ほかい様 第六話

 つくもがまた考え耽っている。今の会話で何か思い浮かんだのかもしれない。なんとなく白の様子が気になって見ていたが、爽果の声でハッとした。


「あはは、あかりちゃん、今年も炙り出しかぁ」

「どうしたんですか?」


 爽果が笑顔で、白紙の年賀状を見せてきた。


「炙り出しです。小学生の頃やりませんでした? 理科の授業で習って」


 果汁や特殊な液体で書いた透明な文字が、熱で炙ると浮き出て読めるようになることを、炙り出しと教えてもらったのを思い出した。


「最近、百円ショップで透明インクのペンが売られてますよね。いとこのあかりちゃんの学校で流行ってるらしいです」

「へぇ、懐かしいな……」


 山田は、小学生の頃、綿子と炙り出しでずいぶん遊んだことを思い出した。


 考えてみれば、小学校の中学年の時に両親が離婚してからは、綿子とは無理をしてでも毎週末会っていた。それもだんだんと頻度は少なくなり、中学二年になる頃には会わなくなっていった。


 綿子が自殺したことで久しぶりに葬式で再会したのだ。最後まで綿子の死に顔は見られなかった。


 じんわりと苦い思いが胸に広がった。


 ふいに白が呟く。


「みかんかぁ……」

「炙り出し、先生もやりました?」


 山田は白もそんなときがあったのかと聞き返した。


「いやぁ、みかんを供えるのって、御郷島から乙女が橘の果実を持って帰ってくることと関係があるのかなぁって」


 さっきから考え込んでいた白が、爽果との会話をぶった切る形で言った。


 山田は内心呆れながらも、それに答える。


「藁舟が戻ってこなかったから代わりに供えたんですかね」

「それか、持ち帰った橘の果実を供える習慣を引き継いでいるのか……」

「でも、持ち帰ったのは最初だけじゃないんですか? 実際に吉宝さんに奉納されてた果実の種で、“橘の宝玉”が実ったんですから」


 白が、しきりに首をひねる。


「ほかい様は何の神なんだろうね……だいたい、ほかい様のほかいが、祝言ほかいだとしたら、ほかいびととの関係性を考慮しないといけない。御郷島から戻って来ることで五十年の豊漁が約束される言祝ことほぎだからなのか……でもほかい様は障る神なんですよね?」


 爽果が頷く。


「そうでなかったら本来めでたいことであるおわたいに、ほかい様のような信仰が生まれるわけがない。御郷島から乙女とともに戻ってくるのがまれびと神とするなら、豊漁とは別の、不吉なことが起こったんじゃないかな」

「千年前のことだから文献も残ってないんでしょうか」


 爽果が真面目な表情で白を見つめた。


「補陀落渡海の話をしましたよね? この捨身行は、平安時代末期におこなわれたものなんです。おわたいのように五十年に一度くらいの頻度で全国に広がっていきました。そして江戸時代に最後の補陀落渡海がおこなわれたんです。ここら辺、おわたいに似てますね」

「そんなに長い歴史があるんですか」

「そうですね。補陀落山は観音菩薩の浄土と考えられていたんです。だから補陀落渡海は観音信仰の一種とも言えます。ほかい様を調べたら、もっと分かることがあるかもなぁ」


 そう言って、白が爽果に視線を向けた。


 白の言いたいことを察知したのか、爽果が突っぱねた。


「夜の海は危ないですよ。明日にしませんか?」


 白は冷めたお茶を飲んで、口を尖らせる。


 何か考えているそぶりだったので、なんとなく山田は嫌な予感がしたのだった。




 ぬくぬくとした布団に潜り込んで、目をつぶったと思った途端、肩を揺すられて山田は目を覚ました。


「山田君。山田君、起きて」


 山田は目を擦りつつ、枕元のスマホを取って時刻を見た。


 一瞬目をつぶっただけと思っていたが、時刻は夜中の一時。


「どうしたんですか?」


 訝しく思いながら、山田は上体を起こした。


 白は上着を羽織り、どこかに出掛ける準備をしている。手には懐中電灯があった。


「どこに行くんですか。まさかほかい様ですか」


 嫌な予感が当たった、と山田は白を咎めた。


「うん、ほかい様を観に行く。君も行く?」


 あっけらかんとして白が答えた。


「行くかって……、今、夜中ですよ」


 爽果に行くなと言われたはずなのに、気にもしていないようだ。


「君が行かないなら、私一人で行ってくるよ」

「え? 待ってください! 僕も行きます。ていうか、先生、どこにほかい様があるか知ってるんですか!」

「声を落として。だいたいの場所は分かってるよ。果樹園の真下、吉宝神社の海岸線沿い」

「そんなの僕にも分かりますよ。当てずっぽうで行くなんて、危なすぎます」


 山田は声を押し殺しながら白に注意した。


 立ち上がって廊下に出ようとした白の服の裾を咄嗟に掴んだ。


「待ってください。僕も行きますから……」


 観念して、肩を落とし、山田は布団から出た。


 せっかくぬくもって居心地が良くなった布団から出てしまうのは残念で仕方がない。


 手早くセーターを着て、一緒に出ようと促した。


 忍び足で廊下を突っ切って玄関に立ち、山田はダウンジャケットを羽織った。


「さぶ……」


 真冬でしかも夜中だ。室内でも息が白い。


 幸い、外は晴れていて月明かりが辺りをぼんやりと照らしている。


 それでも照明が少なく、どの家も寝静まり、電灯を消しているせいか、福岡と比べるとずいぶん暗い。


 二人は懐中電灯の明かりを頼りに、山坂を降りていく。


 見上げると黒々とした梢の隙間から、今にもこぼれてきそうな星々が見えた。欠けた月が都会にいる時より明るく大きい。


「こんな夜に月が二つ見えると片方は狸だと言うね」


 どことなく楽しそうに白が言った。


「狸に化かされる前に転んで怪我しても知りませんからね」

「まぁまぁ、転ばないようにゆっくり歩いたら良いよ」

「僕が転ぶんじゃなくて、先生が気をつけてください」


 山田は半ば呆れたように言った。


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