第32話

 美鈴は写生帳を左手に取り、右手で目的の絵のページを、優しく慈しむ様に捲る。

 尽くしてくれる雷人への感謝。不甲斐ない自分への怒り。雷人と肩を並べて戦えていない悔しさ。三つの感情が美鈴の心中で渦巻く。


「美鈴?」


 自分を呼ぶ恵の顔が涙で滲み、見えなくなっている事に美鈴は気がつく。

 嬉しさ。悔しさ。怒り。

 感極まった思いが、涙を引き連れてやって来る。


「私の体に涙はまだ残ってたんだ……」

「……当然でしょ美鈴。あなたは人間なんだから……これで涙を拭きなさい。まだ戦闘中よ」

「恵さん。声が涙声」


 受け取った恵の手巾しゅきんで、両目の涙を拭う美鈴の心は、更なる嬉しさで満たされる。


「し、仕方無いでしょ。貰い泣きくらい私だってするわよ」


 頬を朱に染めている恵が、左手の人差し指で僅かに滲む涙を拭き取る。

 翔一郎は見て見ぬ振りをしていた。


「今、分かりました。私はもっとこの体を好きになりたいという事に」

「「……」」


 恵と翔一郎は共に口を閉ざし、美鈴の独白に傾聴する。


「この体になったから、生きて雷人との再会が叶って。この体になったからこそ、それでも今までと変わらずに接してくれる、雷人の愛と優しさを知る事が出来た」


 万感の思いを胸に美鈴は続ける。


「……なのに私自身がこの体を拒絶するのはおかしいですよね。だから、私はこの体を好きになりたい……」


「なれば良い。誰も咎めないさ」


 翔一郎が運転席から、体を捻って美鈴を振り返った。その顔は柔らかく微笑んでいる。


「そうよ。自分の体を好きになる資格は誰にでもあるんだから」


 涙を拭いながらの笑顔で恵は言った。


「……ありがとうございます。二人とも」

「雷人と肩を並べて戦いたいのでしょ?なら足踏みをしている暇は無いはずよ」


 美鈴の背中を押す言葉を発した恵は、装甲車の窓から、雷人が戦っている場所に顔を向ける。


「雷人は今、あそこで戦ってい……」

「恵さん?」

「雷人の目の前に誰かいる」

「何だと!」

「!」


 恵の言を受けて翔一郎は、すかさず双眼鏡を手に取り覗き込み。想像だにしなかった事態に美鈴は、息を飲んで沈黙する。


「あいつは……宝石魔将ローゼベルフだ!間違い無い」

「宝石魔将。何でそんな奴が」


 冷静沈着を旨とする翔一郎の声に、焦りの感情が混ざり、呼応して恵も驚愕の声を上げる。


「分からん。だが、聞いていた特徴と一致するのは確かだ」


 翔一郎は恵に双眼鏡を手渡す。


「奴の次の標的はここだというの?」


 双眼鏡を受け取った恵が、雷人のいる方向に目を向けながら、当たってほしくなどない局面を口にする。

 時を同じくして、無線の向こうでも恵と同じ内容の動揺が拡大していく。


(……させないっ)


 二人のやり取りと、電波に乗った混乱を耳にした美鈴は、いても立ってもいられなくなった。


「恵さん。私と射手を代わってもらえませんか?」

「え?」


 双眼鏡を下ろして振り返った恵の目を美鈴は、真剣な眼差しで見つめる。


「私、雷人のところへ行きます。宝石魔将ほどの敵が現れたというのに、ここでじっとなんてしていられません」

「美鈴……」

「……伍長の言い分にも一理あるが、今の伍長で立ち向かえるのか?」


 翔一郎が美鈴の顔を見据える。

 本気度や真意を探る目だ。

 射る様な目つきに美鈴は、負けじと翔一郎に目線を送る。


「今のままでは無理でしょうけど、戦闘形態になれれば、もしかしたら立ち向かえるかもしれません」

「でも、当てはあるの?同じ事の繰り返しにならない?」

「……当てはあります。これです」


 言って美鈴は二人に、雷人が描いてくれた絵を差し出した。


「雷人が私の為に描いてくれたんです。これを試してみます。あの時だって、途中までは変身出来たのですから、何も無ければ行けるはずです」

「……分かった。伍長の意志を尊重する。やってみろ」

「ありがとうございます。隊長」


 翔一郎に感謝の意を伝えてから美鈴は、後部扉を開けて装甲車を降りた。

 厳かに優しく地表を照らす月も、美鈴を見守ってくれている気がした。


(雷人が描いてくれた絵は、頭に刻みつけてある。後はそれを想像し、具現化するだけ。魔法を扱える私にとって、何も難しい事では無い……難しくない)


 美鈴は懸命かつ穏やかに、自らに言い聞かせる。


(雷人……今行くからね)


 心静かに想像を膨らませる美鈴の体が、金色に煌めき始めた。

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