第12話

 雷人は三十分ほど川に浸かっていた。

 それは、現実と心を馴染ませる為の時間であった。人間の体なら低体温症に陥っているはずだ。

 しかし、体が寒さで震える事すら無い。

 竜の肉を食うまでは、あれほど夜の寒さが身に染みたというのに。


 背中と頭から、二つずつ突き出ている何かが、川の流れと水温を感じとった。

 雷人は、何を考えるでもなく、ため息を吐いた後で上半身を起こす。


 水を弾き、表面を雫が流れる感触で、それらが何かはおおよそ理解出来た。出来たが、怖い物触りたさとでも言えば良いだろうか。

 雷人は頭から背中の順に、両手で触ってみる。その手の爪は尖っていて、凶器以外の何物でもない。


「……やっぱり、角と翼だよな」


 両方のこめかみ辺りから、日本の龍の様な固い角が生えている。

 翼は自分の意思で動かせる予感がした。

 慣れれば空を飛べるかもしれない。


 ここまで来ると、諦め混じりの、声なき笑いがこみ上げてくる。

 同時に、この現実を受け入れるか否かの二択を、どこかの誰かが突きつけているような気さえした。

 答えはもちろん、受け入れるだ。


 雷人は水面に映る自分の顔を見た。

 顔の造形に変化は無いが、角があり。肌が橙色で。目の色が赤い色をしている。

 頭部の変異も完了している様だ。


 人間の体を超越する、人外の体を手に入れてしまった。

 三十分以上も、冬の屋外で水風呂に浸かっていても、体のどこにも異常が無い。その事がそれを如実に証明している。

 しかし、心は赤羽雷人のままだ。


 それは他の誰でもない。自分が良く知っている。

 美鈴ヘの想いは些かも変異する事無く、雷人の心中にある。


「……出来る事なら、人の姿でお前と会いたかったがな」


 雷人は美鈴がいる海鐘島を見る。

 細かく煌めく雪の向こうに、島の輪郭が霞んで見えた。

 今の姿を見て、美鈴はどんな反応を示すのだろうか?受け入れてくれるのか、拒絶するのか。


「この爪も皮膚も。お前を傷つけるものでしかなくなってしまった……」


 雷人は、様変わりしてしまった自分の体を見渡す。


「だが、それでも俺は、お前に会いたいんだ……」


 この思いは本物だが、今となっては、一方的な押しつけになる可能性もある。

 それでもこの気持ちを押し止める。それは間欠泉の噴出に置き蓋をするくらいに、止め様もない。


 だが、受け入れてくれるにしても。拒絶されるにしても。美鈴と離れて暮らす事になるかもしれない。

 そうなる未来を想定しながら雷人は、空を斜めの角度で見上げる。

 そこで気がついた。


「なんだ、これは?」


 雷人の目は、これまで一度も見たことのない、奇妙でいて美しい現象を捉える。


 金色の砂粒の様な物が、大気中で無数に輝いている光景。

 細雪ささめゆきに光が反射しているにしては、太陽は今も雪雲の向こうにある。

 他に光源は見当たらない。


 単なる偶然なのか。

 竜を人間に落とし込んだ姿になって初めて目にした、気象に由来するのかどうかも不明な現象。


 竜そのものの右手で、金色のそれを受け止めようとした時だった。

 魔族と金属生命体が争う戦場から、これまでにない規模の爆発音が轟く。

 それを号砲に、雷人の怒りが一気に頂点に達する。


「くず鉄と蟻共が邪魔をしなければっ!」


 内と外の変化に集中していた雷人は、魔族と金属生命体が隣で争っていた事を思い出した。

 常に手段で行動し、黒を基調とするその見た目から人間は、恨み混じりに魔族を蟻と呼んでいた。竜は蜥蜴とかげだ。


 連中が邪魔をしなければ、こんな目に遭わなかった。

 人間として美鈴と過ごせていた。

 元々抱いていた奴らへの怒りに、人生を激変させられた恨みが、燃料として投入される。


 気がつくと雷人の右手には、赤く光る球電きゅうでんが存在していた。

 雷人の溢れる怒り。それを具現化した、見るからに危険な球は、絶える事無く赤い電気を迸らせ続けている。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る