンチにすら入れない普通科のエンジョイ勢である。
谷垣はイケメンで男前だから、名前を貸すだけならいいよと頷いてくれるだろう。
学食でラーメンの一杯も奢る必要はあるが、それだけと言えばそれだけだ。
だが。
「一人は心当たりがありますが、二人となると厳しいですね」
「そうか。クラスで募集をかけることはできるか?」
「当たってみましょう」
まあ、アテなどないのだけれど。
先輩の期待を裏切るわけにもいかぬ。
僕は胸を張って、安心しろとばかりに答えた。
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