第26話

「もうこんな時間か……」


 ほとんど運動していないのに、腹は食事を求めていた。腹の音を用いずに。

 軍隊と言えども戦っていない限りは、勤務時間と休憩時間はきっちりと線引きされている。


 雷人は昼休憩までの残り時間を思案に費やす事にした。

 どうすれば美鈴の力になってやれるか?

 ほとんどの思考力をそれに費やしたが、妙案が思い浮かばないまま、昼の休憩時間を告げるラッパの音が鳴った。


「……行くか」


 美鈴の事は気がかりだが、下手な干渉は逆に美鈴の人格否定に繋がりかねない。

 そうである以上、腹が減っては戦が出来ないという、先人の知恵を履行する事を雷人は選んだ。

 鍛錬部屋から食堂までは、三十秒も掛からなかった。小さな庁舎の利点である。


 将来的な人員の拡充を見越しての事だろう。

 一度に十人が座れる机と椅子が、食堂内に用意されていた。現時点で厨房はない。

 料理については三食とも、近隣の駐屯地から運ばれる手筈となっている。


「隊長……食事の用意ありがとうございます」


 一番乗りと思っていた食堂には、すでに翔一郎の顔があった。

 味噌汁の鍋の保温など。

 必要な食事の準備を行っていた。


「気にするな。この部隊の要は君たち二人だ。私と千葉少尉は飾りに過ぎん……金城伍長の事は少尉から聞いている」

「はい。彼女を手助けしたいのは山々なのですが」


「……心得ているとは思うが、金城伍長が一人で考え、一人で結論を出さなければならない問題でもある。彼女が今後も戦い続けるのであれば、下手な手出しはかえって逆効果だろう」

「分かっています……」


 頭では雷人も理解している。

 しかし、美鈴の助言がなければ赤雷波は完成しなかった。

 一人の戦友として、彼女の苦境に報いる事で恩を返したい。その思いは消沈するどころか、高揚する一方である。

 それだけに、何も出来ない自分がもどかしかった。


「……行き詰まったら、そこから一旦離れて別の事をするのも手ではある」

「別の何か……」


 別の事と言われ思い浮かんだのは、酒と空手だが、職務中に飲酒はもちろんご法度である。

 残るは空手だ。別の何かで晴らすというのは良い考えだと思うが、提案しようにも美鈴の体調を考慮しなければならない。


 だが、美鈴が抱えている心の問題は根が深そうだ。殺されかけた心傷が、単に体を動かす事と、一時ひととき酒を飲むだけで払拭されるだろうか?


(普通ならあり得ないだろうな……)


 思案にふける雷人に翔一郎が声掛けする。


「……一先ず伍長も食べてからにしたらどうだ。その為に来たんだろう」

「そうします」


 炊いた白米とおかず、味噌汁を器に盛り付けた雷人は、外が見える位置の席を選び腰を下ろした。


「前に座っても構わないか?」

「ええ、構いません」


 料理を載せたお盆を手に翔一郎は、雷人の真向かいの席に座る。


「伍長はどうだ。不安な事などは無いか?私や少尉に言える様な内容であれば、いくらでも言ってくれ」


 箸をつける前に翔一郎は、雷人の様子を見て問うた。ちょっとした心配事でも、人は動きを鈍らせる。

 その様な僅かな停滞であっても、見逃してくれるほど戦場は甘くない。

 吐き出す事ですっきりする程度のわだかまりなら、吐き出してしまった方が生存率は上がる。

 翔一郎の言を雷人はそう解釈した。


「ありがとうございます……では一つ教えて下さい」

「何だ?」

「私と美鈴の扱いはどうなっているのでしょうか?外出に制限がついたりは?」


「外出は今まで通りの規則内で可能だ。ただ……特に金城伍長は重量の事もある。残念ながら、今まで通りという訳にはいかないだろうな」

「そうですよね。箝口令については今も継続中ですか」

「箝口令は今は敷かれていない。二人の裁量に任せる形だ」

「そうですか……」


 雷人は白米を口に運んでから、おかずの天ぷらを食べ味噌汁をすする。美鈴の恋人として、何をするべきかを思案しながら。

 雷人は水に手を伸ばした。それを見計らって翔一郎が切り出す。


「……彼女の事が気がかりなのは分からなくもないが、伍長は自分の事も考えた方が良いかもな」

「自分の事ですか?」

「羽を伸ばせという意味だ。伍長は自分の事も労った方が良い……絵を描くのが趣味だったな」

「!……」


 朧気だが、雷人の中で何かが閃いた。

 まだ像を結ばないそれを逃すまいと、雷人は思案する。翔一郎の言葉に耳を傾けながら。


「金城伍長との休日は、雷人が絵を描きながら過ごす事もあったのだろう。要は二人共に、心身を休ませる事をした方が良いという話だ……伍長?」


 数少ないが雷人は、美鈴を画題に絵を描いた事があったのを思い出した。朧げだった像が結ばれ鮮明になる。

 数が少ないのは恥ずかしいを理由に、美鈴がやりたがらないからである。


「ありがとうございます。隊長。お陰で妙案を閃きました。もちろん受け入れるかどうかは美鈴次第ですが」

「……何の事かは分からないが、役に立てたのなら何よりだ」


 食事を摂りつつ雷人は再考する。

 上手く行く保証はどこにも無いけれど、無意味かつ自己満足に過ぎない助言をするよりはましなはずだ。


「隊長。一つ頼み事があります」


 今日の課業が終わり次第実行に移そう。

 雷人は翔一郎に決然と説明し始めた。

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