第48話

「行ってくるよ……」


 せめて美鈴を抱きしめない事には、収まりそうに無かった。是非を問うこと無く雷人は、戦場にて美鈴の背中に両手を回す。

 これ以上、美鈴の顔を見ていたら、本当に越えてはならない一線を跨いでしまいそうだ。

 そう直感した雷人は、美鈴の顔を見れなかった。


「うん。行って来て。待っているから」


 美鈴もまた、雷人の顔から目を背けながら、気恥ずかしそうに言った。

 抱いていた手を解き、恋人の顔を直視出来ないまま雷人は背を向けて、戦闘形態に変身。そのまま飛び立った。

 受ける風で顔と心を冷やす。


 掛け値無しに、先ほどの美鈴の顔は可愛いかった。思い出すだけで多幸感が湧き続ける。


 どう考えても、戦場に身を置く者の心理ではない。

 頭ではそう思うも、しかし心は、理性の制御が効かない状態だった。


 ならば、下手に制御しようとせず、守りたい、あの可愛さと考えればどうか?

 そう思案する雷人の目が、山頂を眼下に収めようとしていた時だった。


 足元の森が爆発炎上した。樹齢が何百年もありそうな木々が爆風を浴び、燃えながら吹き飛んでいく。

 見ると、山の麓には洞窟があった。


 どういう訳か。洞窟の出入り口から続け様に、二匹の赤い竜が姿を現した。空に飛び上がるやいなや、目についたと思われる美鈴に襲い掛かった。

 美鈴もまた、即座に戦闘形態に移行し、弓矢を構える姿を捉える。


 しかし、美鈴に降りかかる脅威は、二匹の火竜だけでは無かった。同じ洞窟の出入り口から更に、いずれも翼が無い、三体の竜が出現してくる。

 空を飛べない分、防御力と力に特化した地竜だった。


「美鈴っ!」


 五体もの竜が美鈴に襲い掛かろうとしている。もしかしたら、まだ奥から出て来る可能性がある。

 叫ぶのと体が動いたのは同時だった。


 先ほどまでの恍惚感も爆発は、粉微塵に吹き飛ばしていた。

 体を反転させ、美鈴の元に戻ろうとした雷人だが、背中と翼で冷気と殺意を。耳で風切り音を知覚する。


 直感が命の危機を告げる。

 再び雷人は前後の向きを反転させた。

 数える暇など無いほどの、大量の氷の塊が雷人目掛けて飛んで来ていた。


 その奥では、眠る暴竜ジャンダルムが覚醒し、空中の一点で停止飛行している。


 皮膚と鱗は雪の様に純白。首と尾は細く長い。雷人が以前仕留めた赤雷竜より、二回りほど体は大きく見える。その分、翼もまた巨大だった。


 それでいて、雷人を睨みつける青い眼からは、欠片の油断も伺えない。

 雷人への攻撃と、美鈴への襲来の時期を考えれば、敵の策略である可能性は非常に高い。敵は知能も優れていると見なければならなかった。


「ちっ!」


 氷の塊を躱しつつ、ジャンダルムから目を離せない雷人は、忌々さを隠そうともせずに舌打ちする。

 その舌打ちが無線で届いたのだろう。

 美鈴の音声が電波に乗って聞こえて来た。


「焦っちゃ駄目よ雷人!こっちは一人で大丈夫。ジャンダルムに集中して。私もこのトカゲ共が雷人の邪魔をしない様にするから」

「……分かった。俺の背中は美鈴に預けるから、美鈴の背中は俺が守る」


 美鈴の言葉に雷人は頭を冷やした。

 今は相棒を心配するより、信頼するべき時だ。

 心配も過ぎれば冒涜になってしまう。


 自分は常に正義であるとし、非道や悪行を正当化する様な存在になりたくない。体は純粋な人間でなくなってしまったからこそ、心は人間のままでありたい。

 頭の芯から雷人は思った。


「あ……うん!良し。なんか、やる気出て来たっ!」


 場違いだが明るい。そんな美鈴の物言いに雷人は、少し気持ちが前向きになったのを感じた。

 声を押し殺して雷人は笑う。


「敵を目の前にして、真顔を保つのが難い時が来るなんてな……人生何が起こるか分からんものだ……!」


 雷人が未来の不確実性をごちていると、目の前でもう一つ、予測していなかった事態が発生する。


 竜の攻撃方法とは何かと問われれば、普通の人間はやはり、遠距離攻撃の撃ち合いを思い浮かべるだろう。

 実際、雷人とジャンダルムの開戦の火蓋を切ったのは、遠距離攻撃だった。


 だが、その遠距離攻撃では目の前の敵は倒せない。そう思ったのかは知らないが、ジャンダルムは自身の尾の先端に、槍の刃の様に鋭利な氷の塊を作り出したのだ。


「まさかその図体で接近戦とはな……」


 一見奇をてらった戦法に見えるが、しなやかに動く尾は前後左右、上下に攻撃が可能である。関節という限界がある雷人より、小回りが効くのは間違い無い。


 鞭の様に動く長い首もまた、全方位を見渡す事が可能であり、死角は無い。

 むしろ、自身の体を最大限に活かした近接戦闘こそが、戦闘におけるジャンダルムの真骨頂なのかもしれない。


 早々に奥の手を出してきた。

 雷人は刀を抜きつつ、ジャンダルムの脅威度を数段上に引き上げた。

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