第20話
「美鈴っ!」
雷人に向かって半目の美鈴は、空気を掴む様に右腕を伸ばす。
垣間見えた瞳の色は金色だった。
伸ばした右腕が、何かに引っ張られているかの様に美鈴は、ゆっくりと上半身を起こした。
急に美鈴が目覚めたからだろう。傍らにいた研究者二人は揃って硬直し、一言も発しなかった。
雷人は駆け寄り、美鈴の右手を両手で包み込む。
「安心しろ。俺はどこにも行かない。ここにいる」
「うん……おかえり。雷人」
柔らかくて優しい。
そんな笑顔で美鈴は、雷人の帰還を受け入れる。
待ち焦がれた笑顔がようやく見れた。
雷人の心に、帰って来たんだという実感が徐々に湧いてくる。
「ただいま。美鈴」
雷人は、おかえりの対になっている言葉を口にした。
二人のやり取りを見聞きしていた恵は、パァンと柏手を打った後で、翔一郎の顔を見上げた。
「あ、そうだ翔一郎。私、車に落とし物をしたから、一緒に探すの手伝ってくれないかしら?時間掛かりそうだし」
「……そうだな。一人で探すより効率が良い。君たちも、上司にこの事を報告しに行きたまえ。時間を掛けてな」
研究者の男女は互いの顔を見ると、ああと納得した素振りで、恵と翔一郎に続いて部屋を後にする。
あからさまだが、今はその気遣いが嬉しい雷人だった。
扉もしっかりと閉められる。
二人きりになった室内で、雷人と美鈴は肩を寄せ合う。
「……雷人と恵さんの声、最初から聞こえていたよ。口づけの感触もしっかり伝わってきた」
「そうか……意識はずっとあったんだな」
「うん。雷人が生きていた事が分かって、凄く嬉しかった。けど、それを伝える事が出来ないのがもどかしくて。そうこうしている内に、雷人が帰るって言い出すから。とにかく必死で雷人を呼び止めようとしたんだ。そうしたら、体が動いて。喋れる様にもなって」
「つっ!」
雷人と一緒にいたいと願う気持ちが、長い昏睡から美鈴を目覚めさせた。
(これはもう殺し文句だな……)
想いが溢れ過ぎて、逆に雷人は美鈴の顔を直視出来なかった。
今恋人の顔を見ようものなら、一匹の雄になる可能性大だ。それはまずいと理性で待ったを掛ける。
「どうしたの雷人?どこか具合でも悪くなっ、あ……うん……」
ならせめてと雷人は、美鈴の左手に自らの右手を重ねた。その少し後で、美鈴の左手が何かに反応したかの様に、ぴくりと動く。
「?……雷人の肌、凄く温かいというか、熱い……これって大丈夫なの?」
「すまん。熱かったか?」
「ううん。全然平気だけど……」
人間ではあり得ない体温を感じた事で美鈴は、心配そうに雷人の顔と右手を交互に見る。
「これはな……」
今か後かの問題だけで、どうせ説明しなければならない事に変わりはない。
そう思った雷人は、赤雷竜討伐任務に出撃した後で、己の身に起こった事を美鈴に説明した。
「そうなんだ……生きていてくれたのは正直嬉しい。嬉しいけど……雷人も私と同じで、その、変わったんだね」
「美鈴……」
言いたい事は良く分かる。
二人とも体が極端に変わってしまったのだ。戸惑うなと言う方が無理だ。
だが、この体で生きていくしかないのもまた事実である。
「体は確かに変わってしまった。けど、俺の心は人間のままだ」
「……うん」
「美鈴を大事に思う俺の心に、少しの変化も無い。美鈴はどうだ?」
「私も、雷人が傍にいてくれて心強い。今も昔も一緒だよ。変わらない……でも他の人がなんて言うかが分からない。それが怖い」
その点に関しては雷人も思惑中だ。
現時点で大まかに、三通りの未来を雷人は想定していた。
このまま軍人を続ける。軍及び島から追放される。実験漬けの日々を送る。
無論、最後の未来は断固拒否だ。そうなるくらいなら、美鈴を連れてこっちから島を出ていく。
危険分子とみなされ、島から追放されたとしても、野生動物の生存は確認済み。食事に困る事は無いだろう。
最善なのが軍人を続ける事だが、最も悩ましくもあった。
全ては上層部の結論次第だが、こればかりは自分たちではどうにもならない。待つしかない。
美鈴の懸念は雷人にも合致する。
「美鈴も備えておいてくれ。島から出ていかなくてはならない可能性がある事を」
「……もしそうなったとしても、雷人も一緒だよね?」
震える子猫の様に美鈴は問うた。
美鈴の銀色の瞳は真っ直ぐに、雷人の目を捉えている。
「当然だ。俺は美鈴と一緒にいる未来しか考えていない」
「うん……私もだよ」
白磁の様な美鈴の頬が朱に染まる。
俺の彼女は変わらず最高だ。そう喧伝したい気持ちに雷人は駆られる。
「……さっきのは、感触はあったけどいきなりだったから。もう一回。今は私も覚醒しているから」
「?……ああ」
美鈴の真意が分からず、雷人は顎に左手を当てた後で思い至る。
「分かった。もう一回な」
「今は誰もいないよ?」
「飢えているな……ま、俺もお前の事を笑えないけどよ」
「私にはもう雷人しかいないから」
「……台詞だけ聞くと重い女みたいだな」
「あら?もう忘れたの」
「む?」
「恵さんが言っていたでしょ。私、重い女なのよ」
「ブフッ」
快活で自虐的な美鈴の冗談に、雷人は吹き出してしまう。
「ま、この状態でそれが言えるなら、逆に安心だな」
そう言って雷人は、待ち構える美鈴の口に今日二度目の口づけをした。
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