第41話

 恵が海鐘市街の弓道場から、弓と矢を持って来たのは、美鈴が要望して約二時間後の午前十一時過ぎだった。


「美鈴。弓と矢を持って来たよ」

「もう持って来たのですか!」


 翔一郎が用意してくれた、弓矢の扱い方の資料を美鈴は、娯楽室にて一人きりで熟読していた。

 そこに恵が報せにやって来た形だ。

 分屯地から市街地までは、車でも片道四十分は掛かる。

 行動の速さに美鈴は、驚きを隠し切れなかった。


「なにせ人類の未来が懸かっている計画だからね。私が出向いて借りてきたの。翔一郎が事前に連絡した上でね……どうする美鈴?課業止めまで一時間切っているし。午後からにする?」


 壁の時計を見て恵は提案した。


「いえ!」


 資料を手に美鈴は決然と立ち上がる。


「隊長と恵さんの努力を無駄にしたくありませんし、今は少しでも特訓して上手くならないと」

「分かったわ。こっちよ」


 嬉しそうに微笑みつつ恵は、娯楽室を後にする。資料を机に置き、足元の武製機を手に取ってから美鈴は、その後に続いた。


「随分、熱心に読んでいたけど、一通りの使い方は覚えたのかしら?」

「弓矢の持ち方自体は難しくありませんでした。問題は命中精度ですけど、こればかりは練習を積むしかありません」

「……魔法なら私も教えられる部分は少しあるけどね。弓術は完全に素人だし。でも応援はするから」

「はい」


 小さな庁舎である。

 少しの会話の間に美鈴と恵は下駄箱に辿り着き、外履きに履き替えて外に出た。

 雪こそ降っていないけれど、空は白や灰色の雲に一面覆われている。太陽がどこにあるかも分からないほどだった。

 恵は駐車場に止めてある四輪車に歩み寄り、上下に開閉する後部扉を開ける。

 四輪車の奥に、六輪装甲車が駐車されていた。その先で雷人は一人、武製機で造った刀を振るっていた。


「雷人ーっ」

「おう」


 恋人が努力している姿を見た美鈴は、労う気持ちを込めて右腕を降る。

 右手を上げながら答えた雷人は、刀の鍛錬を止め、鞘に仕舞いながら美鈴たちの元へやって来きた。


「美鈴。早速、弓矢を武製機で創ってみるのか?」

「うん、そう。結局、銃の創造は失敗に終わったからね。少しでも遅れを取り戻さないといけないから」

「はいこれ。竹で作られた借り物だから、大事に扱って」


 恵がそう言って、弓と矢を差し出す。


「分かりました」

「武製機を持つぜ」

「ありがと」


 雷人に武製機を預けた後で、自分の背丈より高い弓と、次いで手渡された矢を美鈴は隈なく観察。形状を頭に入れていく。

 じっくり眺める事数分。

 開け放しの四輪車の荷台に美鈴は、弓矢をそっと置いた。


「とりあえず試してみるね」

「ああ。時間を無駄にしたからといって、焦る必要は無いからな」

「そうよ。作戦開始の期限は特に無いからね」

「ありがとう。二人共」


 そう二人に告げて美鈴は集中する。

 基礎的な知識を覚えたとはいえ、一度も矢を射っていない美鈴は、弓術の素人の域から脱していない。

 その事に変わりはない。


 常人を遥かに凌ぐ、美鈴の剛力に耐える弓は、一張ひとはりもこの世に存在しないし、作れる職人もいない。

 強度やつるの引き具合など。

 今の美鈴に最適の弓矢を創るには、相当な試行錯誤が必要かもしれない。


 それでも、空を飛べない美鈴が竜を相手にするには、絶対に飛び道具が必要だ。

 美鈴には魔法もあるけれど、長期戦も視野に入れなければならない竜との闘いである。魔法だけでは心許ない。

 実戦にも耐える、満足のいく弓矢を創れなければ、雷人の負担は相当に大きくなってしまう。

 絶対に避けて通れない道だった。

 美鈴は武製機を機動させる。


 追求するのは、とにかく強度だ。

 それを念頭に美鈴は、脳に刻みつけた弓矢の姿を想像する。

 やがて、手本と同じ見た目をした、一張りの弓と一本の矢が顕現した。

 火器は幾ら挑戦しても、見た目すら再現出来ない物も多かった。


「出来た……」


 それに比べれば、今のところ見た目だけは一回で成功している。今までの苦労は何だったのかと美鈴は、拍子抜けの気持ちになった。


「……美鈴。早速試して見ようぜ」

「う、うん。そうだね」


 雷人に促された美鈴は、今までの失敗があったから弓矢という答えに辿り着けた。

 そう思う事で自らを納得させる。


 戦闘形態に移行しつつ美鈴は、利き手に関係なく、弓を左手に。矢を右手に持つのが鉄則だと資料にあったので、その通りにする。


「強度はどうかしら?」

「……今のところ、壊れそうな感じは無いです。弦は少し弾きづらいですけど、慣れれば何とかなりそうな気がします」

「的はどうする?」


 弓矢が銃の役目を果たしていた戦国時代ならいざ知らず、現代で弓道場を備えた軍事施設はまず無い。


「取り敢えず杭を打ち込んで、そこに的を取りつけるしか無いわね。あ……的も借りたんだった。取って来るわね」

「なら俺は、倉庫にあった木の杭を取って来ますね」


 簡易だが、数分の内に的が完成した。

 その前に立った美鈴は、深呼吸で心を鎮めると、資料にあった内容を頭の中でおさらいする。


(足の踏み位置。弓は軽く握る。上半身は真っ直ぐに……)


 一つひとつの基本を踏まえつつ美鈴は、弓に矢をつがえ、弦を引く。左手の親指は的に向ける。左人差し指は伸ばしても、曲げても良いとあったので伸ばす事にした。

 一呼吸置いて美鈴は射った。

 刹那、的の左下奥にあった小さめの岩が突然、音を立てて砕けた。

 的には些かの変化も無い。


「「「え?」」」


 思いもしない事態に三人は、揃って思考停止する。

 数瞬の後、思考を再起動させた美鈴の目に映ったのは、岩に突き刺さったままの矢だった。


「あ……」


 矢が岩を砕いて刺さる。

 人間技ではあり得ない光景に、美鈴の体は戦慄わなないた。

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